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時空少年CANDY【第一話】タイムトンネルで行こう

あらすじ

奈緒の部屋の扉の向こうは、氷河期だった。未来の少年・千隼の操作によって、タイムトンネルができていたのだ。

ふたりはタイムトンネルで平安時代の海に遊びに行くが、溺れる奈緒。救ってくれたのはペンギンのコータロー。コータローは警戒心がなく、氷河期の岩場に突っ立っていたところを千隼に捕えられていた。

千隼は飴の科学者で、コータローに小型飴を飲ませて小さくしたり、大正時代のアインシュタインに翻訳飴を飲ませて会話したりする。千隼は自身を天才と称して疑わないが、科学の歴史に触れて自信が揺らぎ出す。

発明した飴でピンチをすり抜けたり
ただの飴の甘さに救われたり
考えの甘さに打ちのめされたりする
CANDYな物語である。

第一話

「あっつい、溶けそう」

 ギラギラと太陽が照りつける。酸化されてボロボロになった金属の手摺まで熱くなっている。私はスーパーの袋を片手に、汗だくで階段を登り、アパートの玄関に辿り着いて、鍵を開ける。

「限界……クーラーをガンガンに付けてやる」

 扉の隙間から冷気が吹き出してくる。

「あれっ? クーラー付けっぱなし? 電気代やば……」

 と、扉を開けると、そこは氷河期だった。

「いやいやいやいや」

 一面が氷の海。目が点になる。私はバタンと扉を閉じる。

 熱中症で幻覚でも見たのだろうか。頭がガンガンする。重症だ。早く横になったほうが良い。もう一度、そおっと扉を開ける。

 と、氷河期からペンギン

 二本足で真っ直ぐ立っている。身長80cmくらい。艶々の黒色の頭、顎、背中、翼。くちばしと目の間に卵型の白斑。ボテンとしたお腹。

 よちよちと歩いてこちらに来る。くりくりとした目は好奇心の強さを表しているようだ。

『君、だあれ?』

 ペンギンが喋った。

「い……いやーーーっ!」

 扉をバタンと閉める。暑さと大声を出した酸欠のせいで、きゅーっと頭が痛くなって、その場にヘナヘナとしゃがみ込む。

「お姉さん、大丈夫?」

 横から声をかけられる。「ペンギ……」と涙目で言いかけたが、視界に入ってきたのは、大きなリュックを背負った少年だった。

 ……ペンギンな訳がない。きっと見間違えたんだ。子供の前で狼狽えるなんて、恥ずかしい。

「あはは。大丈夫、大丈夫。暑くてちょっとふらついただけ」

 少年に笑顔を作って慌てて立ち上がる。が、立ち眩みでくらっとしてふらつく。と、少年が私を支えてくれる。

「あっ、ありがとう」
「ううん。上がっていい? このまま中まで行くよ」
「うん」

 扉を開けると、いつもの私の部屋だった。少年にもたれ掛かって、ヨタヨタと廊下を進む。少年にはスーパーの袋まで持ってもらっている。「重っ」と言って、大きなリュックとスーパーの袋と私を背負う少年。ああ、自分が情けない。

「うわ、昭和じゃん」

 ギシギシ言う板張りの足元を見て、少年が呟く。

「う……ごめん……」

 少年の言う通り。2LDKのアパートは広いばっかりで、中身はボロボロだ。

 ネジを回して開け閉めする木製の窓。蛇口2つの洗面台。バランス釜のお風呂。中途半端にリフォームされているものの、まだまだ昭和が残っている。でも家賃は安い。

 和室の真ん中に置かれたちゃぶ台に、私はうつ伏せでへたり込む。少年は「はーっ」と言って、荷物をどすんと下ろす。

「ありがとうございます……」
「どういたしまして。クーラー付けるね。えっと……」

 少年はリモコンを手に取って、ピッとスイッチを入れる。冷たい風が吹いてきて気持ちいい。

「お姉さん、お茶入れようか? お姉さん? ……寝てる」

 私は突っ伏してスヤスヤと寝入っていた。

☆☆☆

「はっ!」

 よだれを垂らして目を覚ます。大きなガラス窓から入ってくる日差しが眩しい。

 と、目の前で少年が寝転がって、私のレポートに鉛筆で☓を付けている。微生物学の教科書とともに床に置いていたものだ。

「Clostridium parfringens?」
「えっ?」
「綴りが違うよ。aじゃなくてe。正しくは、Clostridium perfringens」
「はあ……はっ!」

 私はよだれを拭って背筋をピンと伸ばす。

「あっ、さっきはありがとう。私が起きるまで待っててくれたの?」
「まあね」

 少年もゆっくり起き上がって胡座をかく。

「それより麦茶とか飲んだ方がいいと思う。お姉さん、暑さでクラクラしたんでしょ?」
「確かに」

 私は冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップに注ぐ……いや、コップは2つだ。ひとつは少年に渡す。

「ああ、どうもすみません」

 少年はコップを両手で受け取る。私はちゃぶ台で少年と向き合う。時計は12時を過ぎている。少年に急ぐ様子はないが、昼ご飯に帰らなくて大丈夫だろうか。いや。

「助けてもらったお礼するよ。良かったらカレー食べてかない? お家の人に連絡してくれたら……」
「いいの? 食べる!」

 少年は、ぱあっと笑顔になる。夏休みに一人ぼっちで大きいリュックを背負う少年。

「……もちろん。一応聞くけど、家出とか……ではないよね?」
「違うよ。親に断って出てきてるよ」

 少年がムッとする。

「ごめんごめん。じゃあ、用意するね」
「ありがとう。お姉さん」

 私はパタパタと台所に立って、紐スイッチの直管蛍光灯をつける。ティンティンティンと音が鳴る。

 カレー鍋に火をつけて、スーパーの袋の中身を冷蔵庫に片付ける。冷えたマンゴーを見つけて取り出す。と、後ろから少年のご機嫌な声がする。

「カレーの良い匂いだなあ。スパイシーでまろやかあ〜。はあ……夏といえばカレー。でも、夏といえばウエルシュ菌が危険だよね。2日目のカレーには気をつけないとね」 

 饒舌に何を言っているんだ。いや、Clostridium perfringensか。

「これは今朝作ったやつだから、まだ菌は繁殖してないよ。食べたくなきゃ、食べなくていいわよお」

 私は振り返って、張り付いた笑顔で、包丁をキラリとかざす。

「食べます。食べます。すみませんでした」

 少年は正座に座り直している。

「よろしい」

 私は包丁をマンゴーにぶっ刺す。というか、さっきは咄嗟に返事したけれど。

「ウエルシュ菌の学名なんて覚えてるんだ」

 マンゴーを切りながら、ようやく疑問を口にする。

「常識だよ。ジョーシキ。お姉さん大学生なんだったら、ちゃんと勉強しなよー」
「生意気な。してますよ。ちょっと間違えただけじゃない」

 私は振り返って、お盆を運んで机にドンと置く。カレーとサラダとマンゴー。

「バターチキンカレーだから甘いはず。お子様の口に合うと思うよ」
「いただきます……子供扱いすんなよ」

 少年は手を合わせて、お辞儀する。生意気だけど行儀は良いんだよな。ちゃんと教育されている。ということは、放置子ではなさそうだ。

「うまあ」
 
 少年はカレーを頬張る。

「ふふふ。料理には自信があるんだ」

 少年はスプーンを持ちながら、改めて食卓をじっと眺める。

「バターチキンカレーはインド。マンゴーはタイ。セビーチェはペルー」
「え?」
「今日の献立は世界料理だ」
「ほんっとうに博識だね。何で知ってるの?」
「常識だよ」

 少年は部屋を見渡す。テレビ、ちゃぶ台、本棚、扇風機、以上。殺風景な我が家へようこそ。

「ていうか、この本棚、旅行雑誌だらけじゃん。お姉さん旅行好きなの?」
「うん、好きだよ。好きだけど」
「けど。何?」

 私はフォークでサラダをグリグリと突き刺す。

「いやあ。私、乗り物酔いするからさ。遠いところに行くのは、一苦労なんだよね。酔っちゃって楽しむどころじゃないから」

 酔ったことを思い出して、カレーが喉に詰まる。本当に駄目なのだ。

「半端なく酔うからね」

 酔い止めを飲む。車中でキョロキョロしない。十分に睡眠をとる。お喋りしてリラックスに努める……色々試したけれど、効果はなかった。

「旅行したかったから、何度もトライしたけれどね。その度に酔っちゃって駄目だったの」

 駄目の烙印を押されているうちに、冷や汗を書きながら乗車するようになった。ドアが閉まった瞬間から、気持ち悪くなるようになった。

「で、仕方ないから、私は旅に出ることを諦めたんだ」
「ふうん。遠くに行けないの?」
「まあね。ははは」
「えーっ。俺、旅に出られないなんて、我慢できないよ」
「いやいや。だから、エア旅行してるの。本を読んで行った気になるの」
「はあ、意味わかんない」
「意味わかんないかもだけど、私はそれで楽しんでいるのよ」

 両手のひらを少年に向けて、何でもないというポーズをとる。が、玄関扉が視界に入る。冒険の扉の向こうの氷河期を思い出す。涼しい場所に行きたいなあ。

「ミクロの世界を顕微鏡で眺めるより、広い世界に飛び出したい……」

 思っていることがつい口をついて出てしまった。私ははっとして手で口を塞ぐ。

「ううん。ドアを開けたら、すぐに旅行できるのが羨ましいなって思っただけ」

 少年は三角座りして首を傾けている。皿は既に空っぽだ。

「行く? ここ、昔は海だったはずだよ」

 少年は立ち上がって、リュックからブレスレットのようなものを取り出す。と、それを扉に付ける。

「行き先は1000年前」

 少年はブレスレットの文字盤を操作する。

「よし。お姉さん、水着ある?」
「へっ? あるけど何?」

 少年が扉を開ける。眩しい光が入ってくる。と、目の前にはキラキラ光る砂浜と果てしないビーチ。水平線が見える。私はスプーンを持ったまま動けない。

「俺、神崎千隼。よろしく、お姉さん」
「朝倉奈緒です……よろしく」

☆☆☆

 水着に着替えた私たち。千隼は大きな浮き輪を持っている。扉から出ると、誰もいない何もない砂浜と海。後ろは山。水平線の向こうには入道雲。太陽は現代と変わらず燦々と照りつける。

「1000年前だよ」
「暑っ……本当に来たの? 1000年前って、何時代?」
「もー、大学生だろ。受験勉強はどうしたんだよ。平安時代じゃん」

 平安時代。見渡す限りで人も住居もなく、実感が沸かない。

「平安時代? めっちゃ暑いじゃん。雅〜なイメージと違うよ」
「平安時代は中世温暖期だからね」
「ちゃうせいおんだんき?」
「ええ……ナオ頭良くないの? 世界的に気候が温暖だったんだよ」
「ちょっと。さっきから失礼なことばっかり言ってない?」
「いやいや。まあ、普通に真夏ってこと」

 確かに。ただ、海の透明度が違う。エメラルドグリーンに輝くそれは、まるで南国リゾートだ。千隼は海に向かって走っていく。

「冷たっ」

 千隼は波打ち際に浮き輪を放り投げて、足踏みする。

「ええ? 大丈夫?」

 私は立ち尽くしていたけれど、千隼の後を追いかけて海に入る。と、千隼が海水を両手でかけてくる。海水が顔にかかる。暑さのせいで、海水が肌の上でジュワッと蒸発する。ああ、本物だ。本当に扉を開けて海に来たんだ。じゃあ。

「あの扉は何なの!」

 私は叫ぶ。

「タイムトンネルを作ったんだよ! 時空変換装置を付けてね!」
「あのブレスレット?」
「そうだよ!」
「千隼、あんた何者なの!」

 私も海水を両手でかけ返す。千隼が右腕で顔をカバーする。

「ナオから見れば未来人だよ! 時間旅行中の未来人!」

 千隼の目は腕で隠れて、口しか見えない。少し不気味でドキッとする。と、腕が下がって千隼の笑顔が弾ける。私はほっとする。

「だって、こっちも夏休みだからね! 夏といえば海でしょ!」

 千隼は浮き輪を両手で持ち上げる。ふたりで浮き輪につかまって、沖に向かう。
 
「夏休みに時間旅行なんて、未来人はスケールが大きいね!」
「普通だよ! こっちではフツー」
「あはは。未来に夢が広がるなあ」
「あっ、内緒だよ! 誰にも言わないでよ! 怒られちゃう」

 千隼が浮き輪の向こう側で、シーッと人差し指を立てて忠告してくる。

「言わないよ。こんな夢みたいなこと、誰も信じないと思うけど」

 海に来るのは何年ぶりだろう。子供のころ。まだ乗り物酔いが酷くなかったころに、来た覚えがある。私は海で泳げたのだ。
 
 手を広げ浮力に身を任せて、海の上に仰向きに寝転ぶ。平安時代も空は青い。

 雲を追いかけながら背泳ぎで泳いでいると、どこまでも行けそうな気がしていた。

 と、いつの間にか、千隼から離れていた。千隼は波打ち際で砂の城を作っている。私がいるのは遠く静かな海。気持ちいいけれど。

 ……急にぞわっと不安になる。知らない時代で、ひとりぼっち。早く千隼のところに戻ろう。沖は危ない気がする。と、体の向きを変えたときに足が攣る。

 海が揺れて波が来て、顔に海水を浴びる。慌てて手でもがくが、余計に沈む。海水が口を塞ぐ。

 私、溺れてる!?

 もがけ! もがけ! 手をバタつかせるも、全然浮上できない。どうしよう。また、海水を飲んだ。パニックになる。バシャバシャと水をかく。

「ナオ! 手足の力を抜いて! 焦るな!」

 千隼が叫びながらこっちへ泳いでくるのが見える。力を抜く……って、手足をどう動かしたらいいの! と、視界に黒い魚雷のようなものが映る。

 いや、ペンギンだ。凄い速さでこちらに泳いでくる。普段の、のんびりした動きとは別人じゃん。

 そういえば、図鑑で見たことがある。ペンギンは水深300メートル近いところでも、イカや魚を取っていて、その深海から一気に泳いで海上に上がってくるらしい。

 水圧をもろともしない。何たるタフネス。

 ペンギンの泳ぎに釘付けになって、いつの間にか手足の力が抜けていた。私の体は海上にふわりと浮かぶ。

「ナオ! コータローに捕まって!」

 ペンギンがスーッとビート板のように仰向けに横たわる。私は両手を伸ばしてペンギンを抱きしめる。脂肪いっぱいのお腹が温かい。もたれかかって、落ち着く。「はーっ」とため息をつく。空気を吸い込める。助かった。

「コータロー?」

 ペンギンに向かって問いかけるが、もちろん返事はない。首だけ回して私を見ている。千隼がこちらに泳いできた。

「うん。こいつの名前」
「ええ? どこから来たの?」
「ちょっと小さくなっててもらってたんだ。ずっとそばにいたよ」
「ずっとそばに……」

 ペンギンが逞しく見える。こんな大きな支えがずっとそばにいたなんて。

「ナオ、気を付けてよね。ここそんな深くないのに、溺れるときは溺れるんだから」
「深くない? ……ああ、本当だ」

 足先のすぐ下に石ころが見える。浅瀬だ。全然怖くない。「ははは」と笑ってしまう。

「でも助かった。いや、助けてもらってばっかりだね。恥ずかしい」
「いいや。旅は道連れ世は情けじゃん」

 未来人め。古い言葉を使うじゃないか。

「ありがとう。今度は私が助けるよ」
「へっ、期待しないで待ってる」

 千隼はニカッと歯を見せて笑う。コータローも千隼も心強い。

 いつの時代のどこかわからない場所。家から遠く離れた地点なのに、私はとても安心していた。

☆☆☆

「ドアを開けるともう家で、すぐにシャワーを浴びれるなんて最高……」

 私はバスタオルを首からかけて、扇風機の前で「あーっ」と声を出しながら涼む。目の前をコータローがヨチヨチと歩く。

「ねえ、コーヒー牛乳飲む?」
「飲むー。って、銭湯みたいだね」
「いいじゃない。私は銭湯よりご機嫌だよ」

 冷蔵庫を開けてコーヒー牛乳をふたつ取り出す。ひとつは千隼に「ほい」と渡す。千隼もバスタオルを首からかけて、半袖Tシャツに半ズボン。

「ありがとう。あ、コータローにもご飯あげなきゃ」

 千隼は急に思いついたようで、コーヒー牛乳をちゃぶ台に置く。

「ねえ、コータローはどこから来たの? コータローも未来人?」

 私は千隼に問いかける。「違うよ」と千隼は言いながら、リュックから生魚を取り出して、コータローに投げる。コータローはうまく嘴でキャッチして、ゴクンと飲み込む。

「氷河期に行ったときに、岩にひとりぼっちで立っていたんだ。懐いたから連れて来た」
「ええ? 野生のペンギンって、そんなに懐くもんなの?」

 千隼はまた生魚を投げる。コータローはキャッチして飲み込む。

「人懐こかったよ。ていうか、危機感がないというか。平然としてるっていうか」
「へー」
「突っ立ってたから、簡単に連れて来れた」

 私はコーヒー牛乳のストローを加えながら、玄関に突っ立っていたコータローのことを思い出す。

「そういえば私、コータローが話したの聞いたんだよ。あれ、暑すぎて幻聴だったのかなあ」
「幻聴じゃないよ」

 千隼はリュックからキラリと光る黄色のビー玉のようなものを取り出す。と、それをピッとコータローの方に投げる。コータローは口を開けてゴクンと飲み込む。

「ん?」

 生魚じゃない。

「今、何食べさせたの?」

 千隼はニヤリと笑う。

「コータローに聞いてみなよ」
「いや、そんなん答える訳が……」

 私は笑って、コータローの方を振り返る。

『ありがとう。でも、まだ欲しい。これ美味しいなあ』

 コータローが喋っている。私は目が点になる。デジャヴ。これ朝に見たやつだ。コーヒー牛乳パックをポロリと落っことす。

「わーーーっ!!!」

 私は千隼の後ろに隠れる。

「ペンギンが喋った! 何これ?お化け?」
『お化けじゃないよ。コータローだよ』
「いやあああ! また喋った!」

 私は千隼の肩をがっちりと掴む。千隼はちゃぶ台のコーヒー牛乳を手に取って、呆れた顔で振り向く。

「翻訳飴で喋れるようになっただけだよ」
「ほんやくあめ?」
「動物の言葉を翻訳する飴。さっき食べたじゃん」
「さっき……ビー玉みたいなあれか。未来は、何でもありなんだね……」
「この飴は俺が作ったの。すげえだろ」
「ああ……すごい……本当に……」

 千隼はどう見ても小学生。高学年だとは思うけれど。呆けている私を放って、腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲む千隼。銭湯のお作法が堂に入っている。

 でも、私の微生物学のレポートを添削したり、世界料理を当てたり、平安時代の気候を知っていたり。小学生の頭脳じゃない。

「……千隼、実は大人なんじゃないの? そんな外見だけど、大人?」

 千隼は「はあ?」と言って、きょとんとする。と、急に憂いを帯びた表情になる。

「そうなんだ。不測の事態で子供の姿になってしまって。本当はナオよりずっと大人の男性なんだ」
「そうなの? 何歳なの?」

 やっぱり。こんな子供いる訳ないと思っていた。私は両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、真剣に話を聞く。

「28歳なんだ。俺は天才科学者で、ノーベル賞級の発明をいくつも成功させていた。世界を救う発明をね。正直……歴史に名を残すと思う。でも、永遠の寿命を得る薬を追い求めた結果、重大な事故でこんな姿になってしまったんだ」

 28歳で歴史に名を残す程の発明!

「すごいわ。千隼……さん。さっきまで子供だと思っていたの。失礼なことをたくさん言ってしまって、申し訳ありません」

 私は深々と頭を下げる。千隼はゴホンと咳払いをする。

「いやいや、頭を上げてくれ。ナオが単純……うっかりなのは十分にわかっている。正直、俺は俺以外の人間はバカだと思っているけれど、それでもナオは愛おしいバカだよ」

 ん?

 千隼は大人ぶって格好つけているけれど、千隼の周りにキラキラした星が飛んでいるけれど。何だか芝居がかっている気がしてきた。しかも、俺以外はバカって何よ。

「……千隼さん、本当に28歳なんですよね? お付き合いされている方はいないんでしょうか? こんな小娘の家に上がり込んで、シャワーなんて浴びていて、大丈夫なんですかあ?」

 千隼の動きがピタッと止まる。

「お付き合い? ええと……大丈夫。彼女? とかいないよ。シャワー?……はすみません…ええと……」

 少年め! 急に挙動不審か!

「もう一度伺いますが、本当に28歳なんですよねえ?」

 私の迫力に千隼はピシッと固まる。

「違います……調子に乗りました……」
「よろしい。もう、天才少年なんじゃない。で、私が単純バカだって?」
「いや、そのお……はい」
「単純バカの自覚はあるけども! もう、歳上をからかわないでよ」
「うっ、すみません……でも、完璧な未来の予定だよ。俺は歴史に名を残す科学者になるんだ」

 私は腕を組んでため息をつく。千隼は博識で行動力もある。未来ある少年がしょんぼりしている。

「もういいわよ。千隼が賢いのも、すごい飴を作ったのもわかってる。すごい科学者にもなれるよ、絶対」

 千隼は涙目で「うん」と答えた。

☆☆☆

 千隼のリュックから落ちた飴が廊下を転がっていく。コータローは飴を追いかける。飴は玄関を滑り落ち、ドアの隙間から外へ。コータローはドアをギィと開けて外へ出ていく。

「あれ? コータローは?」

 私はコータローがいないことにようやく気付いて、キョロキョロと辺りを見渡す。

「あれ? どこ行っちゃったんだろう? あっ!」

 千隼が開いた玄関扉を指差す。

「まずい……外に出ていったの?」
「やばい、コータロー今喋れるんだよ。人に見つかるとマズい!」

 千隼が廊下を走って外に出ていく。私も後を追いかける。

千隼「コータロー!」

 玄関扉の隙間から千隼がしゃがんでいるのが見える。扉を開ける。コータローが廊下の柵にもたれ掛かって、ぐったりしている。

奈緒「コータロー!」
『クエッ、クエッ……喉がチクチクする』
千隼「チクチク?」
奈緒「コータロー、もしかして木の棒とか食べてない?」
『木の棒……? 茶色い棒なら食べたよ』
千隼「木の枝のトゲがチクチクしてるのかなあ?」
奈緒「いや、木の枝って硬いじゃん。それが食道や胃を傷つけていたら大変じゃない?」
千隼「えっ? どうしよう。コータロー……」

 コータローは柵にもたれ掛かって、ぐったりしている。病院に連れて行かなきゃ。ペンギンって、どこで診てもらえるんだろう。動物病院は……。

「うちの大学の獣医学部がよく使ってる動物病院があったはず……」

 私はスマホを取り出して検索する。急行電車の終点。

「コータローを病院に連れて行くわ。コータロー、今度は私が助けるからね」
『ナオ、ありがとう』
「俺も行く!」

第二話

第三話


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