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原子論

原子論について考える。

すべては、レウキッポスからはじまった。

彼は、どうして、原子論的なものを思いついたのだろうか、わからない。天才なのか、自然に対する洞察力に優れていたのかも知れない。

wikipediaによると、レウキッポスは、下記のような考えを持っていたという。


事物の総体は限りがなく、互いに他へ変化する。

すべては空なるもの(ケノン kenon)と充実したもの(プレーレス plēres = アトム)から成り立つ。

世界はアトムが空なるものにおちこんで、他のアトムと絡まり合うことによって生じる。そしてまた世界は、空なるものとアトムへと分解する。

アトムは一箇所に集まると渦を生じ、その渦の中で形の似たもの同士が結びつき、物体を生ずる。


彼は紀元前440年ごろ~430年に活躍したギリシャの哲学者なのだが、アトム的な概念と、真空的な概念を作り出したというのは、何か、頭に神でも振ってきたのかも知れない。

彼のあと、有名なデモクリスが原子を最小の単位として、原子論を作り出したのだ。


原子論は、ずっと支持されなかったが、ルネサンス的な流れと共に、ボイルやニュートンに支持され、次第に、普及しはじめた。


紀元前2~1年ごろ、説一切有部という仏教の学派のアビダルマ論書にも原子論的なものがあったらしい。
物質は色といわれていたらしい。
まあ、よく仏教では、物質のことを色と呼んでいる場合が多い
色は、パラマ・アヌ漢字で極微の集合で成り立っているという説だ。
原子論的な概念ではある。


高校でやる、化学反応式なんてものは、わけのわからん式だが、アントワーヌ・ラヴォアジエの質量保存の法則だとか、ジョセフ・プルーストの定比例の法則、ドルトンの倍数比例の法則、アメデオ・アヴォガドロのアヴォガドロの法則から作られているようなものだ。

質量保存は紀元前4年 エンペドクレスが「なにものも無に移り変わることはできず、存在するものは永遠に存在し続け、無から有は生成しない」とし、エピクロスは「過去において物事の全体は常に現在のようであり、将来においても常にそうである。」と概念的には、あったらしい。

アントワーヌ・ラヴォアジエというのは、結構、化学の世界で有名で知らない人も少ないと思う。
近代化学の父だといわれたりしているほどだ。
まあフランスの貴族で、マリ―アント・ワネットの家庭教師的なこともしていたのだが、ご存じの通りフランス革命やらがあって、処刑されてしまった。
1774年のこと、ラヴォアジエは精密な定量実験により、化学反応の前後で質量が変化しないという結果から、質量保存の法則を提唱した。

質量保存の法則から、アイデアが派生していったのだ。

プルーストは定比例の法則を発表した。
1799年のことであった。
物質が化学反応する時、反応に関与する物質の質量の割合は常に一定である。というものだった。
割合で考えるというのが、化学反応式の考えに連なっているなあと思う。

ドルトンは、1802年に倍数比例の法則を発見した。
2種類の元素Aと元素Bが化合して、いくつかの異なる化合物を作る時、一定の質量AとBは、整数比で表せられるというものだ。
化学反応式で、元素やら化合物の前に、数字で個数を入れるやつですね。

気体反応の法則は、気体の倍数比例の法則みたいなもので、ルイ・ゲイ=リュサックが発表した。

1811年のこと、アボガドロは、気体には同じ数の分子が含まれているという、アボガドロの法則をみつけ、提案した。
分子の存在はアボガドロが考えだしたのだった。
ずっと、分子を考えていなかった為に、ドルトンのいう倍数比例の法則や、ゲイ=リュサックの気体反応の法則では、実験結果に不備が出る場合があったのだ。

まあ、化学反応式ってのは、18世紀とか19世紀の化学から影響を受けているというわけ、もっとさかのぼれば、ギリシャだわな。


話が逸れてしまったが、高校化学では、ボーアの原子模型というのを、ちょこっと勉強するのだ。
原子というわけで、まあ、想像は出来ないが、物質を細かくしていくと、粒になってく、原子という構造を勉強していくわけだ。

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