詭弁雄弁① お見合いだろうと自由恋愛だろうと…

 休職してフラフラしとりますと余計な物を見て、余計なことを考えたりするのは自分の性というやつですが、X(旧Twitter)を見てますと、結婚出来ない男性と思わしきアカウントなんかを良く見かけます。
 その中でもよく目にするのが自由恋愛への反感という空気ですね。要は景気が悪いとかお金がないとかで男性の中に格差が生じ、結婚したくともできない人達が更に思い詰めて、「半世紀くらい前までのお見合い結婚が主流の時代の方が、自分等も結婚するチャンスがあった」と考えるわけです。
 
ここまで書いたうえで私なりの考えを述べますが、私の手元には何のデータも資料もありませんので、ここから先は全て社会に対する妄想です。そんな文章頼りにならん、と思った方はこの辺で私の記事はブラウザバックされたほうが絶対に賢明です。


 さて、もちろん昔は家や親戚や職場何かでも「この人どう?」なんてお見合いの話は多かったのでしょう。そうやって結婚の機会を得た人もまた、多かったのでしょう。
 しかしながらこれ、結局は自分本位の結婚となるのかは甚だ不明だと思いますね。まず何よりも相手を選べるかといえばそうではなく、「この人どう?」で紹介された相手が好みにあるかは未知数です。仲人さんに相手探しを代行してもらってるわけですからね。相手が誰でもいいから結婚という事実を勝ち取りたい人を除き、深く相手を知らずに結婚するというのはちゃんとした、それは夫婦仲良く離婚の恐れの少ない結婚生活を望む方には精神的なリスクがあると思います。
 また、仲人さんというのはそれなりに自分や親等も信用している人でしょうし、そんな人から紹介された人から紹介された人を、ちょっと合わなそうという理由で無下に断るというのもなかなか体面上難しいものではないでしょうか。更にいえばいざ結婚してから相手と全く合わないことがわかったら悲惨なもので、仲人さんへの体面もあって離婚したくともなかなか踏み切れず、ズルズルと不幸な夫婦生活を送らねばならないかもしれません。
 自由恋愛には誰からも選ばれないリスクはありますが、自分が選ぶというメリットもあります。対して見合い結婚は選ぶ手間暇と選ばれない不幸は回避できますが、選んでから先やり直せる、もしくは引き返せるチャンスは少ないと思いますね。


 あと、自由恋愛では相手がどんな人であれ好きになったら結婚までいけるでしょう。しかし、見合い結婚の場合は仲人さんが自分と見合う相手を探しています。まさに「お見合い」なわけですが、見合う相手となると社会的地位も似通った人が選ばれるでしょう。玉の輿、逆玉なんてことは起こる確率など低く、結婚からの人生一発逆転は難しいといえます。
 そりゃ仲人さんだって、例えば「この人仕事はしてなくて家で家事の手伝いはしてくれるけど、行く宛もないし結婚して貰える?」なんて紹介できるはずもありません。仮にも紹介された家のご子息も首を縦に振るわけもないでしょう。結局は名家は名家に見合った、貧乏は貧乏に見合った、それなりの人はそれなりの人に見合った相手と結婚するように仕組まれるのです。
 だからこそ昔の自由恋愛に憧れた人達は、駆け落ちなんてことにロマンを抱いたんだと思います。見合い結婚主流の社会では、身分違いの恋なんて叶う可能性は低いですからね。 

 結局のところ、見合い結婚だろうと自由恋愛結婚だろうと、いい相手を見つけるには自分が努力しなければいけないわけです。顔の良し悪しは生まれ持ってのものなのでなかなか対処は難しいですが、少なくとも身分や身だしなみや教養はどんな境遇の人でも努力すれば勝ち取ることはできます。そうすれば意中の相手にも、見合い相手を選ぶ仲人さんにも、この人ならばと選ばれ良縁に巡り会える確率は自ずと高まります。どっちみち魅力ある人間に努力した人は、どんな仕組みでもいい相手と巡り会えるわけです。


 ここまで偏見と憶測で、一端の社会批評家気取りな文章にお付き合いくださりありがとうございました。結局人から選ばれたいのなら、それ相応に努力せんとね、というのが本記事の結論でございます。
 今後もこういうエビデンス0の適当な駄文を書いてまいります。ちょっと面白いなコイツ、と思った方はいいねしてくださると嬉しいです。
 今後も宜しくお願い致します。



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