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vol.1_19大学生時代①(合格、そして川口家解散。)

東京学芸大学 合格!
新潟に住んでいた川口は当時現地に合格発表は見にいけず、レタックスというものが郵送で届いて合否を知ることとなる。

智子が「もう3月8日なんだから
合格してた場合はきっと入学手続きに必要な分厚い書類とともに合格通知来るわよ」と言っていた。

自宅のピンポンが鳴って、川口が出る。郵便局員が持っていたのはぴらっぴらの封筒1つ。「えっ、これだけですか?」と川口もすかさず聞くが、これだけだという。

残念でしたと言わんばかりの封筒からは、
「合格」の2文字。ここまでの人生で一番嬉しい瞬間だったと思う。今までやってきたことが全て報われた気持ちになった。過程が大事というが、やはり結果が伴った時ほど嬉しいものはない。

学級主任の田中先生に電話したら
「えっ、受かったの!?まじか!おめでとう!」と
D判定で受かってきてしまったバツの悪さが喜びから
見え隠れしてた気がする。

ちなみに入学手続き書類はその後1、2時間して
また同じ郵便局員から受け取ることになった。
(粋な演出いらないから、一緒に持ってこんかい。寿命が縮む)

合格 - コピー

川口家、解散
3月の下旬からいよいよ一人暮らしということで
それまでに智子から料理の作り方をいろいろ習った。

「とりあえず人参・玉ねぎ・じゃがいも切れれば、なんでも料理作れるよ」と教わった。たしかにカレーや肉じゃなど味付けが違うだけで大体同じ具材。

智子からある夜にここに正座しなさいと言われた。
こんなこと言われたことないし、むしろ目の前で智子も正座している。「実はうちの子じゃなかったの。今まで黙っててごめんなさい」と言わんばかりの雰囲気。

智子から言われたこと

「今まで色々なことに干渉してきましたが、その関係もこれでおしまいです。私も自分の人生をこれから満喫するし、あなたはあなたで大人の自覚を持って、東京で頑張ってください。最後に人生の先輩として2つだけやってはいけないことを忠告しておきます。

①時間外のお金の引き出し
せっかく稼いだお金を、計画性がないあまりに手数料を持っていかれるような真似はしないでください。

②どんなにお金がなくても治験のアルバイトだけは
絶対にしてはいけません。体に毒かもしれないので。

以上です。解散!」

何を言われるかと思えば、、、という思いとほぼ女手一つで育ててくれた(あっ父親、ちゃんといます)
智子には感謝しかなかった。

むしろ親離れというよりは、それが智子にとっての子離れの決意のように見えた。

GW過ぎた頃、齋(=ひとしと読むうちの父親)が
そういえば博史最近見かけないけど、あいつどこで何してるんだ?という始末。。。

齋は仕事人間で、あんまりかまってもらった覚えがない。そして、川口にきっと興味がない。

が、反抗期がひどかった時に一回だけ吹っ飛ぶくらい殴られた覚えがある。それは智子に対して川口が逆らった時だった。寡黙な齋ではあるが、たぶんこの世で川口だけ彼を尊敬している。

背中で語る父親論だと勝手に解釈していた。

家族

卒業0日



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