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寿命を全うすること

いつもいつも希死念慮さんがそばにくっついているけれど。
既遂は無理とわかっていて未遂したこともあるけれど。

幼い私を母は自分で育てたかったと思う。
彼女は最後に私の名を呼んで別れを告げた。
幼すぎた時なので間違ってるかも?と伯母(母の姉)に
「お母さん、最期にこう言ったよね?」と確かめてみたら
「そう、最期にそう言ったよ」
合ってた。

母は病気だった、死にたくて死んだのではない。
一方私は父がトンデモナイ女と再婚したのもあり
虐待の日々、高校まで我慢してさっと就職して
絶対実家から通えない所に就職した。
だけど、どうしても家電に電話しないといけないときとか
名乗ると、ガチャ切りしちゃうのよ、継母さん。
受話器を叩きつける音も聞こえるぐらいの激しさ。

父親は見て見ぬふりを貫いておる。

18歳から誰にも頼れず、同僚や上司、関連業者の方々に
色々教えてもらってずっと独りで暮らしてきた。
でも卒業してわかったのだが、高校の先輩って
たったそれだけですごくよくしてくださるんですよ。
「出てから長い〇〇(高校名)」と言われてたけど
卒業したらその意味が分かった。

職場環境は良かったし、まず高卒の職員なぞ
滅多に配属されないというところだったので
一番若い職員でも23歳とか。
でも私は18歳であった。
なのでとても可愛がっていただいた。
同業他社の方々にも。

だけど、独りであれこれ調べたり聞いたりして
頑張ってきたけど、頑張ったつもりはないが
頑張りすぎになっていたのかもしれない。
鬱で倒れた。
フラッシュバック体験もあって、すごくすごく怖かった。
(内容は継母からの虐待。実際にやられてる体感、心も同じ傷つき方をする)
それで休職→退職。
元気だった18の時は手取り8万をちまちま貯めて、6月のボーナスを
足すと教習所の入校費に足りたので、教習所の夜間部に通って
免許取得。
職関係で安くお金が借りられる制度があるのだが、4月採用なら
10月にならないと借りられない。
10月を待って新古車ゲット。

転勤後、乗り回しすぎた最初の車がダメになったので
車屋さんにみてもらったけど、これはもう走れないという。
だが車がないと仕事ができない。
そこでまたちまちま貯めた貯金と6月のボーナスを足したら
軽自動車だと一括キャッシュで払えるとわかったので
新車ゲット。
(ただし貯金はすっからかんになった)

親など全く頼っていないし、色々な手続きは自分で調べて
あちこち電話したりして聞いてやってきた。
ストーカーに遭ったこともある(私は決して美人ではないのだが)

と、なんだかんだやってて気が付いたら精神障害者。
主治医からは「就労不可」ドクターストップ。
ここでまた障害年金を自力で申請した。
脳みそ爆発するかと思った。
(障害者手帳はとっくにゲット済み)

と、あーだこーだ独りで奮闘してきて、結果ダメになって
障害者になったし希死念慮(病気の症状の1つ)にとらわれているけれど
アホな娘を遺して逝かねばならなかった母の無念を思うと
既遂しちゃダメだ、何も孝行できていない。
寿命は誰にもわからない。
若い人も事故に遭う可能性あるし、私の年齢になると
病気で旅立つ人もいる。

母への孝行のために、絶対に自ら逝くのは駄目だ!
どんなに苦しくても寿命まで生きる。
私が生きているのはそれだけの理由。

今生保申請しても認可されないことはわかっている。
でもギリギリ・・・
もっと金銭的にヤバくなって生保受給必要となれば
議員とかになっている先輩連れて申請しに行く。
それまでに寿命での旅立ちが来なければそうする。

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