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2022年7月|ジェンダーと特権を考える

LAP(リベラルアーツプログラム)での課題です。
去年の自分の答えと今思うこと。

【問題】

【1】以下のそれぞれの状況であなたならどう対応するかを考えてください。

あなたは、インビジブル国に生まれて育った大学生です。インビジブル国には、格差がなく、誰もが平等に暮らす社会だと感じてきました。ところが、政権が変わり、実はこの国には世界でも最下位にランクされるほど、大きな格差が存在することが、発表されました。そして、国民の一人一人に生まれながらにしてついていた特権スコアが通知されたのです。

状況1:あなたは特権スコアの高い集団に属していることがわかりました。家族や友だちの中には特権スコアの低い集団に属する人もいます。この状況をあなたはどのように受けとめますか。また、日常生活のさまざまな場面で、特権スコアの低い人たちから、特権スコアの高い人たちのせいで、自分たちは傷ついている・不安だ・不自由だと言われるようになりました。あなたは、どのような行動をとりますか。
状況2:あなたは特権スコアの低い集団に属していることがわかりました。家族や友だちの中には特権スコアの高い集団に属する人もいます。この状況をあなたはどのように受けとめますか。また、日常生活のさまざまな場面で、特権スコアの高い人たちの言動に傷つき、不安を覚え、不自由な生活を送ることになりました。どのような行動をとりますか。
状況3:もし、あなたが、自分の特権スコアを選べるとしたら、高いスコア、低いスコアのどちらがいいですか。それはなぜですか。

【2】以下の参考資料を読んだ上で、上記の状況にどう対応するかを再考してみてください。

【当時の答え】

2022年7月 大学1年前期

【1】以下のそれぞれの状況であなたならどう対応するかを考えてください。
・状況1
自分には多くの選択肢が与えられていて、高い教育を受ける機会があったとする。しかし、才能がある人が、スコアが低いために教育を受けられないということもある。一つの事柄に対して、自分より優れている人がいるのに機会がなく、自分は劣っているのに機会がある。機会をうまく活用できていないことから、その人の機会を無駄にしているように感じ、罪悪感を持つことになると思う。その自覚から、自分たちは傷ついている・不安だ・不自由だと言われると、傷口に塩を塗られたように自分も傷つくと思う。とはいっても階級が低い人の方が辛いはずだと感じ自己嫌悪になってしまうかもしれない。物質的には豊かな生活を送るものの、心のどこかで引け目を感じ、心から満足した生活を送ることはできないと思う。しかし、機会が不平等であるのが社会の構造になっていることから、簡単には変えられないという考えに至り、どうしようもないと受け止めると思う。何か行動したいけど、偽善でおこがましいことなんじゃないかと思い何もできないと思う。

・状況2
スコアが高い人のことを別の世界の人と受け止めると思う。身分の制限のせいで困難はあるけど、スコアが高い人でも低い人でも、どう頑張っても限界というものはあるので、与えられた条件内で最善を尽くそうとすると思う。

・状況3
スコアが低い方
与えられた条件の中で満足した生活が送れるのはスコアが低い方だと感じたから。

【2】以下の参考資料を読んだ上で、上記の状況にどう対応するかを再考してみてください。

◎課題図書・資料・フィールドに触れて

・状況1
スコアが低い人に対してできるだけ理解をする努力をすると思う。それでも、どうしても完全に理解することはできないので、完全に理解できないことを自覚しつつ、できるだけ自分のこととして考えたい。また、どうすればお互いにできる限り衝突することや損をすることなく共存していけるか話し合ってみたい。

・状況2
身の危険があるほどこの構造を変えるのが社会的に難しいのであれば、それを受け入れた上で「スコアが低い」という概念に縛られないように努力すると思う。もし、少しでも声が届くのであれば、少しでも生きやすくしたいので自分の障害を感じた経験をスコアの高い人に話し共感を求めると思う。スコアが高い人に抑圧されていたら、なぜそうしているのかについての背景について考え、スコアが高い人の心理について理解しようとし、どうすれば衝突を避け、障害を感じずに過ごせるのかを追求しながら生きていくと思う。

・状況3
低いスコアを選ぶ。
スコアが高い人には厄介なことが免除されていて、低い人にはそれが付与されている。スコアが低ければ、それを経験する中で価値観が形成されてくるので、自分だったら、スコアの高い人が世間知らで何かが欠けているように思えてしまうだろうと思う。何か障壁があったとしても、そこから感じ、適合し、見える景色がある。その景色はスコアが高い人には見れない。


【今思うこと】

この一年で、思ったより自分が恵まれていて、恵まれていないことに気付いた。

〈例えば〉

  • 親に大学を決められたのと引き換えに、奨学金を背負わなかった。他の街を知らないかわりに、福岡という閉鎖的で住みやすい街にずっといる。

  • 去年国際寮に住んでいた。仕送りがもらえず、学校やバイト、寮費の元を取るための国際交流で、かなり疲弊していた。バイト先では生活のためにベトナム人留学生たちと同じように必死に働き、寮に帰ってからは金銭的に余裕がある留学生(JASSOの月8万円の奨学金)と今日の出来事などを語らう。

  • (九州の女子って本当に恵まれてない気が最近してる)


環境は変えられなくても、その結果がよくなるよう努力した。
だからこそ得られる機会、力もある。

奨学金がないから、留学にチャレンジできる。
非言語、英語のコミュニケーションもできるようになった。

それでも、
どれだけ努力しても、恵まれた人には敵わないこともある。

社会の中でできた圧倒的な環境の差は、一人の力では到底動かせない。
その恩恵を受けるか、受けないか。

恩恵を受けたとしたら、
頑張る人も、そうじゃない人も、
障壁なんて気にならずにただ前に進める。
今持っているものは、その人の力ではないかもしれない。

恩恵を受けられなかったら、
ただ打ちひしがれるか、立ち向かうか。

打ちひしがれる思いを胸に、立ち向かう。
その差を埋めるためのスキルは私のもの。
それが好きで、恵まれていないことを受け入れて前に進む。
恵まれていることは、自覚して、恵まれていない状況にいる人に学ぶ。

私たちは恵まれていて、恵まれていない。
どちらにしても、与えられた状況にプライドを持って、今できることを尽くそうと思う。

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