時空少年CANDY【第ニ話】君の飴の絶対的信用
コータローにバスタオルを巻いて、抱き上げる。まるで、おくるみに包まれた赤ちゃんみたい。駅まで早足で歩く。改札をすり抜けると電車がやって来る。早く病院へ行かないと。早く、早く。
あ……電車。
夢中で来たけれど、私は電車に乗れないんだった。
『3番ホーム、K大学獣医学部前行き急行電車が参ります』
風で髪が舞い上がる。久しぶりの電車だ。ドクンドクン。心臓の鼓動で体が揺れそう……いや、揺れているんじゃない。震えているんだ。電車が来る。
もう逃げられない。
『黄色い線の内側でお待ちください』
電車のドアが開く。手のひらが汗でベトベトだ。コータローを抱きしめて中に入る。
席に座るが、所作なくソワソワする。深呼吸をしなくては。口をパクパクと動かす。
コータローは『クエ?』と鳴いて、モゾモゾする。寝ているようだ。
一方で、私は気持ち悪くなってきた。顔をコータローのタオルの中に埋める。
耐えろ! でも、正直ホームに戻りたい。ここから出たい。ああ、これじゃあ、どっちが病人なんだか、わかりゃしない!
「ナオ!」
声が飛び込んできた。私は千隼の方に顔を上げる。
「へっ、何……?」
隣に座っている千隼が、右手を私に突き出す。手のひらにはピンクの飴。
「俺が作った目茶苦茶よく効く酔い止め」
「酔い止め?」
「今すぐ飲んで。口開けて」
口を開ける。千隼が私の口に飴を放り込む。ぽうっと温かい光が体の中に入った気がする。飴が甘い。とても甘い。
「俺が作ったの。絶対効くよ」
「絶対?」
「絶対。だって、俺は天才なんだから」
「ふ……ふふっ」
「何?」
「いや、理由がちょっと頭悪そうだなって」
「何だよ」
「ごめん、信じる。千隼が天才だっていうことは知ってるから」
思わず笑ってしまう。電車が走り出す。千隼が作ってくれた飴なら大丈夫。すーっと息を吸って、祈るように上を向く。と、吊り下げチラシが視界に入る。水族館でペンギンが遊んでいるチラシ。
コータローを元気にしなきゃ。
体が弛緩していく。私の足は地にしっかりついていて、電車が揺れても、もう震えなかった。
☆☆☆
私たちは改札を抜けて、すぐ目の前の動物病院を目指す。
「千隼、早く!」
「ちょっと待って! コータロー持ってるくせに速すぎだろ……」
「何か言った? すぐそこだよ!」
自動ドアが開くのももどかしく、ドアが開いた隙間をすり抜けて、病院の中へ飛び込む。
奈緒「すみません! ペンギンを診てください!」
受付「ペンギン?」
奈緒「木の枝を誤飲したみたいなんです」
受付「少々お待ちください。ペンギンはちょっと……電話で確認します」
奈緒「お願いします! ぐったりしてるんです」
受付「とりあえず、こちらにご住所等をお書きください」
奈緒「わかりました。あっ、私ここの学生なんです。これで何とか診てください!」
受付「そう言われましても……」
私は学生証を取り出して受付に置く。戸惑う様子で電話をかけようとする受付女性。と、後ろの扉から白衣の初老男性が出てくる。
受付「あっ、先生」
先生「どうしたんですか? おや、この子は……」
奈緒「すみません、誤飲です! ペンギンがぐったりしているんです! どうか診ていただけませんか?」
先生は学生証をちらりと見る。
先生「ちょっと内視鏡で診てみましょうか」
☆☆☆
コータローは私の膝の上でケロリとした顔で座っている。診療室で先生と私たちは向かい合って座っている。
先生「内視鏡検査したところ、小さな木片が喉と胃に複数見つかりました。内視鏡でそのまま取り出しましたよ」
先生はカルテを見ながら微笑む。私はほっとする。と同時に恥ずかしくなって、赤面して俯く。
奈緒「ありがとうございます。すみません、大騒ぎして」
先生「いえいえ。誤飲で来られる方もいらっしゃいますから。中には重篤なものもありますので」
奈緒「重篤って……」
先生「電池とかね。放っておくと胃に穴が空いちゃう」
奈緒「怖っ」
私は痛さを想像して青ざめる。
先生「ははは。今回は小さな木片で良かったですよ」
奈緒「はい。いや……お恥ずかしい。すみません」
先生「まあ、謝らないで。ぐったりしてたら心配しますよね。大したことなくて良かったじゃないですか」
奈緒「恐縮です……お忙しいところありがとうございました。失礼します」
お辞儀をして診察室から出る。
(若い医師とすれ違う。診察室に若い医師が入ってくる)
若い医師「先生、今のペンギンですが、あれは……」
先生「うん? まあ、いいじゃないか。私はあの子に元気でいてほしい。科学者の……人間の犠牲にならないようにね」
若い医師「そうですか……」
☆☆☆
病院から出ると、コータローはジタバタして抱っこから出ようとする。
奈緒「コータロー、何? 出たいの?」
『クエッ』
奈緒「あれ?」
千隼「翻訳飴の効き目が切れちゃったのか」
奈緒「でも、見るからに下りたそうなのはわかるわ」
コータローを下ろすと、そばを歩いている幼稚園児が「あー、ペンギンさんだあ」と言ってこちらを指差す。
「冷静になると、コータロー目立つね」
「うーん。お腹も元気になったし、これ食べさせようか」
幼稚園児が去り、誰もいないことを確認した千隼は、青色の飴を取り出してコータローに飲ませる。と、しゅるるるると、コータローが手のひらサイズに小さくなる。
「おお!」
「小型飴だよ」
千隼はコータローを手のひらに包みこんで、そのまま胸ポケットに入れる。
「便利だねー」
と、私は平安時代の海の中で、急に出現したコータローのことを思い出す。
「あっ、それで平安時代でも小さくなってたんだ」
「そのとおーり」
「いやあ、やっぱ天才だね。酔い止めもすっごく効いたもん。さすがだね」
千隼は目を丸くして「やっぱり単純だな」と呟く。
「あれはただの飴だよ」
「えっ?」
「おまじない。プラセボ効果ってやつじゃん。ナオは単純だから引っ掛かりやすかったんじゃない」
「まじか……」
「だから」
「ん?」
「ナオはもう、どこにでも行ける」
千隼が笑う。私は胸が熱くなる。ピンク色の飴をなめたときに感じた温かい光が今、胸の中に灯った気がした。
☆☆☆
(アパートの中)
「さて、コータローも元気になったし、元の世界に帰ろうかな」
「え?」
千隼がリビングに置いていたリュックを背負う。
「そっか、帰っちゃうんだ」
旅行だもんな。仕方ないよね。
「また来てよね。楽しかった。ありがとう」
「また来るよ。俺も楽しかった。元気でね」
未来への扉が開く。扉の向こうから光が差し込む。
「ありがとう、電車のことも。またね!」
私は叫ぶ。千隼は振り返って微笑む。扉が全開になる。千隼は前を向いて歩き出す。
「さようなら……」
扉の向こうには未来の世界が見えるはず。
「ん?」
扉の向こうに見えるのはボロい木の塀と、瓦屋根の家。と、塀に手をついたモジャモジャの頭髪のおじさん。
「Das klingt irgendwie traurig……ゴホゴホッ」
千隼が「あれ?」と呟いてキョロキョロする。何か未来の雰囲気じゃない。むしろ昭和? いや大正?
咳をしていたおじさんは、千隼に気づいて振り向く。
「Junge! Guten morgen!」
おじさんはニコニコしながら千隼の頭を撫でる。
「えっ? 何なに? あっ、そうだ。プリーズ。これデリシャス。あげます」
千隼は頭をくしゃくしゃされながら、おじさんに黄色い飴を差し出す。
「Danke schön」
おじさんは飴を袋から取り出し、あっさりと口に運ぶ。私も扉からそーっと出ていく。
「寒っ」。思わず両手で両腕を掴む。周りは閑静な木造住宅街。扉は石垣に付いている。
「ありがとう。おいしいです。歩き回って疲れていました」
おじさんは頭ボサボサだけれど、髭だけは綺麗に切り揃えられている。黒い帽子を被り、ダブルボタンのコートの中にはスーツを着ているが、ズボンは穴が空いたようで、繕いがしてある。
千隼「どういたしまして」
おじさん「おお、君はドイツ語が話せるのですか? 素晴らしい」
千隼「ちょっとだけね。おじさんはどうしたの?」
おじさんはポケットからパイプタバコを取り出す。そして、残念そうな顔をする。
おじさん「刻みタバコが切れてしまったので、タバコ屋さんに買いに行ったのですが、肝心の刻みがなかったのです」
奈緒「何だ、そんなこと……」
おじさん「お嬢さん、そんなことではありません。異国の地で勇気を振り絞って、朝からタバコを買いに行ったのに……悲しい」
奈緒「あ……すみません」
私はお辞儀する。と、おじさんの顔が綻ぶ。
おじさん「いいんですよ。お辞儀とは……やはり日本の方は礼儀正しいですね」
千隼「あの、それより」
おじさん「おお、少年。どうしました?」
千隼「今日って、西暦何年ですか?」
おじさんは首を傾げる。が、思い出したようで笑顔になる。ペンギンみたいに人懐っこい雰囲気だ。
おじさん「1922年12月9日です」
千隼「1922年?」
奈緒「過去じゃん……」
驚く私とは対照的に、千隼は手を口に当てて考える様子をする。
千隼「時空変換装置が壊れちゃってるな……タイムパトロールに連絡するか? いや、罰則がつくのは嫌だな……」
千隼がブツブツ言っているので、私はおじさんに挨拶する。
奈緒「じゃあ、私たちこの辺で。千隼、一旦戻ろう」
千隼「あっ、うん」
おじさん「ちょっと待ってください。少しお話しませんか?」
千隼「ごめん、おじさん。急ぐんだ」
おじさん「ええ、残念です……」
千隼「あっ、すみません。僕、神崎千隼と言います。おじさん、お気をつけて」
おじさん「ありがとう。僕はアルベルト・アインシュタイン」
私と千隼は固まる。
奈緒・千隼「えっ?」
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