科学と芸術について考えたい
僕は最近、「科学と芸術の関係性」について考えている。
と、いうのは、僕自身、芸大で作品制作に励む中、つい空想の世界や抽象的な思考に固執してしまい、実世界における正常で日常的なものの見方を失い、半ば精神病的な認知の状態(空想世界は現実世界の上位存在である!他者は存在しないのではないか!世界は単一の球なのではないか!と異常なことを考えてしまう)に沈み込んでしまうことが多いからです(これは単に人とのコミュニケーションが不足=(友達がいない)しているという理由もある)。
僕は「現実に存在しない物事を想像し、新しいモノを創り出す」部類に属する「芸術」を学んできているわけでありますが、科学の目的とするような「現実に存在する事象を、正しく理解し応用する」といった技術はこれっぽっちも学んできませんでした。
僕は、現実に基づかない空想の物事や哲学思索を作り出すのは得意です。
しかしそれらの思考や空想は、実世界においてはとても有用なものとはいえません。
そこで、わたしは「現実を正しく把握する」能力を伸ばしたいと思い、科学に興味を持ちました。
しかし、ここで問題が起こりました。
「正しい」とはなんかのか。
「科学者のお墨付き」
「科学が証明している」
というように、現代社会では科学というものは、とりわけ宗教や占い、迷信などとの対比の中で、なにやら理性的で絶対的に正しいものとして扱われがちなような気がします。
しかし、そもそも科学はなぜ正しいのか、と言われるといまいちよく分かりません。
私は、そこに疑問を持ちました。
そのために、私は科学がいかにしてその正しさを成立させているのかを知るべく、科学哲学を勉強し始めました。
しかし、ここで科学哲学を勉強しても分からないような大きな問が生まれました。
それは、「芸術と科学は活動的・歴史的にどのような関係にあるのか」という疑問です。
科学とは、より正しいと思われる知識を得るための術のことです。
芸術は、頭の中にあるイメージや感情・感覚を実世界に投影し、他者にそれを伝える術のことです。
そう考えていくと、芸術活動というのは、実世界がどのように成り立っているのかというのを正しく把握していなければ行えないように思えます。
つまり、芸術活動は科学的思考という基盤のもとに行われることが重要なのではないかと思うのです。
しかし、このままではあまりに形而上学的でそれこそ非現実的なので、科学の力を借りようと思います。
まず、私個人の作品制作という側面で「芸術と科学の関係性」を知りたいなら、神経科学・芸術論などの読み物を漁るのが良いのでは無いかと思います。
次に、歴史的、つまり私1人の問題としてではなく人類全体の活動として、芸術と科学の関係性を捉えてみようと思います。
それであれば、美術史・科学史を勉強していけば良い気がします。
どちらにせよ、「自分個人の活動としての視点」「多人数間の活動としての視点」「人類全体の活動としての視点」など、いろいろなスケールで見つめなければ、全体的な理解の解像度を上げられないので、なるべく多角的な視点を持っていきたいです。
そして、もうひとつ忘れてはいけないのが、
科学の知識というのは、現実の様々な事象か一般化され、理論化・モデル化されたものであるという点です。
これは対象を理解するための、非常に有力なツールになりますが、現実そのものを把握するためには、その大まかな枠組みを上手く使いつつ、実際に具体的な事象に触れなければいけません。
冒頭で、「芸術と科学の関係性」と抽象的な問の立て方をしましたが、芸術といっても絵画、イラスト、クラシック、大衆小説などなど、非常に幅があります。科学も同様です。
それらの複雑で単一の原理では語れない実世界の様相を把握するには、科学の知識だけでは全く不十分です。
この問いにある程度高い解像度で答えるには、出来れば実体験、妥協したとしても書籍などを使って十分に情報を集めなければいけません。
先は長いですが、これが今の自分の学生生活のメインテーマです。
割と精神病みがちで、学生生活が上手くいかず半年くらい鬱っぽかったので、noteの投稿が途切れがちでしたが、最近少しずつ状況に好転が見られるようになり、いよいよ本格的に記事を書けるようになりそうです。
長くはなりましたが、今後も気が向いた時にあれこれ記事を執筆するつもりでいます。
今後ともよろしくおねがいいたします。
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