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退屈な毎日の中で


最近の生活を文字に記そうと思ってメモしたものをまとめたやつ。


変わらない日常の中で、たえず時間は流れてゆくし、周りの人、ものは少しずつ変わってゆく。

変わらない、といえるのは、昨朝と同じようにアラームが鳴る前に目を覚まし、用意された朝食を食べ、仕事に行く。私がいてもいなくてもどうにかなりそうな業務をこなす。昼休み、天気が良ければ、近くの公園で木々のざわめきを感じながら玄関から忘れず持ってきた弁当を食べる。天気が怪しいときには、正午を12分ほど過ぎると電気がおち真っ暗になるデスクで静かな昼を味わう。瞼が落ちないようにぐっと持ち堪えて退勤時間を待つ午後を過ごす。寄り道もせずに帰宅すると、すでに晩御飯は出来上がっており、手洗いうがいをきちんと済ませ、朝ドラを再生しながら美味しい夕食を食べる。ニュースの時間帯には一通りの情報を流し聞きして、ふんふんと世間のことを分かった気になる。19時前には仕事着をジャージに履き替え、「あなたの日課(趣味)はなんですか?」と尋ねられたときに自信をもって答えられるようにしたい「散歩」に出る。

私は、自分が思っている以上に歩くことが好きみたいで、なんのあてもなく、独りで、好きなアーティストの曲を聴きながら歩いていると、最強の気分になることもあれば、毎日毎日同じ景色に見飽きたなと、見たことも行ったこともない場所に思いを馳せたり、川の流れを見て聴いて無になったり、ネコを愛でる心を思い出したり、いろいろな発見がある散歩はいいなあと、しみじみ感じる日々を送っている。

今年に入って、読書も習慣にしたいと思い、2週間に一度のペースで図書館に通っては、好きな作家や表紙の雰囲気で気に入ったものを2、3冊借りる。そして、読む。読書中の体感速度は、本の世界に没入して、あっという間に過ぎる。小説内で知らない土地や駅名に沢山出会っては、こんな場所かなと想像を膨らませたり、Google Mapsで実際に訪れてみたり、あたかも登場人物の一員になったかのような感覚を抱くことはときに恐ろしい。あとで、虚無がやってくるから。

なぜ虚無を感じるか。喜怒哀楽を日常の中で大きく表すことが減って、本の世界の住人の方が感情豊かに感じては、読み切ったあとに、ああ、私の人生はこんなに鮮やかでも刺激があるわけでもなく、文章化するとしたら薄い内容だろうなあと、今、薄っぺらい感想を残している、この感じ。
人と比べることはよくある。でも、小説の中の人とも比べてしまうもんだから虚しくなっちゃうよね。実在しないものと比べてどうするんだよ。ま、私は私のことが結構好きだから最終的には自分を愛する結論に行き着く。
おっと、最初言いたかったことからだいぶ逸れちゃった。まあ、人生、寄り道も大事。なんなら、人と違う道を歩きたい。決められたレールに沿って歩くのが楽でいいけど、それじゃ少し物足りないと思うのは我儘なのかな。また、逸れた。いや、逸れたいのはほんと。

つまり、同じことを繰り返している退屈な日々を過ごす中で、少しの変化と刺激を求めて生きている。懲りずに続けているアプリで出会った数少ない人達は、たまに彩りを与えてくれては、そうではない気持ちになる。それこそ、虚しさ。

ここまでは5/26に下書き保存してた分。


こっからアプリでまた数人と電話して散歩した。
電話でそこそこ会話が弾む人とは楽しく散歩できる。1時間はあっという間に過ぎる。今日も仕事で7000歩歩いてたのに加えて、散歩でプラス7000歩。水曜日に14000歩歩く。えらいことだ。こんなにも健康的に人とつながれる散歩は素晴らしいとしか言いようがない。明日からも梅雨のなかの晴れ間を狙って歩きつづける。散歩散歩、うるさいと言われるぐらいに散歩。はやく同じ人とだけ歩きたいけど、その時が来るまでは、いろんな人と歩いてはいろんな話を聴くのを楽しみにしている。

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