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おんがくをかくかくをかく弐

キーボードを担当していた高校の同級生、S。
服飾の専門を出てからは、イタリアに渡った。
向こうで仕事を得て 何年かなあ、ある時帰国し、都内で働いて そして結婚した。
かつて バンドの練習中、彼女は
勢いと感情のみでうたう私に、鍵盤を指一本でクールに軽く叩きながら、
「ノタさん、これ。この音。」と
私が発するズレた音を示して見せた。


バンドやるぞ、歌うんだぞ、ってなる前に自分のチカラを過信しちゃってる人は 少なからずいると思う。や、私くらいか。
とにかく、音楽理論をきちんと学んでいたり譜が読める人たちからすれば、こんな私は野生のケモノみたいなもんなので、
ああ、そっち行っちゃダメです、そこでおとなしくしててくださいもーう、ノタさん!
ってなるわけです。
レスポールを買ったけど、ろくに弾けず というか私がヴォーカルとしてとっ散らかり過ぎていて、向き合うことが無かった。ダメねえ、バンドやっててそんなの。
詞を書いて、告知ポスターをデザインから描いて、他のバンドの兄ちゃんたちに頼まれ 髪をどれだけ立てられるか、をスプレー持参で奮闘していた、あれあんたホントにヴォーカルなのか?な日々ではありましたな。
なんか女の子には気に入ってもらえていたようで、当時携帯なんか無い時代に 連絡先を自宅にしたら うちのお母ちゃんが訳も分からず対応してたっけ。

楽器は弾けません。
父の友人がくれたアコギや、キーボード、自分で買ったマラカス、タンバリン、前述したレスポールが家にあったけど
歌うことと書くことと描くことだけをしていた学生時代。

あとは、親友のSと ライヴの衣装をいそいそと制作したりしていました。Gジャン色抜いて染め直したり切ったりね。
ドラムのYが スカート履いて女の子らしくしてくれ!
って言うので喧嘩になり(しょっちゅうです)
ほれ、スカート履いてんぞ と現れた私は、黒のタイト(ミニではなく膝丈お姉様系因みにこのとき十六歳)、ブーツ、鋲付きの革グローブ、ゴムの大きな蜘蛛の玩具をピアスに仕立てた自作アクセサリー で、さらにYの気持ちを逆撫でさせた。
スカート?うるせぇうるせぇうるせぇ、って思ってたので、当然わざと である。
可愛く思われたくはない、かっこよくいたかったのだ。
左手首には あちこちで集めた安いブレスレットをジャン、と重ねていたので、ライヴ中に何本かそれが客席へ飛んで行った。
客席の女の子たちが それを返してくれる際、
キャッ、ってされたのは
うちのバンドを気に入ってくれていたからなのか、デカい蜘蛛ピアスが威圧的だったからなのか、未だにわからない。網タイツ履いてたしな。

スカート履いてかっこいい人、で
参考モデルとしたのは シーナだった。

シーナ&ザ ロケッツのシーナ。

すべて逆毛を立てたような爆発直後風の長い黒髪、タイトなドレス、ヒールブーツ、目周りを囲む強いラインと赤リップの化粧。
女という性を出してなお、ファイテングポーズになり得るというイメージを探していて、まあ様々居たけれどしっくりくるのはシーナだった。
ジャンルも含めシナロケとは似ても似つかないバンドだったけれど、
スカート履くならシーナだな、と思っていた。


2015年 シーナは天国へ行った。
それから今年、2023年に シナロケのギタリストであり シーナの夫、鮎川誠も旅立った。

スタイルはずっと変わらないまま、どんなにシンプルが流行ろうと ナチュラルがもてはやされようと、ガンガンに濃くて 淫らで 妖しげで タバコのケムリとアルコールが良く似合う、
ロックンロールを手放さなかった夫婦。

おばちゃんの懐古でしょ、で構わん。
 可愛さやセイケツ感、モテが大前提の当たり障りの無い歌詞、誰もが喜ぶキャッチーなメロディー、
そうじゃない攻めてくる個性が、
もっと来い!!な時間を生きた彼らを
間近でライヴとして受けとめられた私は、しあわせだと思う。

いまでも私は、ゴム蜘蛛ピアス作れます。
ピアスホールは埋まってしまったけれど
時々無理やりそこを貫通させてつけるのは、

よく見るとハエがモチーフのピアス。

シーナ&ザ ロケッツに 盃を。

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