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桜は下を向いて咲く


 
 春、人々は新しい環境へと身を置くことが多くなる。入学、進学、就職、結婚、引っ越し。そのたびに、心は不安を感じる。やっていけるのか、慣れて上手く軌道に乗れるのか。なじめるのか。幸せになれるのか。幸せにできるのか。
現実は、上手くいく場合もあるし、そうじゃない場合もある。その現実を受け入れられず、悩み、苦悩し、病む場合もある。
 
 春は桜が咲く。いつ咲くのか。来月か、来週か、今週か、明日か。
待ち遠しい。待ち焦がれるのに、桜はあっという間に咲いて、そして散っていく。散ってしまった桜の木は緑の葉を出し、夏へと季節は変わっていく。
 
 人の心配も、不安も、次から次に湧き出ては、移り変わっていく。
心配してもその通りにならなかったり、その通りになってやっぱりかと落ち込んだり。自分に怒りを感じたり、他人に八つ当たりしたり、結局、自分の自己肯定感が低いせいかと、自己嫌悪になったり。
 
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
 
古今和歌集に載せられている詞で在原業平(ありわら なりひら)が「渚の院で桜を見て詠んだ歌」と記されています。
 
現代語に訳せば、この世の中に、全く、桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかであることでしょう。となるそうです。
 
本来、春はのどかな季節であるはずなのに、人は桜の花が咲くのを心待ちにし、咲いたと思えば、花が散るのが気になり落ち着きません。桜が存在するために人々の心が穏やかではないことを述べて、人の心を騒ぎ立たせる力のある桜の素晴らしさを伝えようとしている作品だそうです。この解説はマナペディア 著者 走るメロスより
 
 もし、桜がこの世になければ、いつ咲くのかいつ咲くのかと考えなくてもいいのに。でも、この世の中には桜は存在する。その美しさに魅了される。たとえ、散ってもまた来年咲くことを楽しみにできる。枯れない限り、そこに桜はある。
 
この世の中に自分以外に人間がいなければ、悩まなくて済むのに。でも、自分以外の人間がいるからこの世界は成り立っている。
人は悩み苦悩しながら、次の一歩を進んでいる。悩むからこそ人は変われる。気づき、受容し、時に受け流し、日々は過ぎていく。上手くいかない時もあれば、上手くいくときもある。失敗してもまた立ち上がれる。生きてさえいれば。歩みのその幅はそれぞれでいいと思う。背伸びせず、上を向いていってほしい。
桜は、下を向いて咲く。
人が上を向くために。

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