人生という概念、文学という概念
自分は逆に、ジサツという概念を理解していない
何かイライラしている。交通二級とか、通信制大学とか手続きばかりで先へ進まない。noteもXも反響がいまいちだ。
一応noteは、ある程度時間をかけて書いている。それに見合った成果は出ていないが。
自分にとって文学は人生だという位置付けなので、他の事のように反響がないから止めるという訳にも行かない。
反響がなくても続けるのが人生だ。少し上手く行かないからと言ってそこで止めて、その後ゾンビのように蘇る事はできないという事だ。
或いは、この人生という概念が理解されていないのではないかと今ふと思った。これはつまり途中で降りたりはできないので、ジサツとかする人はいるけど逆に自分にはそれが理解できないという事になる。
気持ちは分かるけど実践した事がないので、分からないと言えば分からない。
反響とか利益とか無視して書いている
人生って確かに訳の分からない概念で、つまり単純に生きて行くっていう事だと思うんだけど。
自分の場合その人生という概念がまず優先されているから、それで儲かるとか関係なく文章を書いている。儲からなくてもただ継続するのが人生(文学)である。
ある意味、誰も読まなくても書き続けるという事にはなるので、反響とかも基本的には関係ない。
仕事だったら金をもらわないとやらないけど、文学は別だ。それが、人生である。
或いは、人生は分かるけど文学が理解できないという人もいるかもしれない。文学は以前にも書いたけど、思った事を言ったり書いたりする事だろう。
それで結局何が言いたいのかと言えば、自分はただ文章を書いて生きて行くという事だ。つまり自分には、生きて行く事と文章を書く事はイコールである、という事になる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?