第1話 夢旅行

悲鳴とも、絶叫ともつかぬ、獣の様な声が教室の中から湧きあがった。
教室のみんなの眼が一斉に声の出所を探した。
「なんじゃあこりゃあ」
SNSのライブに出てきそうな勝ち気な眼をした女の子が、うる顔で自分の机の上にあるノートパソコンの画面を呆気に取られて眺めていた。
ノートパソコンの画面表示は真っ赤に点滅しており、持ち主の努力の成果は上から順に得体の知れない文字に置き換わってゆく。それはアルファベットではなく、もちろん日本語の漢字でもなく、ひらがなでもなく、カタカナでもない。アラビアの文字のようにも見えるが、やはり違うようにも見える。
女生徒の周りには人だかりが出来てきた。
「こりゃあダメだな、完全にコンピュータウイルスに汚染されてる」
汚染されたパソコンの周りにたかっている、物知り顔の男子生徒が嬉しそうに叫んだ。
「これはウイルスじゃなくて、エンコード処理間違いだ、赤く点滅してるのはダミーだ」
本格的な知識のあるのが登場してきた。ツンとした感じの、いかにもIT精通と言った雰囲気がある背の低い小柄な眼鏡をかけた男子生徒がさらりと言った。水をさされた感じのさきほどの物知り顔の男子生徒は、ややばつが悪そうにした。 

筆者から一言 
エンコードって何かとか、小難しい技術的質問は受け付けません、物書きが何でもかんでも書いてる事に精通してるとは限りません、あしからず。

物語再開
呆然と、真っ赤に点滅するノートパソコンの画面を眺める香は、シャットダウンもままならぬ自身のノートパソコンの電源ボタンを長押しして、強制終了させた。息を引き取るような音をさせて、香のパソコンは終息した。
「先生、英文レポートはこれでは提出出来ません」
香はどうだと言わんばかりの表情で、英語リーダー教師の高輪へ言い放った。
高輪は香のノートパソコンの表示画面を見ながら、渋い表情でありながらも
「仕方ない」
と諦め顔で言った。
教室から一斉に羨望の声が上がる。
香は手早くパソコンを鞄にしまうと
「ヘヘッ」
と言うと教室を出た。
居残りレポートから脱出した香は羽根が生えた様に走った。
教室から廊下、廊下からグラウンド、グラウンドから自宅への帰り道、先程までと打って変わって足取りが軽い。ちょくちょく授業中に出される英文レポートは香の頭痛の種だった。時間内に出来た試しがない。それだけに解放感は半端ない。
自宅へ帰る途中にあるマクドナルドの中に飛び込んで、初冬にも関わらずアイスコーヒーだけ頼んでいつもの席にどかりと座り込み、アイスコーヒーを半分一気に飲み込んだ。季節構わず年中アイスコーヒーを飲んでいる
「ふう」
鞄からさっきのノートパソコンを取り出した。
パカンと開くと同時に電源が入り、やんわりとノートパソコンは問題なく動き始めた。
お気に入りのYouTuberの動画を眺めながら、香は快適な時間を過ごす。軽四キャンピングカーであちこち車中泊するユーチューバーの動画がお気に入りだった。
スマホのLINEの通知音がなり、ポケットから取り出した小さな液晶の文字を見た。啓介だ。さっきのIT精通の眼鏡の男の子からだった。
「ずるいぜ、香、お前が使えば次俺達使いにくいよ」
プンプン絵文字が張り付いている。
香はクスリと笑う。YouTubeが気になるので、ゴメン絵文字を返してスマホをしまう、この後の応酬はお決まりなのでサイレントにしてスマホをポケットにしまう
さっきの真っ赤に点滅した画像は動画を流しているだけのトリックで、単純極まるものだ。だからよく見れば簡単に見破れるのだが、香はチラッと先生に見せてパタンとノートパソコンを閉じてしまったのでバレなかったのだ。文字化けの動画シーンは啓介に以前教えてもらったものだ。
2時間くらいアイスコーヒーで粘り、キャンピングカー動画を楽しんだ。小さな軽四のキャンピングカーは香の憧れで、その車で日本一周するのが夢であった。
小ささが生命の軽四キャンピングカーは、狭い道もどこへでも入っていける。小さなキャビンに狭苦しいポップアップルーフ下の、屋根裏部屋さながらのベッドは最高の空間だった。
早く高校を卒業して働いて買いたかった。
多分働いて、バイトもして2年もすれば買えるのではと思う。親は大学へ行けと言うがとんでもない話だ。掃いて捨てるほどいる大学生とやらになるために何百万円も使うなら、軽四キャンピングカーを買ってくれと思った。
毎晩、香は自分が軽四キャンピングカーで旅している夢見ながら眠る。本当に日本一周してる夢も何回も見たりもする。香は豪華な大型キャンピングカーには、不思議に興味は湧かなかった。それはどんなに頑張っても購入する事が出来ないのももちろんあるが、自分の間に合わないのだ。大きなダイニングルームより、四畳半の方がしっくりくる。狭さの中にのみ自分を見つける事が出来るのでだ。
ノートパソコンをパタンと閉じて、香はそれを鞄に仕舞った。マクドナルドを出ると冬の夕暮れ、あたりはかなり暗くなっている。
古い街並みを歩くと、ほとんどの家々には灯りが入り、香の目の前を照らしてくれる。自宅への途中に昭和造りの銭湯がある。香は毎日そこで風呂に入って帰る。
両親とも共稼ぎで家に戻るのは午後9時過ぎだ。2人ともIT企業で働き、いつも忙しそうにしている。誰もいない一軒家で一人でシャワーを浴びるのは嫌だったので、賑やかな銭湯へ行くのだ。まるでオヤジだ。
下町の銭湯の壁絵はお決まりの富士山だ。今どきここまで昭和の雰囲気ある場所も珍しい。なんでも、戦前からの建物らしい。中に入ると古びたロッカーはあるが誰もそんなもの使っていない。皆籐籠に着替えを放り込んでそれでしまいだ。天井から壁まで煮染めた様に燻んでいる。ほとんどいつ建てられたのかわからないが、70年は経過してると思われる。他にはおそらく製造後60年は経過してると思われる時代物の体重計、手動ハンドル付きのマッサージ機、格天井、ヤクザ映画のポスター、まるで昭和博物館だ。
香は学生鞄と着替えを籐籠へ放り込んで、中に入って風呂桶のお湯を浴びた。その後、湯船にそっと足をいれて、どっかりと広い湯船に腰を下ろすと、少し冷えた体に順繰りに血液がまわりだすのが感じられる。
「ふうう」
やはり銭湯はいい。これほど安くてリフレッシュ出来るものはない。今日は冷え込んだせいか湯気が多く、あたりはまるで桃源郷の様だ。
お湯に浸かりながら香は、さっきのノートパソコンの文字化けした得体の知れない紋様を思い出していた。わざとしてもあのような面妖な文字は作れない。
「いったいどういうふうにしたらあの様なものが作れるのだろう」
香の頭には、昼間見た文字化けした紋様が浮かんでは消えていった。
銭湯でたっぷりあったまった香は、身体から湯気を立ち上らせながら自宅へ走って帰った。
自宅には誰もいない。まだ両親は帰ってない。
階段を上がって自室のベッドにポーンと自分の身体を投げ出した。
腹が減ったが、湯上がりで動く気になれない。
「しっかし、遅いなあ、一体いつまで仕事してんだ」
待てど暮らせど父も母も帰ってこない。
香は湯上がりの疲れもあって、いつの間にかベッドでそのまま眠りについてしまった。
深い眠りに落ちた香は、夢を見た。夢にしては、いやにはっきりした映像であったが。
香は遠い向こうに大きな河が見える。丘陵の上に立っている。ひどく寒かった。
周りにはたくさんの人間達が、うごめきあって、何かを運んでいる。
沢山の労働者は、ボロをまとい、見るからに重そうな、白く輝く岩石を運んでいる。あれではひどく寒いのではないか。
この様な地形は、どこかで見た記憶げある。昔、学校の見学で見た、奈良の明日香村で見た古墳がそうだ。
さっきまでベッドで寝てた自分がなぜこんな所へいるのだろう。
なるほど、またいつもの荒唐無稽な夢か。
香は始終毎晩の様に夢を見る特異体質だ。キャンピングカーの夢も見るが、他の夢も毎晩見る。毎晩夢を見る人間など、香の周りに1人もいないので、やはり自分でも特異体質だとは思う。夢のメニューは色々あって、ずいぶん大きなホテルで暮らしてる豪勢な夢や、エーゲ海でヨットに乗り遭難する夢、ひたすらネズミから逃げている夢、自分が男になって、チョコレート工場で働いてる夢、北海道で昆布漁をやっている夢、気球に乗って地上すれすれを飛行してちっとも浮上しない夢、将棋棋士になったが試合中将棋盤を見たら自分の将棋の駒だけミカンになっている夢、アニメーターになりそこねた夢、泥棒になって公務員の給料を全部盗む夢。地獄を脱出して天国へ行きまた地獄へ落ちる夢、たこ焼き屋で破産する夢、核シェルターの中で朝寝坊して学校に遅れる夢。
やはり毎晩夢を見るというのは、どこか自分はおかしいと思う反面、毎夜、2本だて、3本だてのロードショーを無料で見れるのはものすごく得をしている事になる。それゆえに香はこの自分の特技を自慢に思っている。しかし、親にも、友人にも誰にもこのことは話してはいない。
特に親にはあまり心配はかけたくないのだ。
今夜も香は夢の世界に迷い込んだ様だ。
ボロをまとった、みるからに使役人、もしくは奴隷と言っていいと思われる人々はかなり重そうに石材を運んでいる。かなり大がかりな工事をしている。たしか古墳であろうと思われる建設物は王の墓だ。
自分のいでたちをふと見ると、かなり高価な宝石の様な装飾をつけている。どうやら香がこの世界では王であるらしかった。
「どうやら、今晩はなかなか良い目を見れそうな夢の様だ、なるべく醒めないようにこの夢を長引かせたいものだ」
香は、今晩の夢がネズミから逃げ回ったり、昆布漁でこき使われる夢でなく、それどころか一国の王であった事に多いに満足した。

「ホムタ王」
いつの間にかとなりに立っていた長老の男が香に話しかけてきた。
ホムタ王、私のことか。
「なんじゃ、」
ホムタ王になった香はもったいつけて返事した。
「後、3年もしたら、ホムタ王の墳墓も完成します、喜ばしいことです、これでとなりのクニのやつらは度肝を抜かれるのは間違いないことです。ハムニオも大変嬉しいです」
どうやらこの長老の男はハムニオという名前らしい、良く時代劇に出てくる殿様の側用人みたいなものか。
しかし、この巨大な墓を造るのに、まだ3年もかかるのでは、こき使われる民もかなわないな。もっと有益な、例えば耕作地を造れば、民も豊かになろうというものなのに。
すっかり夢の世界の人物になった香は、もはやホムタ王そのものであった。
「もっと、はやく2週間くらいで、おわらんのか」
ホムタ王は長老のハムニオに尋ねた。ハムニオは目をまるくしてさけんだ。
「とんでもない、まだ、中の飾り絵の制作に、海の向こうの百済国から、沢山の工人を連れてこなければなりません。絵ができるまででもに2年はかかりましょう、それでなくても倭を狙う敵国は多い、その為には云々かんぬん、、、、」
「わかった、わかった、冗談じゃ」
ホムタ王は手でハムニオの抗議を制した。
「倭、たしか倭と言ったな、さすればこのクニの名は倭か」
ホムタ王は香に戻り、はてなと考えた、どこかで聞いた事があるな、学校で確か日本史で習った事がある」
うーむ、思い出しそうになるが、そこまでだった。

筆者より一言

倭というのは、この時代の日本の中のあるクニの名前である。
古代日本には国家と言えるほど整った行政地域は無い。文章の中で国と書かずクニと書いてあるのは、国の様なものなので便宜上そうしているのだ。字数を稼ごうとか、国へ変換する手間を惜しむとかでは決してない。実際考古学用語でもある。
倭というクニが、日本で果たしてどう呼んでいたかは誰も知らないことである。中国の三国志の一部、魏志倭人伝にこの当時の日本の事を、比較的詳しく書いてあり、その中で当時の日本の一部を倭と呼んでいるのは有名だ。しかし、それもあくまで少ない資料の中の一部である。前回も言ったが、この読み物はあくまで小説であり、学術書ではない事をよく理解しておくように。この時代の日本の記録は日本に文字が無かった為極端に少なく、これは専門知識皆無の筆者にとり非常に助かるのである。にもかかわらず、古代学者シュリーマンさながらに、一体どこからどうやって集めたのかわからぬが、詳細で綿密な資料をいちいち持ってきて、この時代にこの様な衣服はなかったはずだとか、この時代にはそもそも主従の概念が存在しないとか、あろうことか、私の文筆生命を脅かすような新解釈、新発掘などをあげてねじ込んでくる輩なども存在するのだ。
しかし、これだけは言えるのは、タイムマシンで過去へ行かない事には、私の記述した文章を嘘だと断言出来る証拠は何もないのである。であるからして、私の小説の時代考証などに時間を費やすのは無駄というものである。
そうは言ったものの、油断のならない世の中で、いつ何時に新しい発掘、発見が無いとも言えない。その為シマリスより小心な筆者は、いちいちこのような注釈を入れなければならず、一向にこの物語は前へ進まないのである。

再開

「とにかく、もう少し完成早めになれば良いな、そうすれば民の負担が減り、耕作地も増やせるな、ハムニオ」
ホムタ王がゆったりと、威厳を持たせて言った。
「仰せの通りに、皆力をあわせます」
ハムニオは深々と頭を下げて答えた。
ハムニオも、特に巨大な墳墓を造るのが好きなわけでない。この様な作業がなければもっと耕作地を広げて、豊かな実りを約束してくれるのだ。
しかし、この巨大な墳墓は、民が王を畏れさせる効果は抜群であった。遠くから見えるこの墳墓は、まるで巨大な丘陵であり、王の威光はクニの中だけでなく、隣国までも圧倒していた。実際この墳墓の姿が次第に露わになってくると、それまであった隣国との小競り合いは激減した。
巨大墳墓の力は絶大であった。圧倒的な力は平和をもたらす。中途半端な民への慈愛は、逆に内乱や、戦争の元になり民を苦しめるのだ。
その夜ホムタ王は夕食を終えて、酒を側女に注がせて飲んでいたが、妙に疲れを感じて寝所に入った。ホムタ王は個食で、食卓に臣下を呼ばない。
側女が1人つくだけだ。
寝所の前にも護衛の舎人が2名いるだけで、まことに寂しい王のたたずまいである。
寝床に横たわったホムタ王は、傍の酒盃を自ら引き寄せて口をつけたが、強い眠気を感じそのまままどろんだ。
ホムタ王は夢を見た。何か見たこともないほどたくさんの人がいる。ホムタ王は石と木で出来た家が立ち並ぶ不思議なクニを歩いている。すれ違う民は見たこともない衣服を着ている。驚いた事にホムタ王に会っても誰も頭を垂れない。
「無礼な奴らだ」
ホムタ王は憤りを感じて、ハムニオを呼びつけるがハムニオはどこにもいない。
周りは何かぼやけてよく見えない。強く雨が降ってきて周りはますます煙って何も見えなくなった。
 夢か、夢なのか
何か喋ろうとするが、声が全く出てこない。夢でよくある話だ。
ホムタ王は、すでに香の記憶を無くしていた。
今まで見た事もない、巨大な建物、猛烈なスピードで動き回る金属の塊、目が潰れるほど眩い光、ここは一体何なのだ。
ふと、わずかに残っていた香の心が蘇った。そうだ、いつもの夢だ、大体この様なシーンで夢が醒めてしまうのだ。またまた、いつもの夢か。
今夜の夢は気持ちの良い夢だったのに、惜しい事をした。王の生活をもっともっと楽しみたかった。
頭の中が、クラクラしてきた。どうしたことか、何かとてもうるさい音がしてくる。
「なんだか、うるさい、うるさいぞ、騒々しい」
夢から醒めたのは、香では無く、ホムタ王だった。
あたりは真っ暗だった。手を伸ばしても自分の手も見えなかった。これは、眠るときは真っ暗闇にするのが好きなホムタ王の命令によるものだ。普通高貴な人は、一晩中側女に灯りを絶やさぬ様に、火の番をさせるのが普通であった。
まだ、夜明けまで時間がかかりそうであるのは、闇の音が教えてくれる。
冬の早朝という事もあり、周りの空気はまだ硬く、ホムタ王はまだ身体を起こす気になれなかった。しかし、目は完全に醒めてしまい、いつまでも横になったままではいられなかった。
東の方を見ても未だ白みがかった朝の音は聞こえて来ない。ホムタ王はもう一度目を閉じた。
昨日、自身の墳墓の工人達の姿を思い浮かべた。白く輝く墳墓の壁は誠に美しかった。多分遠方より運んできたのだろう。
工人達の数はざっと200名は目に入った。総勢は500は超えるのではないか。もしも、それだけの数の人間が、耕作地の開墾に当たれば、遠大なる耕作地が出来上がるだろう。確かに王の威厳は大事だが、それを保つ為にはあの様な馬鹿げた巨大な建築物を造る以外にないのであろうか。何か手があると思うのだが、それがすぐには思いつく事が出来なくて歯痒い事しきりであった。
ホムタ王な悶々としながら闇夜の時を過ごした。そのうちに、東の空は僅かに白んで来た。ようやく朝が来た様だが、それとは逆にホムタ王は眠りに落ちていった。冬の朝焼けが次第に空を染めてゆき、次第次第にあたりを明るくしていった。そして、ある時を境に東の空は、まるで大火事で空が燃え上がる様に紅に染まった。まるで、この世のものとも思えぬ様である。朝の奉仕にきた側女達がそれを見て思わず息を呑むほどであった。それほど今日の朝焼けは見事と言うか、地獄の紅の炎の様に鮮やかであった。
ホムタ王は、その朝焼けの真紅の日の光を浴びながら、ひたすら寝入っていた。それは、まるで血の海で横たわる屍体の様であった。
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