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実験小説・スパイラル

3・天下分け目の関ケ原


 「嫌がってるんだから、それくらいにしとけば?

「なんや?コイツ」
 その時、ワシらの前の席におった青臭いボウズが立ち上がって止まった時計を動かすようにツカツカとやって来て、そう言った。
 さっきまだ他の奴らと同じに影も見えんような奴やったのに。ワシの隙を突きよって、女の手を掴むと立たせてワシから引き離していった。

 窮鼠猫を噛む・・・というのか、火事場の馬鹿力というのか知らんが、不意を食らったワシが凄む前に女を別の車輛へ連れて行きよる。
 
 ワシは考えるのが苦手や!恥かかされたムカツきは顔に火をつけたけんど、手も足も出せんかった。他の客も一斉に視線を向けて来るし、下手に動けば厄介や。
 そうなると体から力が抜けてしもた。
 悔しいけどこの場はワシの負けや。しかし、あのアマといいこのボウズといい、何でワシに逆らいよったんやろ?
 今日は調子狂うてもたわ。変なもン食ったやろうか?

 急に時間の狭間から動きが起きて、急速に流れ始めた。電車が揺れ、車窓の景色も飛ぶように変わって行った。

 黒血川が見えた
 かつて関ヶ原を舞台に繰り広げられた戦いの際、流された兵士の血で川が黒く染まったという。
 大化の改新天智天皇が崩御した後に、息子の大友皇子と弟の大海人皇子の間で起きた対立から天下を二分した戦いだった。
 勝利した大海人皇子は天武天皇となり、それまでの貴族政治とは一線を画す独裁政治に近い力を得たようだ。

 そのあとの代に出来た「日本書紀」の元になったといわれる日本世紀と言われる書物の中で、初めて日本という国号を用いた人物でもあったらしい。

 歴史というのは、いつの時代でもその時の政権によって都合のいいように書き換えられるもののようだが、地名や名もない人々の口伝えに伝説とかして語り継がれても来たようだ。

 その人の手は暖かかった

 本当に頼りなさそうな青年だった人が、突然私を救ってくれる白馬の王子様になるなんて思いもしなかったわ。
 助かったと思うと同時に時空が緩んで、電車は心地よく振動し窓の外の景色が光って見える。
 
 青年は自分以上の力に動かされてでもいるように、まっすぐ前を向いて進行方向の車輛へと突き進んでいくの・・・ 
 どこまで行くのかしら?私をどうしたいのかしら?と、チラッとそんな気持ちがよぎったけれど、一度も彼は私を振り返ることもなく車両を連結しているドアを開けもう一つ別の空間へ入っていくの。
 私はただついて行くしかない。

 二両前の車内に開いた席を見つけると、その二人掛けシートの窓辺の関に彼は座った。大きなため息が聞こえるくらいに倒れ込むような勢いで。
 
 席に着いてからも彼は私を見ることもなく、窓の外を眺めて一人の世界に浸っている。緊張が徐々に緩んでいくのは側にいても感じられるけど、だからと言ってそれを私にアピールする気はないらしい。

 窓の外は山また山でところどころに集落が見える。

 家康が関ケ原の戦いを始めるのに最初に陣を敷いたのは、壬申の乱に勝利した大海人皇子の故事に倣って桃配山だったという。
 
 
臣下に戦勝を期して当地の名産だった桃を配ったという事から付いた地名にあやかりたいと思ったのだろうけど、男って本当に単純だわよね。
 その裏で、どれだけの女たちが涙を流して苦難に耐えたか知れないと思う。
 桃ってエロティックな果物だけど、それで男は燃えるのかしら?
今はそれで女も幸せももぎ取ろうという時代ではないと思うんだけど…

 振り上げた刀を元の鞘にどう納めたらいいか?

 ワシも焼きが回ったんやろか。マジ、格好つかへんやんけ。
 あの野郎急に勢いつけやがって。ま、一世一代の見栄を切りやがったんやろが、あの根性にはワシも手を出せんかったし、今回は花を持たせたろか。

 しかし、こういう時は情けないもんやな。
堅気の奴らが腹の底でワシを見下しとんのは知っとるが、今はその空気が全体に広がって呑み込まれてしもた。
 ふて寝するしかしょーないやろ。

 そのまま、チンピラは腕を組んで足を広げたまま黙りこんだ。

 明るい日が差してきた。電車は、谷あいの狭い空間から抜けて養老山系を右手に濃尾平野へと入ろうとしていた

 静かな時があった。
 
 沈黙には二種類あると私には思える。居心地の悪い沈黙とそうでもなくてしんみり浸れる沈黙の二種類ね。今は後者の方の沈黙なんだけど、それでもちょっと寂しくなって、隣の彼の横顔を眺めてみた。

 相変わらず一人の世界に浸っているようで静かに窓の外を見ている。
急に開けてきた風景に秋の色が濃くなってきているのが認められた。

 何か声をかけてみようかと思ったけれど、止めた。そんなことをしなくても彼が落ち着きを取り戻しているのは分かったし、私の事を詮索する気のないのも承知できたし。

 大垣に着くまで、私もしばらく安どの時間を楽しめばいいのね。

 
 僕はなんだか自分が自分でない大きな力に動かされたような気分だった。チンピラ相手に何かしようなんて気持ちはなかったし、女のひとを別の車輛に連れて行くなってそれまで思いつきもしなかったことだったから。

 ああ、僕はそうしなければならないとかこうあるべき、男らしさとか言ったようなよく|《わけ》理由の分からない方に自分を当てはめようとしていたんだなぁ~。

 チンピラから女性を助けなきゃというよりそうした自分の囚われから抜け出したかったんじゃないかしらん。

 身動きできないある意味修羅場に追い込まれて、どうなってもいいと腹をくくって我が身を放り出しただけなんだ。
 勇気を出したと言えば自分の体を立たせるときに使っただけで、あとは何かに導かれるままに車輛を移動してこの席に着いたんだ。

 ようやく人心地が付いた気分になった。

 恐ろしさとか不安にも襲われて、隣の女性に声をかけることすらできない小心者のままなんだけど…。それでも少しづつ、自分を省みる余裕もできた。

 自信って自分がどうでもいい状態の事なのかもしれないと思う

 列車は間もなく大垣駅に着く。僕は名古屋まで行き中央線に乗り換えて実家に向かう。

 大垣は松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の終焉の地である。

 「 旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る 」
と芭蕉は辞世の句を読んで残したけど、人生は旅そのものだなと僕も思う。今回は実家へ帰るだけの小旅行だけど、思わぬタイミングや縁の不思議に導かれて次元旅行をしてきたような気もする。

 あのチンピラも隣の女性もほんの一瞬のめぐり逢いにすぎずこれからどうなるとかも分からないんだけど、約束されていた出会いだったような気もする。
 
 理解できないことは棚に預けて旅を続けてみよう。

 電車は力強くもゆっくりと駅の構内へと入り、親切な車掌のアナウンスが流れやがてホームに停まった。

         



 

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