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それぞれの出口

ランドの議論が受けいれがたい理由として、私にとってなにより決定的なのは、分離にしろ離脱にしろ(出口)にしろ、けっきょくのところ「暗黒啓蒙」がしひいてはランドがー説く外部なるものが、いまあるこの世界と地続きのものでしかないということだ。それが説く離脱とはけっきょくのところ、「国家という全体からその領土の一部を切りと」りつつ、切りはなしたはずの当のものとまったく同じホッブズ主義的な主権という原理によって、新たな国家を縮小再生産しようとするものにすぎない。「暗黒」などといっておきながら、これではあまりにも中途半端にすぎるのではないだろうか。いったいなぜ、「真の暗黒の道は、この世界を構成するすべてのものを無効にする」くらいのことがいえないのか。民主主義や平等を批判しながら、人は統治されてしかるべきだという前提はまったく疑わず、あまつさえ国家に回帰しようとは。民主主義的な国家も新反動主義的な国家も不要であり、あらゆる統治は退けられるべきなのだとこの世界そのものから出ていくのだと、いったいなぜいえないのだろう。

『暗黒啓蒙』ニック・ランド 五井健太郎訳 訳者解説 何から離脱するべきか

「あらゆる統治は退けられるべきであり、この世界そのものから出ていく」ことが真のイグジットでそこで終わり、とはならないだろう。何故なら、世界の外ですら蔓延る自己統治をも退けなくてはならないからだ。では、自己統治を退けるとはどのようなことなのか?自己を他に開くことなのか?それはまた統治を作り出すことにならないのか?外は常に内になり、新たな外を作るだろう。

自己統治の実践→フーコー
自己への配慮

不断なるイグジットへの運動(脱構築)→デリダ
終わりなき解体
他(者)への応答責任性=正義

別の統治を目指す→デヴィッドグレーバー

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