先生という理想が崩れた日

という事で、私がそこそこおとなしい部類の子どもであった事はわかっていただけたと思う。6年生になって、ある先生に出逢い、先生という理想像にますますハマっていったのだけど、それはさておき。

小学校を卒業して中学に入るまでは、長い春休みがある。友達と会うこともあり、その中で、小学校の先生に会いに行こうという話になった。

小学校も春休みの時期なのでどの先生がいるが分からないが、そこは考えなしの子どもである。10人も集まれば勢いで向かってしまう。

行ってみると河村先生がいた。5年生の時の担任で、そこそこ良かったと思う。私は先生の事を「お母さん」とよく呼び間違えた。そんな先生だから私も先生が好きだった。親の間でも評判のいい先生である。

職員室のドアを開けてドヤドヤと先生を囲む私たちに笑顔で迎えてくれた先生は、1人ずつ名前を言って「よくおぼえてるよ」「忘れるわけないがね」と言った。
私は…「名前は覚えとらんけど、顔は知っとる」
すぐに血の気が引くのを感じた。先生は目立つ子しか覚えてなかった。私のようにおとなしい子は記憶にも残らない。全然、いい先生じゃない。一年間、何事もなくやり過ごすことができるアタリの生徒だったに過ぎないのだとわかった。

その後、もちろんみんなと一緒に帰ったのだけど、後のことは覚えていない。「先生」はなりたい職業の一つだった。けれどすっかり崩れ去った。「こんな先生にはなるまい」という頑な思いが根底に芽生える結果となった。

でも頭ではわかっている。毎年毎年変わる生徒の名前を全て覚えているなんて不可能だってこと。
私の敬愛する灰谷健次郎先生もきっとそうだったのだろう、と。

ただ、たった間一年挟んだだけで名前も忘れられたという事は、子どもながらに大きなショックできごとだったし、好きだった先生だけに悲しくて悔しい出来事だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?