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いつか動物になることを夢みて

 恋人と触れ合って過ごす時間、人は「動物になる」んだよ。

 メキシコ料理店での女子会、目の前でワカモレを食す職場の同期が何気なく言ったのを聞いて、わたしの目は点になりました。は?動物?「確かに人間だって動物といえるかもしれないよね」と言いかけて、いやいやこの場合は「理性を失う」「原始に帰る」の比喩表現でしょう、と口をつぐみ。それってさ、動物ってさ。「どうやってなるの?」

 わたしは以前から、恋人と有り体にいうとイチャイチャしている際に、斜め上の方にもう一人の自分がいて冷静に二人の様子を眺めているかのような、冷え冷えとした意識がずっと頭の片隅にあります。そのもう一人の自分は決まってそういう時「ねえ、この時間なんなの?」と呟いています。

 そんなわたしにとって「動物になる」のはファンタジー。だけど、無理だと分かっていても一度は風に乗って空を飛んでみたいと思うように、人生で一度くらいは「あのときはホント動物になっちゃったな」なんてカクテルグラス片手に思い出せる時間があってもいいのではないでしょうか?おそらく、空を飛ぶよりは簡単なはずです。

 そこで「動物になる」ために、何が必要かを考えてみました。間違いなく、先ほど述べた「もう一人のわたし」は排除したほうがいいということはわかります。

 恋愛というのは観念の世界、相手のことを「好き」だと意識している「自分」×2(=「わたし」と「あなた」)で成り立つ世界だと考えています。そして、恋愛を盛り上げるには「非日常感」が必要です。非日常感を出すには登場人物を最低限の「わたし」と「あなた」だけにしておかないといけません。他の人が出てくると気が散りますしオフィシャルな自分を思い出してしまってどうしても「動物」から遠ざかってしまいます。だから物理的に二人きりになったほうがいいし、双方の頭の中(会話の中)でもなるべく他人を出さないようにしたほうがいいでしょう。

 ところで、わたしは現在絶賛婚活中の身の上です。そのことは友人に話してあるので、彼女たちと会うときにはいつも「最近どう?」と婚活具合を聞かれます。特に定期的に会っている友人夫婦にとっては、もう自分たちには恋愛話なんてないから新鮮だ、という気持ちもあるらしく、とっても興味を持ってくれています。刑事の尋問のように時系列で全ての出来事を事細かに話すまで帰さないぞという熱意すらうっすら感じます。

 わたしも話したい気持ちがありますし、友人が話を聞いてくれて、感想や意見を伝えてくれることはとってもありがたいことです。けれど、これって、「動物になる」には障害になるものでは?と感じています。

 なぜなら、人に話すということは、恋人同士の「二人の世界」に、「他者の目」を入れるってことだから。相手には伝わらない話です。だけども自分の中に、友人の反応は残ります。「わたしとあなた」の世界に「だれか」の存在が無意識化に残るわけです。それが先に述べた「もう一人の冷静な自分」を作り、「非日常」への没頭を阻み、日常の(オフィシャルな)自分を保とうとしてしまうのではないでしょうか。

 ないでしょうか、というか、自分の話をしているはずなんですけどね。

 とにかくそんなふうに考えたわたしには、今、定期的に会っている人の中で、これからもしかしたらお付き合いに繋がるかもしれないと感じている方がいるのですが、そのひとのことだけは、試しに誰にも話さないようにしています。

 もしそのひとが恋人になったときは、そのまま誰もしらない秘密の恋にしてしまって、二人きりの世界で思う存分、動物になろうという魂胆です。そして「あの時はホント動物になっちゃったよ」と・・・。

 ・・・書いていて恥ずかしくなってきたので、この辺りで失礼させていただきますが、もしうまく動物になれたら、またご報告にあがりますね。

最後まで読んでいただきありがとうございました! あなたのスキやフォローに勇気をもらって毎日いろんな気持ちを素直に書くことができています。