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顔出ししない恐さ

こわい。


顔出ししていないので、文章の内容から、読者が勝手に自分像を作り上げていることを考えると。これまでのエッセイの内容とか、言葉づかいとかで、あるいはアイコンなどの与えられたヒントをもとに、僕のことを「たぶん、こんな人かな」とイメージされていると考えると。

だいたいこういう場合って、情報が足りなくてわからない部分は、良いように補完される気がする。マスクしていたら、美男美女に見えやすくなるのと同じ原理。

隠れている部分を、勝手に良い方向に想像してしまうのだ。「こんな見た目してるだろうな」と読者がイメージを膨らませていると思うと、こちら側としてはたまったもんじゃない。いけてるメンズではないということを、しっかり伝えておこう。幻想は早めに打ち砕くべきだ。


それと、性格に関してもそうだ。自分の嫌な部分とかダメダメな部分は、文章で全く見せないわけではないけど、全開ではない。「読者に引かれたら嫌だな」という思いから、隠している部分がいっぱいある。聖人だと、もし想像されているなら、それは大間違い。本当の自分は、クソ野郎だ!いや、クソガキと言ったほうが正しいか。


文章から僕のことを知って、何かのきっかけで実際に会うことになった時、それはそれは恐怖だ。僕に対する期待値が上がった相手の、がっかりする表情が眼に浮かぶ。「全然イメージしてたのと違うじゃねえか」と、思われそうだ。ああ、こわいっ。文章力だけ磨いても、人としての磨きが足りなかったら意味ないもんね。そもそも、人間力磨かずして文章力を磨くのは無理か。

そんなわけで、僕は恐怖を抱いている。変な期待値を上げていないだろうかと。周りの証言をもとに確かに言えることは、ふわふわ系であるらしい。そういや、中学の時に「わたげ」って、あだ名つけられたな。わたげみたいに、ふわふわと風に乗ってかろやかに生きたいものだ。

今は向かい風が、吹き荒れているんですけどもね。


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