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凡庸である事の自覚と、継続する文学

自分で自分の首を絞める

特に文章を書かなければいけない理由がある訳ではない。それなのに何故自分は文章を書く事に拘っているのだろう。

そもそも名前を変えてしまおうか。ぶんがく、という名前を。

その命名を間違えた気がするんだよね。自分で考えて、自分で付けた名前なんだけど。

誰に押し付けられたという訳でもなく、ただ自分でそうしたくてそうしただけなんだよね。問題は、寧ろ自分のその当時の自信にあったのだろうか。

自信を持つ事はいい事だと思うんだよね。Twitter(当時)で、自分でぶんがく(当時は文学)という名前を付けたという事は、とりあえず自信はあったんだろうね。

自分は、より難解な事ができると思っていたんだけど。結局、日本のプロ野球選手がメジャーリーグに挑戦するのと同じ事だとは思うんだよね。

状況的に、折れそう

それで、メジャーリーグに挑戦して大谷やイチローやダルビッシュみたいに活躍している選手もいれば、特に活躍もせずに戻ってくる人もいる訳で。何となく、日本に戻ってくる選手の気持ちが分かってきた気がするんだよね。

その点、メジャーリーガーのまま引退したりするのは格好いいよね。

少しずつ自信がなくなってきたという事が言いたいのだろうか。文章を書かなくても生きて行けるし、文章を書かなければ他の事もできるし。

自分がやっている事は今3つあって、それは仕事と学問と文学だ。それでその文学はいらないんじゃないかと思ったんだよね。

3年半前、何故そんなに強気だったのか。今では、誰に敗北したという訳でもなくただ自分の心が折れそうな気がするんだよね。

大谷二刀流凄いな。それで、自分は三刀流か。志だけは、既に大谷を越えている気もするんだけどね。

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