そもそも、文学とは何の事なのか?
思った事を言う事、或いは思った事を書く事が文学
結論から言えば、文学とは思った事を言う事や思った事を書く事だろう。辞書で文学という言葉を引けばこれと同じ答えかもしれないし、違う答えかもしれないけど。
それは或いは自分の個人的な解釈なのか、何なのか。それでも、それが文学だと少なくとも自分は思っている。
思った事は、言ったり書いたりしなければ基本的に相手には伝わらない。何も言わずに、分かるでしょ、と言われても少なくとも自分には分からない。
だから、思った事は何らかの形で表現されなければならない。
どうせ伝わらないから言わないとか書かないというのは、臆病者のやる事だ。自分は、一回投稿する毎に自分は臆病者じゃないという事を証明している。
思った事を表現する事は基本的に苦しいかもしれないが、それでもやるのである。
自己主張とか、自己表現とか、有言実行とか
ところで、今日はまだ一時間しか寝ていない。夜に一時間寝たが、昼間は全く眠気が来ないので昼寝もしていない。
というようなネタでも、思ったらそれを言ったり書いたりすればそれは充分文学だと自分は思うが。
自分の座右の銘の一つに有言実行という言葉があるが、これも文学である。それが不言実行であれば、それは文学ではない。だから自分は、方向性として文学的である事になるだろう。
或いは、自己表現という事を言っているのかもしれない。自分とはこういうものですと表現しなければ、まず相手には伝わらない。
自己主張とか、自己表現とか、有言実行とか、そういう事を(言葉で)やっていれば、それは文学という事になるのだろう。逆に、それをやらなければそれはそれで他の事をやっている事になるのだろうけど。
気が付いたら自分の名前まで、ぶんがく、に
それが、自分の場合何で文学だったのか。それは、消去法だ。消して行ったら、文学しか残らなかった。
最後の手段と言えば、そうだった。結局、自分にもできるという最低ラインが文学だった。ある意味誰にでもできるけど、誰にでもできるという訳ではない。
自分は自分の人生の岐路で、どちらに進むかという事を割と消去法で消極的に選択している。そこで粘って決めたのが文学だった。
それで気が付いたら自分の名前まで、ぶんがく、に設定していた。結局、どこにも逃げ道はない。あとは、ただ書き続けるだけの人生だ。文学に逃げ込んでも、それはそれで新たな戦いの始まりでしかないのだから。
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