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偏差値ゲーム

この前、研究室で就活のことを話していた。

就職にも大学入試の偏差値みたいに就職難易度というものがあって、そのことについて少し話していた。

なるほど、大学と同じように企業でも数字としてランキング化されているのか。誰がそのランキングを作ったのかは、知らない。ネットにそういうものがあるということしか知らない。



そんな就職難易度について考えていると、こんなことを思った。

「え、また大学入試みたいなことやるん?」

できるだけ入るのが難しい企業から内定をもらえた奴が勝ちみたいなゲームを、またやるのか。

偏差値ゲームは、大学まででおさらばだと思っていたのにな。




大学入試の時には、何も違和感なくこの偏差値ゲームに参戦していたけど、今は疑問がある。

どんな疑問かというと、それは「このゲームに参加したら、ずっと欠乏感を感じるのではないか?」ということ。

その疑問を感じた大学入学後の話をしたい。




まだ上があるという欠乏感


大学入試は、どちらかというと満足のいく結果に終わった。

センター試験の結果はイマイチだったけど、行きたかったラインの大学に入れた。受かった時は、ものすごく嬉しかったんだけど、少し後でこんな悪い考えも出てきました。

「受かった自分の大学よりも、もっとランクの高い大学がまだまだあるんだよな。」(大学をランク付けするのも、どうかと思いますが。)

そうなんです。自分よりも入るのが難しい大学のことについて、考え始めたのです。

当たり前ですが、そんなことをすると欠乏感を感じます。「今よりもっと」という欠乏感。




今ならわかるのですが、この偏差値ゲームには終わりがないのです。

常に上がいるからです。

例えば、日本で一番難しい東大に入れたとします。ランキングのトップを取ったかと思えば、東大の中でまた競争があります。

あるいは、海外の大学と比べてしまうかもしれない。オックスフォード大学とか。大学ランキングの一位がオックスフォードらしいです。

で、オックスフォード大学の中でも競争が行われているわけです。本当のトップを取ろうと思ったら、オックスフォード大学の主席にならないといけない。でも、これは一人しかなれない。



偏差値ゲームに参加したら、ずっと満たされないな。

そのことを、大学入試の経験を経て感じました。





偏差値ゲームは大学入試だけに限らない


この経験があったので、就活でも偏差値ゲームに陥らないように気をつけています。

できるだけ入るのが難しい企業に入社することを目標にしてしまったら、大学入試の時みたいに、また欠乏感にさいなまれるからです。

ランキング形式で考えてしまったら、常に自分より上の存在との比較が起こります。



他にもいろんなところで、この偏差値ゲームはあるんじゃないかな。

年収とか肩書きとか、周りから見てどれだけ条件の良い人と結婚できたとか。

外部からの評価で表せるものは、偏差値ゲームになってしまいやすいと思う。これらのものを目標にしてしまったら、充足感を感じづらい気がする。




それよりも、自分の中で評価基準を決めた方がいいと思う。外部からのランキングに惑わされないような。

誠実に生きるとか、親切な心を持つとか、徳がある人になるとか。そういったものを目標にすれば、自分の人生に充足感を感じやすいと思う。

真面目でかたーい話をしてしまったけど、ここまで読んでいただけた方に何か得るものがあったのなら嬉しいです。



よーし。今日も地味な研究の作業を頑張るぞー。

過去の自分と比べて頑張るのもいいですね。


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