《衝撃のベストセラー》〝私たちは売りたくない〟を取り急ぎご紹介致します。
製薬会社の現役社員チームの衝撃の著作
~以下、Amazon推薦文~
〝日本で最もたくさんのワクチンを商品として販売してきた製薬会社。
その会社で若手のホープとして期待を集めていた影山晃大氏が、29歳で突然の死を遂げた。
原因は、2回目のコロナワクチン接種。
国は後に彼の死と接種との因果関係を認めた。
被害者認定は受けたが、彼の死亡に衝撃を受けた同僚社員たちは、mRNAワクチンの危険性について広くリサーチを始める。調べるほどにわかったことは、コロナワクチンをめぐる厚労省の施策が、それまでの医薬業界の倫理や常識をズタズタにする異常性に満ちていた事実だった。
この「常識外れ」の原因は、一体どこにあるのか?
亡くなった彼や遺族の無念に思いをいたし、有志数名のチームで、今後新たなワクチン薬害を広めないようにと本書の執筆を開始を決意した。
著者名は「チームK」。
亡くなった影山晃大氏の無念を無駄にすまいとの思いによる命名であった。
本書では、あくまでも、厚労省を始めとする公的機関や、会社のプレスリリースなどで発表されているオープンソースのデータをもとに、さまざまな検証が進められている。
次に来る危機の中心として、世界に先駆けて日本だけが承認した「新mRNAワクチン=レプリコンワクチン」の本質的危険性を訴え、この新ワクチン販売に経営資源を集中投下する自社に対し、本書を通して再考を促す。
仕事として、安全性が全く担保されていないレプリコンワクチンを病院や医院に売らなければいけない立場だが、自分達の良心との葛藤は強まるばかり。
「この商品だけは売りたくない!」
「家族や子供、友人・知人にも打たせたくない!」
「誇りを持って働いてきた我が社のためにも、なんとか止めてもらいたい!」
若くしてコロナワクチンのためにこの世を去った同僚の死を無駄にしないためにも、一人でも多くの読者に真実の情報を知らせたい。
そして自らの意思で正しい未来を掴んでほしい。
狂気の政策の同伴者であることを拒否しようと叫ぶ、医療業界内部からの熱き良心が形となった1冊〟
人は自分の考えや感覚に殉じる生き物。
筆者が 、新型コロナワクチンを接種しなかった理由については、以前の記事にて既に書いたが、当記事を執筆するにあたり、再度、そこの詳細に触れておこうと思う。
当時、外資系のメーカーで営業社員だった私は、会社からワクチン接種を推奨され、正直なところ、非常に迷っていた。
〝打つべきか、打たざるべきか〟
幼少時、ハンコ型のBCGワクチンこそ接種したものの、その後、筆者がワクチン接種をことごとくスルー《特にインフルエンザ》してきたのは、要は
〝打たなくてもかかっていないから〟
という理由に尽きるわけで、それは志村けんや岡江久美子の命を奪った、恐ろしい新型コロナに関しても同様だと《半分くらいは》考えていたのである。
〝とはいえ、皆、打ってるしなぁ・・・。打たなきゃ重症化するっていうし・・・。でも、ワクチンの効果って、全然ピンと来ないんだよなぁ・・・さて、どうしよう?〟
無論、《集団免疫》の観点からすれば、筆者はいわゆる〝非国民〟なのかもしれない。
ただ、子宮頚がんワクチンの副作用のニュース等を見聞するにつれ、私はいつからか、ワクチン全般に対して、懐疑的な見方をするようになっていた。
何より〝新型コロナ〟というウイルスに対して感じていた違和感から、当ワクチンについても、先ずは自分なりに調べ尽くしてからーーーつまり、接種するにしても、それは納得してからだな、と。
そして主に、YouTubeで情報収集、様々な動画で見聞を広め、最終的には、下記の動画を視聴したことをきっかけに、接種しないことを決めたのである。
この動画内でジョコビッチが言っていることは、誰がどう聞いても至極〝普通〟ではないだろうか?
にも関わらず、インタビューする側は、奇妙なほどに同調圧力を推しつけているように見える。
〝何なんだろ?この拭えない違和感は?まともな感覚を、何故異端扱いするんだろ?しかもジョコビッチは、接種する方々の〝接種する〟という意思や選択に、異を唱えているわけでは全くなく、尊重さえしているのに?ならば〝打たない〟という意思や選択も、尊重されて然るべきじゃないのか?今はまだ強制でないなら、自分自身で選択できるのなら、私は打たない。接種するのはあくまで治験がしっかりと成されて、充分な安全性と効果が確認されてからでもいいんじゃないか?〟
・・・そう、残念なことに、筆者には先のことを見越せるような先見性は、欠片もないwww
ただ単に、このインタビュアーの態度が自分の中でどうにも引っ掛かり、気持ち悪かったというのが、ワクチンを接種しなかった決定的な理由である。
だから当然、筆者は自分以外の選択には、それほど強く口を挟まなかった。
その結果、私の両親や妻は複数回接種しているし、接種を迷っていた何人かの同僚に相談された際も、
〝もうちょい様子見たら?亡くなった人もいるし〟
と軽く助言はしたものの、結局、彼らは自分の意思で、全員がワクチンを打ったのである。
《両親や妻が接種した際も少し懸念は伝えたが、当時は筆者自身がそこまで重く捉えていなかった》
それから月日は流れ、現在。
接種した父は痰が常に絡むようになり、母も謎の背中痛に見舞われ、妻は頻繁に下痢を起こすようにはなったものの、ありがたいことに皆、それぞれ一様に元気である。
彼ら三者三様の症状についても《正直少しの疑念はあるが》別にワクチンのせいだと確信しているわけではないし、家族が打ったこと、自身が打たなかったことについて、どちらが正しいとか誤りとかも、考えたことはない。
何せ、日本人の8割が接種したような〝打って当たり前〟に近いワクチンである。
それを今さら、良いだの、悪いだのと言っても、何も始まらないではないか?
それに、仮に筆者が当時、父や妻《2人とも頑固だw》の接種に対して、強い言葉で反対していたとしたら・・・恐らく彼らとの関係性は悪化していたように思う。
〝こいつは一体、何をわけのわからんことを言ってるんだ?妙な洗脳でも受けたか?〟
間違いなく、父あたりはそう思っただろうwww
よほど柔らかい頭でも持ち合わせていない限り、人は結局、自分の考えや感覚に殉じて生きるものだ。
ならば、過ぎ去った過去に囚われるくらいなら、未来のことを考える方が、よほどに良いではないか?
で、その《未来の話》について、である。
今、世界の国々の中で、新型コロナウイルスの新たなワクチン接種を《今さら》開始する国は、日本くらいのものだろう。
さらに言えば、このレプリコンワクチンが承認され、あまつさえ、生身の人間に接種が行われる国は、日本ただ一国のみである。
つまり、世界中の全ての国々が承認していないようなそんなワクチンを、なぜか日本政府は、自国の国民に使用するわけだ。
10月に接種が始まる、その〝新しいワクチン〟についての筆者の認識は、以前のワクチンとは全くの〝別物〟である、ということ。
そう、レプリコンワクチンついての情報は、前項にて取り上げた著作を初めとして、もはや出尽くした感さえあるではないか?
ところが先日、筆者は上司《同年代》とランチを共にした際、やんわりとその話題について触れてみたのだが、上司はレプリコンワクチンのことを全く知らなかった上に、その危険性をさりげなく伝えても、危機感どころか、興味を覚えた様子さえ見せなかったのである。
《おかしい・・・。これだけ情報が溢れているというのに、何でこの人には何も届いてないんだろう?しかも自分自身や家族の健康、下手したら命にさえ関わる話なのに、この能天気ぶりは・・・www 》
まさか、今時、TVメディアしか見ない、ということなのだろうか?
筆者は、思わず尋ねずにはいられなかった。
「本部長、YouTubeは見るんですか?」
「毎日見てますよ」
「じゃあ、新型コロナワクチンについての動画とか、目にしたことないですかね?」
「そういう系は見たことないですね」
「ああ、そうですか・・・ちなみに本部長の娘さん、SNS世代ですよね?レプリコンワクチンについて、何か言われたことないですか?」
「いや、そういう系の話はしないですよね」
まさか《そういう系》とは、私の話を〝オカルト系陰謀論〟だと捉えている、ということか?w
《変な奴だと思われるな、もうやめとこwww》
つまりはこれが、現在の、大半の日本人の感覚なのだろう。
〝医薬品メーカーの営業本部長がこの調子だもんな。これじゃあワクチンがレプリコンになっても、接種する同僚、何人か出てくるだろうな・・・。〟
一瞬、伝播《シェディング》の懸念を本部長に伝え、彼から周囲に周知していただき、月に1度ある会議においての拡散を防がなきゃ・・・と思ったりもしたのだが、私は即座に、首を横に振った。
考えてみれば、そこだけ防いだところで何にもならないではないかwww
私の仕事は毎日毎日、大勢の人間に溢れる、店舗を巡る営業である。
妻も妻で、大勢の方との接触を避けられない介護関係の仕事だし、何より我が子は日々、汗だくで走り回り、教室という密室に集い続ける小学生だ。
レプリコンワクチンが仮に既出の情報通りのシロモノなら、接種者、もしくは、接種者から影響を受けた人が、それら集団の中に1人でも紛れていた場合、その影響を自分、及び自分の家族が回避し続ける、というのは、先ず不可能と言っていいだろう。
〝つまりは、いくら懸念したところで、用心したところで、今さらどうすることもできない、ということか・・・〟
筆者は最近、日本という国は、もうそんなに長くないのではないか、という危機感を覚えずにはいられない。
先日、中国国内で、日本人の親子が襲われ、母親の目の前で刺された10歳の児童が死亡した事件があったが、それに対して、中国政府は然るべきリアクションを取らず、そしてリアクションを取らない中国政府に対して、日本政府は毅然とした対応を取らない、いや、間違いなく取れないだろう。
民主主義国家とは、書いて字のごとく、
《自国の国民1人1人の権利を国をあげて守る》
国民が主たる、そんな素敵な国ではないのか?
現在の、何をされても〝遺憾〟としか言えない日本政府の立場の弱さでは〝民主主義〟なんて絵に描いた餅ではないか?
今の日本、及び日本国民の命は、ただ単に大国の思惑、及び悪意に、弄ばれているように感じる。
私たちはこのまま何もできず、最後の日本人になるしかないのだろうか?
今にして、偉大なる三島由紀夫が命をかけて表明した懸念が少し、解るような気がする。
ではまた。
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