人付き合いが苦手
僕は人付き合いが苦手だ。
振り返れば、中学校に入学したころからだ。極端に友達の輪が狭くなった。
クラス内での序列とか、流行りの音楽やドラマの話とか、中坊のくせに誰かと付き合うとか別れるとか、そういうのに全く興味が持てなかった。
いつからか母や周りのひとに冷めた人間だと言われるようになった。
もちろん悪意はないだろうし、正直、自分でも納得していた。
でも次第にこの言葉が、自分が人として欠落していることを意味しているように感じるようになった。
このままの自分でいて、社会でうまくやっていけるのだろうか。自分を理解し支えてくれる存在はできるのだろうか。そんなことを悩み苦しみながら、10年弱を過ごした。
結果、ある一つの結論に達した。
この10年弱の間、流行りものに手を伸ばし、理解してみようと思ったこともある。でもどうしても居心地が悪い。なぜなのだろう。真剣に考えてみた。
あるとき、それはそのもの自体というよりも、それらの作品のポップな一面を武器として、利益を得ようとする人々がいるという事実に対する嫌悪感が一要因だと気が付いた。
利益を得ようとしている、というのは大袈裟な表現かもしれないが、ここで想定しているのは、人の心の弱みに付け込んで金儲けをしている人から、そのコンテンツを接点として他人と関わりを持とうとする人までを含めている。
例えば、前者であれば、オタク受けを狙って作った薄っぺらい歌詞を、外見が整った人間に歌わせて、過剰なほどに品のない商売をする。後者は、ファンを名乗っておきながら少し時間が経てばすぐに新しいコンテンツに目移りする。なんだったら、つい先日まであれほどに持ち上げていたものを「時代遅れ」なんていって乏しめたりもする。
私事だが、自分は音楽に救われてきた。負の感情に押しつぶされそうなときには、寄り添ってもらったり背中を押してもらった。また、無理矢理にテンションをぶち上げたいときにも力を借りてきた。それは、ツールとしてでなく信頼できる人のメッセージであって、たとえ数十年たっても「時代遅れ」になるものでは絶対にない。
そんな身からすれば、音楽をそんな風に使う連中が信用できないのだ。
本来、音楽であれドラマであれ、創作物には作り手の理念が籠っているとべきだ思う。しかし、先述の連中はそんなもの気にも留めていない。なぜ?それは作品をツールとしか思っていないからだ。そういう連中のコンテンツ自体を理解しようとしない態度にどうにも納得ができないのだ。
自分の場合は音楽だったが、ドラマだってアニメだってお笑いだってなんだって、、、他人をツールとして使うことにどうしても腑に落ちない。それがポップカルチャーに対する居心地の悪さの一要因であった。
断っておくが、ポップであることは悪いことではない。伝わりやすいという発信力の観点では、むしろ尊敬すべきことだと思う。ただただ自分のひねくれた解釈に過ぎない。
一例として流行りものを挙げたが、同じような背景から、移り変わる人々の顔色を伺って、その瞬間の優位に立とうとも思わなかったし、未熟な人間のまま他人を愛し愛されようとも思わなかった。幾分大袈裟な表現だが。
世の中はそんな小難しいこと考えない人の方が大半だろうし、そんなことわかっていて目を瞑って楽しめる最強の人々もいるんだろう。他人を否定する権利なんてないことはわかっている。
自分はそういう人間にはなれなかった。何かとひねくれた見方をしてしまうし、他者とちょうどいい距離感を保って関わることができない。まあ、それは仕方ない。
僕は人付き合いが苦手だ。
その理由は、人付き合いに信頼を求め過ぎているからだということ。
それが分かって、自分のことを少し好きになれた。
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