ユーモア写像
エッセイを書くようになってから、性格が明るくなった気がする。以前に書いた自己紹介記事でも、軽く触れたが。
とはいっても、それは部屋の明かりを調節するつまみを、ほんの少し回した程度なんだけど。それでも、昔よりは明るくなったと、自分で実感する。
僕はエッセイを書く時、「読者を笑わせてえ」と思いながら、考えを巡らしている。「どうやったら笑ってもらえるかな」と、試行錯誤している。
真面目で深刻な文章を書くことも、もちろんあるけどね。けど、昔よりはユーモラス系統の記事が増えた。
本屋に並んでいるエッセイや、noteのおもしろい記事を読んでいるうちに、「自分も、読者を笑わせる文章を書きたい」という思いが芽生えてきたからだ。
実際のところはスベり散らしているかもしれないが、エッセイに関しては、ユーモアや冗談を交えた文章を、できる限り散りばめようと意識している。
読者に笑ってもらえるような文章を書くことを意識していると、日常生活にも変化が出始めた。
日常の中に潜むおもしろいネタを、勝手に探すようになったのだ。芸人が、ウケる話のネタが転がってないかと、目を光らせているのと同じように。
退屈なとき、嫌なことがあったとき、しんどい状況にいるとき。
一見ユーモアなんてなさそうな場面でも、面白みを見つけ出そうとしていることに気づいた。勝手にいろんな妄想を膨らまし、自分でクスッと笑っている。(もちろん心の中でやっています。急に噴き出す人がいたら、やばいですから。)
たぶんこれが、自分の性格が明るくなった理由だと思う。
ネガティブなことを、ユーモラスなことに変換することが多くなった。
この変換作業は、何か別の用語で言い表せそうだ。
タイトルからもうお気づきかもしれないが、今回も例によって例の如く、数学の話と結びつけたいと思う。
そして今回は、写像の話。
ひろゆきに「シャゾウ?シャゾウってなんすか」と言われそうだが、あの写像だ。
写像の定義は、ええと、ちょっと待ってください、いま教科書開いて確認しますと、
$${X}$$と$${Y}$$を集合としたとき、各$${x\in X}$$に対して、$${y\in Y}$$を対応させる規則のことで、$${f:X \longrightarrow Y}$$と表す。
$${\in}$$の記号は高校数学で見たことあるかもしれませんが、これは「集合の要素である」ことを意味する記号です。
例えば、僕は理系大学院生という集合に属しているので、$${ギア3\in 理系大学院生}$$となります。noteという集合にもいるので、$${ギア3\in \rm{note}}$$だ。
みなさんの頭の中は「シャゾウ?シャゾウってなんすか」状態のままかもしれないので、図で写像のイメージを説明すると
こんな感じ。
集合$${X}$$の要素を、集合$${Y}$$へと写していくのが、写像です。漢字のイメージ通りと言えば、そうですね。
そしてここから本題の、ユーモア写像について考えようと思います。
まず、「ネガティブ集合」という名の集合を考える。
これは、
退屈
心配
不安
イライラ
恥ずかしい
苦しい
孤独
のようなネガティブ感情を沸き起こす状況や、出来事を要素に持つ集合だ。ショックな一言を言われたとか、イライラする言動をされたとか。
だけど、このとき、
「あんなひどいこと言われたけど、あの人だってダメダメなところあるよね」と、
その人の悪いところが暴発して、滑稽な状況になっていることを妄想したり、
自分がイライラに飲まれそうな時は、
顔がゆでダコみたいに紅潮している様を思い浮かべたりすれば、
ちょっぴり微笑ましく思えてきて、ネガティブなことにも、意外と冷静に対処できたりします。
このネガティブ集合から、ユーモラス集合に写像することを、ユーモア写像と呼ぶことにする。
僕の周りにも、ユーモアを飛ばしまくっている人がいるが、あの人たちはこのユーモア写像の達人だ。
恥ずかしい経験とか辛い状況でも、持ち前のユーモアを発揮して、笑いに変えることができる。特に第一線で活躍している芸人たちは、これが非常にうまい。
数字では測ることができないが、このユーモア写像スキルは、どんな環境にいても役立つ万能スキルではないだろうか。あぁ、葬式とかでは不適切だけど。
読者に、はてなマークがポカーンと浮かんでいるかもしれないが、以上でユーモア写像の説明を終えることにする。
個人的な体験談ですが、エッセイを書くことは、このユーモア写像を鍛えるトレーニングになると思いました。
あと、「最悪な出来事が起きても、さいあく記事のネタになるぞ」という謎の安心感も、エッセイを書き始めてから生まれました。
とうとう「どんな嫌な出来事でもネタにできるぞ病」に、罹患しちまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?