ロリコン教師vs宇宙人(そんな話ではない)

「二木先生」は久しぶりに衝動買いした小説だった。「これを読まない人生は考えられない」という書店の過剰ともいえる煽りからなんとなく手にとって、冒頭10ページくらいを読んで購入を決意。家に帰って一気に読了した。娯楽小説(と言っていいのかはわからないが)を読んだのは久しぶりだった。なんとなく思ったことを散漫に書いていこうと思う。以下ネタバレ注意



①ロリコンは嫌悪される対象なのか
ロリコンを肯定する気は一切ないし、性的な暴力は論外だと思っているが、現実の女性には一切手をつけず、二次元で己の欲望を昇華し、さらに作品にするという生産的な活動につながるのではあればそれは悪といえるのだろうか。まぁあんまり深く考えたくない問題ではあるが。
ただ、二木先生が自身の性癖を告白する場面は三島由紀夫の「仮面の告白」を思わせた。これから先、同性愛がもっと一般的なものと認知されれば、「仮面の告白」の捉え方はおそらくだいぶ変わるものになるだろう。それこそ、「仮面の告白」が発表された当時と令和の今を比べてみても、同性愛に対する風潮は大きく変わっているはずだ。もっと時代が進めば、「仮面の告白の主人公はどうして、自分が同性愛者であることをこんなにも悩んでいるのだろう」という感想を抱くことがマジョリティーになるかもしれない。
同じように時代が進めば、「ふーん、12歳以下じゃないと欲情しないの。大変ね」くらいの淡泊な反応になるかもしれない。それがいいのかはわからないけど。

②俺は宇宙人なんだ問題
多かれ少なかれ中高生の頃には、世界で俺・私だけが宇宙人なんだ、周りのみんなは地球人なのに、自分は周囲から浮いている気がするんだ、という考えになるときはあると思う。そういう思いを抱いている人が一定数いるからこそ、支持された小説だろうとも思う。
周りと上手くいっていなけど、自分は「宇宙人なんだ」ということを理解していることがプライドになることも、ままあると思う。そういうややこしい自尊心と、それによって主人公の苦しみが深くなっいく様子が上手く書けているので、読んでいて共感性羞恥を覚える場面があった。とても参考になったけど。
直接明言されないが、主人公が自分を守るために鈍感になっていることを感じられる描写があるのはよかった。私が自分を投影しているだけかもしれないが、ちょくちょく主人公が離人感のような状態になっていることが垣間見えた。

知的な遅れが伴わない発達障害(作中では明言されていないが、私の目には一つの典型的な症状が出ているように思う)に、高い自尊心と自己愛が合わさって、大変なことになっている様子を良く書けているなーと思った。発達障害の傾向があるだけでなく、二次的な障害が如何に本人を苦しめるのか、よくわかる。
こういう子がクラスから浮いていじめられることに説得力があるのが嫌だ。
というか、このクラス治安悪すぎないか。こんなクラスの担任持ったら比喩じゃなくて胃に穴が開くぞ、私なら。

③結末
ハッピーエンドではないが、それなりにきれいに?着地しているところもよかった。読後感が悪くならなかった。かなり物議を醸しそうなテーマをいくつも内包しながら(思春期の自意識、ロリコン、発達障害、いじめ、スクールカースト、「普通」コンプレックス、都市格差、片親、などなど細かく拾うともっとある)無理なくビターエンドにまとめているところに作者の力量を感じる。ノーマルを意味する「Ñ」の字が作中で強調されているのも示唆的だ。
序盤の伏線というか、布石が効いているのも見事だと思う。作中に創作指導を受ける場面があるが、本書もお手本のような構成になっている小説だと思った。


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