見出し画像

アメリカ合衆国皇帝を自称した男

ジョシュア・エイブラハム・ノートン
アメリカ合衆国皇帝を自称した男である
今回はこの奇妙な男が何者なのかを書いていきたい


イギリス生まれのイングランド人
裕福な商人の息子として生まれる
イギリスの植民地である南アフリカで幼少期を過ごした


しかし何年生まれなどの生年月日は不明で年齢も確かなことは分からない人物である


そんな彼は父親から4万ドルもの資産を受け継ぎサンフランシスコへと移住する
移住先でノートンは莫大な資産を元手に不動産投資を始める

始めた事業は大成功をおさめ1850年代に4万ドルの資産が25万ドルにまでふくれあがった
ノートンは社会的成功者へと登り詰めた

この時期、中国では深刻な飢饉にあっていた
中国はアメリカへ米を輸出していたが、飢饉により輸出をストップ
その影響で米の価格が急激に上がる

ノートンはこれに目を付け、ペルーから輸入される20万ポンドの米を1キロ12セントで買い占め、さらに高値で売ろうとした


しかし他の輸入米がサンフランシスコに到着しノートンが買い占めた米を売る前に米の価格は暴落
莫大な負債を抱え不動産も売り払い、ノートンの資産は失くなってしまった
1858年にノートンは破産宣告している


この後ノートンは行方不明になってしまう
ノートンは徐々に正気を失っていた



一年後にノートンは再びサンフランシスコに戻った
ノートンは合衆国の政治体制には大きな欠陥があると考えるようになっていた
この欠陥を修正するにはアメリカを絶対君主制にするべきだと主張する


ノートンはサンフランシスコを帝都とする合衆国皇帝ノートン一世を名乗り、皇帝宣言の手紙を新聞各社に送りつけた
もちろん新聞社は相手にしなかったが、唯一サンフランシスコ・コール新聞が面白がり皇帝宣言を新聞に掲載した


ノートンは国事に関することを勅令として新聞社に送りつける活動を始める
アメリカは議会制を廃止して君主制を行うべきであるとして、1859年アメリカ合衆国解散命令を出した

当然ながら、こんな物は誰も相手にしない

ノートンは思った
皇帝の勅令を政治家達が謀反を起こし黙殺していると
怒ったノートンはさらなる勅令をだす
皇帝勅令として、帝国陸軍にワシントンの政治家達を排除するようにと
もちろんアメリカ陸軍は無視
ノートンの意思とは反してその後も議会制は続けられる


さらにノートンは連邦制の廃止、結社の禁止、共和党民主党ともに廃止を勅令として出す

1862年にはプロテスタント、カトリック、全教会にノートンを皇帝に任命するように命令

このように奇っ怪な行動を続けるノートン
普段の日常行動も奇妙なものだった


将校から貰った金モール付きの軍服、皮製シルクハット、勲章をつけて、ノートン皇帝の支配下サンフランシスコの視察を度々行っていた
視察内容は公共施設の修理、警官の振る舞いなどを見て回ったという

ノートンはいつの間にか有名になっており、彼はサンフランシスコ市民に好かれていた

1867年
警官がノートンを捕えて精神病院へと送ろうとした
この逮捕に何とサンフランシスコ市民と新聞は大激怒して警察署長はすぐにノートンを釈放してノートンに謝罪する騒動も起きた



ノートンは破産しており働いてもいないので、金も持っていなかった
それでもノートンはノートン皇帝としてレストランで食事をとっていた
皇帝なので代金を払うこともない
市民はそんなノートンを受け入れていた

セントラルパシフィック鉄道は食堂車で食事をしたノートンに対し支払いを請求した
怒ったノートンは鉄道会社に営業停止命令の勅令をだす
市民はこれを支持し、鉄道会社はノートンに終身無料パスを発行して謝罪


またノートンは独自の紙幣を発行しており、驚くべき事に地域経済では承認されていた
現在ではオークションなどで高値がついている

もうやりたい放題である
いくら地域の愛されキャラであっても、ここまでノートン皇帝を受け入れるとは不思議なものだ
現代でもネットで過激、炎上キャラの人物が一定の熱烈な支持者に支持されて加害や被害を与えても擁護される事か起きているが似たようなモノなのだろうか?


そんな支持者からの陰謀論的な噂もでてくる

ノートンはナポレオン三世の息子

ノートンはヴィクトリア女王と結婚する

ノートンは大金持ちで貧乏な人達に同情して貧乏な振りをしている

などなど

メディアや作家達もノートンについて有ること無いこと書き、ノートン皇帝に対してありもしない伝説を作り上げていった




そんなノートンも1880年
科学アカデミーの講演に向かう途中で倒れた
病院に運ばれる途中で息を引き取った
サンフランシスコクロニクルは「王崩御」と一面に載せ報じた
ニューヨークタイムスも追悼文を掲載

ノートンはお金を所持しておらず、貧民墓地へと埋葬されるはずだったが、様々な人々から資金を提供され3万人が集まる大規模な葬式が行われた
ノートンはフリーメイソン墓地へ埋葬された


ジョシュア・ノートンの何が人々を引き付けたのか
彼は明らかに統合失調症であり誇大妄想を起こしていた
最初はただ面白がって注目されただけだろう
次第に名物キャラ愛されキャラとなり人々やマスコミに受け入れられていく
もちろん迷惑していた人達や企業、行政もあっただろう
ノートン皇帝の迷惑行為も市民の声が後押しして無理矢理を受け入れざるおえない状況になってしまったのだろう


ただの変な人が長年の間語り継がれる人物になったことは、ある意味偉大な人物だったと言えるのかもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?