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スピードと精度との比較において、自分が求めているのは明らかに精度

試験会場で0点で席を立った人は当然ただの敗北者である

自分が統合失調症だからとかそういう事とは関係なく、重要な事は常にスピードよりも精度である。何事も正確である事が重要だ。

スピードが重要だという考え方は、妄想にしか思えない。統合失調症患者には妄想があるが、この場合自分にはそういう妄想はない。

例えば、何らかの試験会場で制限時間を全て使って100点を取る事と、何も答えないで会場を後にする事とどちらに価値があるのだろうか。スピードと精度の比較というのは、極論すればそういう事である。

どう考えても正確さの方が重要だ。スピードを上げる事は、突き詰めると0点でテストを終える事になりかねない。

ただ、現実的な話何事においても速いという事を求める傾向があって、あまり精度の方が重要であるという話は聞かない。そうだとすれば、自分のやっている事は相変わらず他人から見ればズレているのだろうか。

自分にはまず、ウサイン・ボルトと100m走で比較する気はない

或いは、そういう自分の感覚が他の人から見ればズレているのだとしても、自分が優先しているのは相変わらず精度である事に変わりはない。

少なくとも自分には、100m走でウサイン・ボルトと比較する気は全くない。その比較自体、自分には興味のないものだ。

自分が求めているものは、正確な解答であり他人と比較した時の速度ではない。その観点から見ると、こうして書いている文章にも何らかの正確な解答がある事になるのだろうか。

確かに、文章を書く時にも自分は何時も正確な解答を求めていて、まず速度を求めているのではない。速度を追求する事は、その自分の捉え方の対極にあるものだ。

結論としては、自分には速度は全く必要がない。誇張でもなんでもなく、それがこの文章における正確な解答である。





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