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神様と自分

"クリスチャンの生き方とは。"

 クリスチャンホームに生まれた私は、聖書から名前が取られており、当然のように毎週日曜になれば教会に行き、小学2年生の時には洗礼を受け、クリスチャンとして生きてきた。曽祖父母の代からのクリスチャンホームであり、4代目である。

 中学の部活は毎週日曜日が休みであり、部活を休まず周りにクリスチャンであることを公言しなくてもよかった。高校ではそうもいかず、日曜日は『家の用事』と言って毎週休んでいた。もちろん、それをよく思わない先輩と衝突したが、『教会を休む』ということを親が許可するはずがなかった。

 社会人になり、不定休な職についたことから、仕事があるからと教会に行かない事が増え、一人暮らしを始めたことから、今までは日曜日になれば当たり前のように親の車に乗って教会に行っていたが、行くか行かないかは自分の意思次第となった。
 厳しい家庭に育ち、大学時代も基本門限は22時。そんな私が一人暮らし。何もかもが自由で、神様の存在を心の隅の隅に置き、人間として廃れていった。"傷つき、どん底に落ちては悔い改め"を数回繰り返した。放蕩息子の兄弟話があるが、昔は息子の気持ちが全くわからなかったが気がついたら放蕩息子になっていた。
 2019.11月。仕事で急変に当たり、しばらく精神的に疲弊し毎日涙を流した日々。お風呂場で必死に神様に祈った。人ではどうしようもない、そんな時にならなければ神様に立ち返らない自分に気付かされた。
 2019.12月。初めて床頭台に聖書を置いている患者に出会った。職場ではクリスチャンと公言してなかった私は、一度それを見て見ぬをふりをした。2度目担当した時、いつものように、"今日担当させていただく〇〇です"と名札を差し出した。すると、「ええ名前やね」と。今だと直感的に感じた私は「実は私クリスチャンなんです。私の名前は聖書からとられているんです」と話した。すると、見たことのない笑顔でハレルヤ!!と握手しようと手を差し出された。そして、初めてデイルームでその方と祈った。なぜか同じ病院、それも病棟にクリスチャンがいるということに日々安心感を感じた。そして、ハレルヤ!と輝かしい笑顔で言われた時、これが神様の世界なんだと感じた。全く知らない人だけど神の家族なんだと。その方に「神様に支えるように献身的な働きぶりを見て、とても感謝しています」と言われた。そこで私はハッとさせられた。私は献身的に神様に仕えているのだろうかと。神様との関係を粗雑にしており、神様中心の生活とはかけ離れ、目の前のこと中心の生き方をしていた。その日曜、初めてワーシップでのピアノの奉仕を断った。
 2020.1〜2月。クリスチャンの方が無事手術を終え退院された。しばらくすると様々な誘惑が私を襲った。誘惑してきてはその誘惑に乗りかけた。そんな時に、ふとしたタイミングでクリスチャンの友達から"祈ってるね"と声をかけられる。家族が毎日祈ってくれていることは知っているが、私のために祈ってくれる、神の家族がいることに気づかされ、誘惑から断ち切ることができた。

私はクリスチャンとしての歴は長いかもしれないが、未熟なままで、神様から離れて生きてばかりだった。これからは、支え合える神の家族の一員であり続けたいと思う。もう神様から離れることなく、人生の軸を神様にして、世の光として輝いていたい。

【私の名前がとられた聖書箇所】
曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ2章15,16節)

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