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本当のソロ活
ひとり時間が欲しくなることが、周期的に訪れる。
これは過去の記事にも書いている。記事も増えてきて、だんだん過去の記事を引用することも多くなってきた。
理由としては、
人が嫌いなわけではなくて、日々の生活の中で受け取った情報を、ゆっくり整理する時間が欲しいんだと思う。
一人だと、ゆっくり自分のペースで咀嚼できるから。早食いの人とご飯食べていると、自分がご飯を食べるペースも早まるでしょ。ちなみに、うちの一番上の兄は、飲むようにご飯を食べます。
「人間は考える葦である」の言葉で有名なブレーズ・パスカルも、
人間が引き起こす問題はすべて、一人静かに部屋に座っていられないことに起因する
と言っている。一人でじっくり内省する時間が取れないと、短絡的な行動をしていしまうのは、自分も感じるところ。
一人で静かに物思いにふけなふがら、ノートに思いついたことや感じたことを自由に書き連ねていくと、頭と心が整理される。色んな角度から、物事を判断できる。イライラしている時は、穏やかな心を取り戻すことができる。
孤独な時間は、ある程度、必要なのではないかと思う。過去の記事のネタも、孤独な時間に生まれたものがたくさんある。
だが、しかし。
本当の意味で、孤独な時間は取れていないのではないかと思う。
というのも、テクノロジーが発達した現代社会では、ネットを通じて簡単に外部の情報にアクセスすることが可能だ。
なので、「一人でゆっくり内省するぞ」と意気込んでも、スマホをいじってネットサーフィンをしたりしてしまいがちだ。これだと、孤独時間のメリットが減少してしまう。日々の生活で蓄積した脳の疲労も、とれない。
手軽に娯楽にありつけることは生活を豊かにしたと思うけど、裏を返せば、のんびり過ごす時間も少なくなったと言える。
「一回、スマホやパソコンといった機器を家に置いて、外出してみよう」
そんな突飛な考えを思いつき、試しに実行してみることにした。一昨日の午後。
この記事は、そのレポートなのである。
エッセイを書いていてよかったと思うのは、自分を実験台にして、その研究結果を文章としてまとめることができることだ。研究と言えるほどの、代物ではないが。気になったことを試して、文字として記録しておくことができる。
さっそく、カバンの中に本と筆記用具、紙のノートを詰めてカフェへと向かった。もちろん、財布もね。スマホとパソコンは、お家でお留守番。
チャリを15分ほど漕ぎ、コメダに到着。
角の席に座り、コメダブレンドを注文して、持ってきた本を読む。小説とノンフィクションの2冊。
手持ち無沙汰なので、すぐに本を開き、ページをめくる。
めくったが最後、没頭しまくりで、時間を忘れて本を読んでいた。
途中、休憩で窓から外の景色を眺めたり、周りのお客さんの様子をちらっと確認したりすることはあったけど、それ以外の時間は集中して文章を読んでいた。
ノンフィクションの本を先に読み進めていたのだが、気づけば150ページぐらい読み終えていた。1ページあたりの文字量も、少なくない本なんだけど。
思いついたことや考えたことも、紙のノートにメモった。いつもとは違う思考回路で出てきたアイデアも、多かった。
そして何より感じたことは、「贅沢な時間を過ごせたな」ということ。時間に追われている感覚なんてどこ吹く風、と思えるぐらい、リラックスした時間を過ごせた。脳と心も、しっかり休まった。
たまにはこうして、ハイテク機器を持たずに出かけるのもありだな、と感じた一昨日の出来事なのでした。
あるいは、手ぶらで少し長めの散歩をしてみたりするのもいいかも。メモ帳とペンだけ、ポケットに忍ばせて。
今回の記事は、そんな実験レポートになりました。
脳も休めたことだし、修論も頑張るのだ。
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