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今まで歩んできた道の他に道はなく

数字よりも内容重視という前提

とりあえず、今日も書き始める。何の準備もなく。
例えば、文章の内容を重視するのならばそんなに連投しなくてもいいのではないだろうか。重要な事は内容であって数字ではない、とそう考えるのならば。
と言うか、まず自分にはnoteで連投する時間的な余裕はないし、或いは連投した時には内容の保証はできない。ある程度適当な内容の文章を連投する事はできるだろう。しかし、自分にはプライド(美学?)というものがあって、そのプライドが極端に適当な内容の文章を書く事を許さないようだ。
自分は他にも会社で働かなければならないし、noteで金をとっている訳でもない。なので、noteばかり書いている訳にも行かない。と言うか、noteで金をとったらまず誰も読まなくなるだろうけど。
結局、現状維持が無難だ。そういう訳で、完璧ではないがある程度適当でもない文章を書き続けるしかないという判断になる。

今まで歩んできた道の他に道はなく

こうして文章を書く時に、それのみに集中できればいいと思う事は確かにある。例えば、単純に文章を書いてある程度金を稼げればそれはできるだろうし、後は実家に帰って引きこもって文章を書き続けるとか、田舎に引っ越して生活保護を受給しながら文章を書くとか。
それにしても、ここに留まって働きながら無償で文章を書くという選択肢の方が無難だと自分では思っている。文章だけでプロとしてやって行くほどの反響は特にないし、生活保護とか訳の分からない向精神病薬とか勧めてくる人もいるが、そういう人は基本が病気の人だからまず信用してはいない。
自分は結局精神科医の診断に従って治療をしている。治療に口出ししてくる精神病患者は、大概ろくでもないという事に自分は既に気が付いている。

他人の事を言う前に、まず自分がちゃんとしろ

とりあえず現在の生活に不満はない。時々、悩んでいるならこう変えたらいいとかいう生活へのアドバイスまでいただくのだが、残念ながらそういうアドバイスも信用してはいない。
まずそういう人自身が、ちゃんとした生活ができていないのに信用されると考える事自体がおかしいのではないだろうか。そこへ行くと精神科医はある程度のレベルが保証されているので、比較的信用し易い選択肢となっている。
なので、そこで思う事は今までの選択を継続する事なのだけど、それは或いは自分の年齢がもう変化を求めていないからだろう。この歳になってまだ変化を求めているようでは、ただ自分の信用がなくなるだけだ。
そこで筋を通すとかブレないとかそういう言動が必要になってくるのだろう。つまり、自分もまたまず自分の治療や生活をちゃんとする必要があるという事だ。と、自分は思うのだが。






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