「器用貧乏」で「飽きっぽい」人は、実はすごい(「器用貧乏」連載④)
こんにちは。Light the Unightのじみーです。
「飽きっぽい」を体現するかのように、すごく間が空いてしまったのだけれども、連載の最終回の記事を書きたいと思います。
前回の記事では、自分の「好き」と「得意」を大切にすることの重要性について書きました。本当は、僕が言いたいと思っていたのはこれで全てなんです。だから、今回のこの記事は、言うなれば、おまけ。
今回の内容は、自分の「好き」と「得意」見つけ方。そして、「器用貧乏」と「飽きっぽい」人の生き方について、です。
器用貧乏を極める
「器用貧乏」で「飽きっぽい」、僕のような人が、自分の本当の「好き」、本当の「得意」を見つけるための鍵となるのは、ズバリ、器用貧乏を極めることだと思っています。
なんのこっちゃ、ですか?大丈夫。もう少し詳しく説明しますね。
「器用貧乏」「飽きっぽい」っていうのが、実はひとつの「得意」、ひとつの「好き」でしかない、というのは、以前の記事で書きました。でも、この「得意」と「好き」が、漠然としていて、わかりにくいのが問題なのです。
さて、こんな漠然としたものを、どうやって見つけるのか……。
ここで皆さんに提案したいのが、モザイク画作戦です。モザイク画というのは、たくさんの小さい写真を並べて、全体がひとつの絵になるようにしている、アレです。
モザイク画で大切なのは、ひとつひとつの写真が胡麻粒みたいになるくらい、遠くから全体を見ることと、そもそも、胡麻粒みたいな写真の寄せ集めでひとつの大きな絵になるくらい、たくさんの写真を集めることだと思います。
私たちの「得意」と「好き」を見つける作業も、モザイク画を作る作業と似ているんじゃないかと思います。
つまり、たくさんの「得意」と「好き」のカケラを集めること、そして、全体を眺めることで、きっと、それらは見つかると、僕は思っています。
そのためには、何よりもまず、とにかくたくさんのカケラが必要です。どうやって集めるかって?それは簡単なことです。
自分の心の赴くまま、やりたいと思ったことをやり続ければいい。
そうしていくうちに、「どうやら自分の興味の対象にはこういう共通点があるぞ」とか、「どれも等しく飽きっぽいと思っていたけれど、意外とこのことについては定期的に興味を持つぞ」とか、「自分はいつもこういう部分については学ぶのが早いぞ」とか、自分なりのパターンが見えてくると思います。このパターンこそが、僕たちの、「得意」と「好き」につながっているのです。
「器用貧乏」と「飽きっぽい」を極めること自体に、意味がある
こんな風に書いていると、本当の「得意」と「好き」が見つかるまでは、やっぱりダメダメなのかしら、と思うかもしれません。そんなことはない。
器用貧乏を極めること自体に、他の人にはない価値があるんです。
英語で、器用貧乏を”Jack of all trades, master of none”と言うのですが、この言い回し、実は、前半の”Jack of all trades”だけだとガラリと意味が変わります。その意味は、「万能」。
「器用貧乏」と「万能」って、似て非なるもののようで、やっぱりとっても近い概念なのだと、僕は思います。
考えてみてください。「万能」な人というのは、普通よりも色々な分野のことができる人のことです。これは言い換えると、普通の人よりも多く、初心者を経験しているわけです。
万能の天才などと呼ばれる、アリストテレスも、ダヴィンチも、トーマス・ジェファソンも、最初はみんな器用貧乏で、いろんなことに興味を持っているのは良いけれど、自分は一体何がしたいのだろうと悩んだことが、あったのです(たぶん?笑)
アリストテレスなんて、悩みすぎて、最終的には哲学の基礎を作り上げてしまったくらいです(適当)
もちろん、僕は自分がアリストテレスになれると言っているわけではありません。ただ、器用貧乏で飽きっぽい人だって、実はすごいんだぜ、と言いたい。
僕は飽きっぽいので、ひとつのことだけをずっと頑張ることはできません。だから、僕がひとつひとつのスキルとされるものについて、それだけを頑張っている人よりも秀でる、というのは無理でしょう。
でも、その代わり、僕たちは何か課題に直面した時、自分の中で有機的につながった、様々な分野に及ぶ網目のような知識と興味をフルに用いて、三次元的な思考で臨むことができます。
僕たちの中では、この分野とあの分野とその分野が、別に区別なんてされていなくて、ふわふわと混ざり合って漂っている。本質的に、分野横断的で、学際的なんです。
これってつまり、ひとつの分野とか、スキルとかの観点からは解決が難しい問題について、垣根を超えて、他の分野の知識とか、経験とかを持ってくることで、「新しい発想」を加える能力があるってことだと思うんです。
言い換えると、僕たちは、色々な分野を結びつけ、新しい発想を与えるアイデアマンになれるかもしれない、ってこと。
ひとつひとつを深めることはできない。でも幅広い知識を結びつけることはできる。それが、たぶん、僕たちの一番の強みです。
まとめに代えて:社会の先入観に負けないでほしい
最後に一つだけ、どうしても言いたいことがあります。
それは、「器用貧乏」と「飽きっぽい」はよくないことだ、という社会通念に負けないでほしい、ということです。
今の世の中は、少しずつ変化はしているけれど、まだまだ「ひとつのことに打ち込むのは素晴らしい」「一芸に秀でなさい」という価値観が圧倒的に優勢です。色々なことに手を出していると、「中途半端」だと揶揄されます。
だから、「器用貧乏」で「飽きっぽい」人にとってはとても生き辛い。
自分は間違っているのかもしれない。自分はダメな人なのかもしれない、なんて思ってしまうかもしれない。
負けちゃダメです。
僕は、器用貧乏で飽きっぽい人はちゃんとすごいんだ、と声を大にして言いたい。
ひとつのことを極める人もすごい。でも、器用貧乏で飽きっぽい人だって、ちゃんとすごい。
何度でも言います。「器用貧乏」も、「飽きっぽい」も、社会が作り出した呪いの言葉です。
僕たちの、「得意」や「好き」は、具体的に見えにくいだけで、ちゃんとそこにある。
僕たちの、「得意」や「好き」を、無視しないで欲しい。
僕たちの、「得意」や「好き」が育つのを、邪魔しないで欲しい。
でも、なにより、僕たち自身が、僕たち自身の、「得意」や「好き」を大切にしなくちゃいけない。そう思います。
長い連載でしたが、読んでくれてありがとう。
じみー
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