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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり  パート19


 一回目の修養科の時は、天理教に反発しながらもストイックに修養生活を受け入れて努力をしましたが、二回目は信仰心が強くなった半面いろんな精神世界の人との付き合いも増える中で自分の欲や高慢をも認めるような立場から、修養科生活に自分の信仰を確かめるような気もちで試行錯誤をしていた違いがありました。

 二回目の詰所生活は修養科生も少ないという事もあったし、自分と同年代か年下の教養掛の先生ばかりだったので、自ずと指導や監督というより自主性に任されていたようにも思います。

 正直なことを言うと最初から酒をカバンに忍ばせて持って来ていましたし、大っぴらにするという事はしなくとも察しがつくところを大目に見られていたと思います。
 教養掛の先生の部屋にも自由に出入りさせてもらって、暇なときはお茶やお菓子で話に花を咲かせたり、詰所の食事とは別に鍋パーティーなど開かれた日もあって楽しい思い出になりました。

 一期生の時の先生は秋田の人で、私より年下の働き盛りの朴訥な会長さんでしたが、ひょうひょうとした性格ですぐに打ち解けることが出来ました。会長職だけで生活できる余裕のある教会は少ないのですが、N先生もバイトを複数掛け持ちしながらお道の御用をされている人でした。
 幸運に恵まれて結婚した奥さんのご実家は天理教でも昔から本部で役員をされるような有名な一家の娘さんだったそうで、その兄上がちょうど入学した修養科の副主任を務めておられました。

 そんなことを聞いていたので、修養科で副主任先生の講話があった時も親しみを感じて拝聴したのですが、おやさま・中山みき様はイザナミの魂を以て天理教祖になられたのですが、イザナギの魂は未だこの世に出ておられないという点でお道はまだ未完成だという内容のお話をされたのが、強烈な印象になって記憶されました。

 二期生の時のH先生は私と同年代という事もあったし、湖東詰所の修養科担当の役員先生だったこともあって、修養科自体に馴れておられ私を以前から知っておられたようでした。
 若い頃は世間でも揉まれて、遊びも仕事もできる人でした。腹を割った話の出来る人で夜部屋で鍋パーティーなどをしてくれた先生でもありました。先生のお陰でほとんど身内のような感覚で修養科を楽しんでいましたが、上の期の仲間が卒業すると、年末年始同期は私一人になってしまうというのでみんなで心配もしてくれていました。

 その三期目には3人の後輩が入学されることとなりホッとしたのを思いだします。U先生は未信者だった人だったのですが修養科後に単独布教や大教会の青年勤めから事情教会を任され会長になられた人でした。一番心配や迷惑をかけた人でもありました。 

 二回目の修養科生は圧倒的に北海道に人が多かったのですが、後輩として入ってきた三人は新潟の男性が二人と九州の青年でした。新潟の人の人の一人は私と同じ年でしたが、もう一人は犬を連れて車で旅をして天理に来たという人で詰所の主任先生が相談に乗って世話をして修養科入りすることになった経緯がありました。 

 その詰所主任のS先生も私と同じ年であり、大教会長さんの弟でもありました。強面で思ったまま真っ直ぐにものを言われるので周囲に煙たがられる存在でしたが、その心はとても優しい人だという事も知られる人でした。
 
 時々、夜の挨拶などで講話もされ、今でも心に残るお話でした。
その一つに、本部の境内掛に従事されていた時に、案内された老人夫婦を案内した時に初めておぢばに来た理由を聞いた話があります。
 それは、ある若い天理教の単独布教師が何度も家を訪ねて来るのに根負けをして話を聞くようになった頃、ご主人の具合が悪くなりたまたま玄関に立った青年を引き入れてたすけを願ったところ、おさづけをして青年が帰った後ご守護を頂き、次に来るという約束の日を待てず天理にお礼に来たという話でした。
 また別の話で、S先生の親友が東京で知り合った名前の知られた女性の音楽家をおたすけして、天理に初めて来られた女性を案内し三人で神殿や教祖殿・祖霊殿を回って回廊を歩いている時に、女性が「教祖殿の奥の間に居られた赤い着物の方はどういう人ですか?」という質問を受けてS先生と親友は驚いたという話も興味深いものでした。二人とも見えていなかった教祖様がその女性には見えたらしいという先生の話はとても作り話には聞こえませんでした。

 さて、私自身の修養科生活も佳境を迎えることになりました。私は性格的に寂しがりであり多少色情の因縁も手伝って、三期目になって同室になった青年に夜抱き付こうとしたことがありました。すぐに謝ったのですが、彼はその晩部屋には戻って来ませんでした。 
 これには本当に心から参って、神殿でお詫びし同じクラスでフーテンの寅さん風の人の付き添いで来ておられた元教会長さんに相談しました。その方は担任や副担任の先生とは違く立場でクラスメイトに信頼された存在だったからです。
 そこで、やはりきちんと詰所の教養掛のU先生に相談するのが良いと意を決して部屋を別にしてもらうという事で話は落ち着きました。当の青年の心の中まではうかがい知ることは今もって分からないですが、卒業までそれまで通りの付き合いをしてくれました。

 さらに、また身上にもお知らせを頂きインフルエンザで高熱を出し、別の部屋に隔離されたのですが、それを青年を除く別の二人にも感染させてしまい本当に迷惑のかけ通しとなりました。
 それがちょうど布教実習の時でもあったので部屋で思案をしたのですが、ここまで自分の心と体を深く観察し反省と、家に帰ってからの身の振り方に思いを致した事はなかったです。

 良くも悪くも自分の魂の因縁をこれほど鮮やかに見せてもらえ、それをどう捉えたら現実がどういう風に変わっていくのかを体験することが出来たように思います。

 このエッセイを書いている段階でもどれほどの成人が出来ているわけでもありませんが、生れてきた時より少しでも心のほこりを払いなるほどの人に近づける努力をするのは楽しい事なんだと学んだように思います。


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