小説2.花冠

梅雨の時期だから今日も雨模様。
ジメジメとした空気は好きじゃないけど、成人していない僕が誰にもバレずタバコを吸うにはとても良い。傘で隠せるし、すぐ捨てられる。
僕は常々思うのだが街の環境や外観をより良くするためにポイ捨てをするのは辞めようというのは身勝手極まりないと思うな。だってさ、ここに最初から街があったわけじゃないし初めに環境や外観を壊した僕ら知能が高いだけの奴らが言える立場にないと思うんだよね。それから僕は自傷行為のかわりにタバコを吸っているから別に腕やらをコソコソ切るよりいいじゃない。死にたいけど死ぬよりはマシでしょ。

なんてグチグチ能書きばかりしながらフラフラ当てもないまま歩いていたら迷子になった。
家に帰るといつも不機嫌な母と暴力的な父と怯えきった兄弟姉妹が居るため家にはなるべく帰らない。怒られない程度の時間までフラフラするのが日課だけど流石に迷子は駄目だ、帰る頃にはもう夜になるかも。こりゃ早く帰らないと殴られるぞ
と思い、連なる家屋の隙間を縫いながら足早に歩いていると家の近所の防風林まで戻ってこれた。
良かったと安堵しながら防風林を眺めながらタバコに火をつけて歩く。ふと林の奥に小さい木造のオンボロ小屋が在るのに気が付いた。雨の中進む勇気は無いため今日は諦め後日行こうと家に帰る。

家に帰ると珍しく上機嫌な両親のおかげで今日は怯えず安心して眠れそう。
今日はいい日だ。親は機嫌が良いし林に面白そうな小屋も見つけた。わくわくするね。明日が楽しみ。
晴れるといいな。

起きてすぐ怒られないよう学校へ向かう。今日は梅雨時期にしては珍しい快晴じゃないか。
学校に着きつまらない他人の僕に対する謂れのない悪口もなんのその。苦しいけれどなんのその。僕には今日は楽しみがあるのだからね。
下校のチャイムと同時に早歩きで学校を出て家にはすぐ帰らずに防風林へ向かう。いつもより足が軽いぞ。

林に着いて藪を掻き分け小屋に近づく。
藪に隠れて見えなかったが、多種多様の白い花が一面に広がっている。小屋に住む誰かが植えたのだろうか。まぁ綺麗だなぁと考えながら花を踏まぬように進み小屋に入ると、これでもかというくらい荒れていた。
雑草や白い花の中割れたブラウン管テレビやら黒ずんでいる冷蔵庫やら大きなスピーカーやら崩れ落ちた本棚やら壊れた机や椅子やら、どれも隙間という隙間から高く伸びた草花が生えていて、どれも小さな小屋の隅っこに寄せ集められている。なんだか面白みがないなと思ったから除草してブルーシートでも敷いて僕一人だけの秘密基地に改造してやろう、そうしよう。幸いなことにオンボロな割に雨漏れなどは見受けられない、タバコを吸うにもいい隠れ家だ。とりあえず道具もないのでタバコだけ吸って帰ろうと寄せ集めの家具たちに腰を据えようとしたら僕が見ていた側面の反対に先客が座っていた。
肩くらいまでの黒髪に緑色のロングカーディガンを羽織った本を黙読している女性。
「あの、こんにちはぁ…」とオドオドしながら声をかけると「こんにちは」とその女性は気にする素振りもなく軽く会釈をしながら挨拶を返してくれたではないか。
「この小屋ってもしかしてあなたのですか?」
と少し考えれば失礼すぎる質問に対しても
「あぁ、いいえ、勝手に入ってるだけです」
とこれまた抑揚もない声で言う。
どこまでも平淡な人だなと思った。
怒号や悪口の類をこの身に直接受けてばかりだからか静かな声に少し安心してしまう。
「隣、座っていいですか?」
「構いませんよ」と言ってもらえたので腰をおろした。
「この小屋っていつからあったんですかね」
興味もないのに間を詰めるためだけに言葉を発するのは僕の悪い癖かもしれん。でも
「十数年前に吉田って方が住んでいたらしいです」
と言われて、あぁ昔よく街を闊歩していたあの熊かと思い出した。
ガタイが良くて2mはある艶のある黒い毛並みの熊だ。ペンギンやら人間やらリスやらは街中に溢れているけど熊は滅多に見かけないからまだ小さかった過去の僕が記憶している。確か飲酒の末に街を壊してからこの街から見かけなくなった。テレビで熊の名前が吉田と知った。この街がテレビに出ると思わなかったし、まして見たこともある奴が画面に映ったことに衝撃があって年数が経っても薄っすら覚えている。
吉田はこんな小屋に住んでいたのか、家具やらも自分で壊したのかもしらん。
そこから隣の女性に何を話せばいいか考えあぐねるが何も浮かばずに黙ることにした。
黙って気がついたのは隣の女性はあまりに静かすぎることだろう。
吐息や本をめくる音も聞こえない。目を閉じるとまるで一人でここに座っているような感覚になる。
隣に目を向けるとそこに確かに居るのだから幻ではないようだ。

このまま帰りたくないなぁ。

そう思った瞬間、彼女が
「私はそろそろ帰りますね。」
とても静かに告げて静かに小屋の外へ向かい静かになった小屋で言いしれぬ孤独感を味わった。
この空虚さが恐ろしくなって僕も帰ることにした。
小屋の外はもう赤や黄色に染まっていて、周りに咲いていた白い花さえ染められている。
僕も急いで帰らないと怒られる。
でも怒られても良いや。明日も来よう。
明日も会えるといいな。


次の日も学校が終わって即座に小屋に向かった。
小屋に入りすぐ彼女を見つけた。
隣に座っていいか聞いて、昨日の通りに構いませんと言ってくれるから嬉しいな。
しかし話題を考えてなかった。
それでも彼女の横はこんなにも安心できる。黙っていても独りに思えない。でも一人でいるときの静けさで。何で彼女はこんなにも透明な温度をしているんだろうか。
「なんの本、読んでるんですか?」
この娘を知りたくなって初の質問がこれだと僕は僕に落胆するな。
「読みますか?」
この日から僕ら二人は自身のお気に入りの本を交換して読むのが始まった。
僕は繋がりが持てたことが嬉しくて嬉しくて彼女が貸してくれた本の1冊1冊全てメモをしている。彼女はどうだろうか。

かれこれ2週間は休日も平日も関係なく本の交換と他愛無い世間話を少しだけしていた。
僕は僕を知って欲しくなって家族や学校でのことを話した。怒号や暴力、陰口などのこと、それらが痛いことを隠すため腕を切っていること、そのかわりにタバコを吸い始めたこと。
彼女が透かしたような声で1言だけ
「強い人ですね。私は強くないから。」
心の中が真っ白に覆われたような、それか不純物を全て取り除かれた気持ちになった。いつも弱いからそういう風に自傷するんだ、弱いから、弱いから。
散々言うくせに他人はいつも他人を傷付けてる。
この娘は優しくて強くて美しくて清らかでどこまでも透明で、どこかいつも哀しそうで。
僕は君を好きみたい。綺麗だよ、世界1。宇宙1。
銀河1。美しいよ。伝えたくなった。
伝えたいから伝えた。
「ありがとうございます」
そう言う彼女に僕の気持ちは伝わってない気がしてる。語彙もなくありきたりで痛い言葉を使う言い訳ばかりの僕はいたたまれなくて恥ずかしくなった。
から本を交換して
「また明日。」
そう告げて家に帰った。

次の日、小屋に向かうと彼女は小屋の外に立って花を眺めていた。
やっぱり綺麗だよ。白い花が似合ってる。
「あの、花冠作りませんか?」
そう言う僕に彼女は静かに頷いた。

不格好だけれど多様な白い花で冠を編んで、彼女に渡した。
彼女はそっと僕の編んだ花冠を頭に被ってくれた。
「とても、綺麗です。」
僕は何回でも伝えたくて何回でも伝える。
恥ずかしかったからか彼女が
「なんでこんなに花がいっぱい咲いてるんですかね」と言う。何も考えずに
「吉田さんが蜜でも集めてたのかもしれないですね」と言うと彼女は少し可笑しそうに微笑んで僕の右肩を叩いた。少しだけ声を出して笑う花冠を被った彼女はやっぱり綺麗で天使みたいね。
いつも静かな彼女の笑顔を初めて見て僕も笑った。
嬉しくて。彼女の笑い声が心地よくて。

彼女がぽつりとぽつりと
「私、すぐ近くの心療内科から薬を貰ってるんです。そろそろ薬たまってきたので、もうこの小屋には来れないんです。なので本の交換も今日からは出来ません。良ければ私の編んだ花冠、差し上げます。もう行かなきゃ。ありがとうございました。」
彼女は僕に花冠を渡して立ち上がり、少し離れてから深くお辞儀をして
「さようなら」
そこから陽炎に溶け込むように去ってしまった。
時が止まっていた感覚から抜け出して、何も言えずに僕は残された。幻みたいな彼女は幻じゃないのはこの花冠が綺麗なのが証明している。
突然のことで僕は明日も会えると思って家に帰る。

次の日、小屋に向かい入ると薄暗くて、熱のこもった廃墟でしかない。
小さい部屋で彼女を探すけど、居るはずない。
声が出せない。
僕の妄想じゃないと知れるのは、僕が知らなかった本たちのメモと綺麗に編まれた花冠のおかげ。
あの娘は確かに此処に居た。
外に出て白い花を見るとうなだれてる。

何も言えなかった。なんて言えばよかったのか。
なんで引き留めなかったのか。独りの空虚をまた味わっている。今までよりも惨めで重力より重く苦しい空虚。
小屋に戻っていつもの場所に座る。あの娘の場所を空けて。

最後の言葉を思い出しながらメモを取る。
どういうことか考えながら。
考えたって仕方なくて、誰もいないのに隣に声を掛ける
「何時から梅雨が終わってたんですかね。」


何時まで泣いてただろう。もう小屋の中は真っ暗で明らかに夜だと分かる。今家に帰れば親には殴られ蹴られ酷い目に合うだろう。
帰らなくていいか。
明日からどうしようか。
泣き疲れてタバコを吸う。
煙が満たしてくれるはずもなく、静かに散っていく。
心のなかに彼女の姿に穴が空いてる様な。
自傷よりも深く大きく広がる傷口の様な。

花冠をかぶって少し笑った。

覚悟を決めて家に帰って、案の定酷い目にあった。
散々殴られて、散々酷く醜い言葉を当てられた。

大丈夫。僕は強いから。僕は強いから。
ねぇ?美しい君が言うんだ。君みたいになりたいんだ。君の隣に居たいんだ。

次の日に学校に行って、案の定酷い目に合った。
散々酷く醜い言葉を投げ飛ばされた。

大丈夫。僕は強いから。僕は強いから。
ねぇ?美しい君と居たんだ。君みたいになりたいんだ。君の隣に居たいんだ。


幾度目の夏か忘れた。もうそろそろ僕は二十歳になるよ。花冠は綺麗なままだよ。今日僕は誰にも内緒で此処じゃない場所に行くことにしたよ。最後の賭けだ。家出することにしたよ。君の花冠があるから何処までも行けるよ。着いた先で駄目だったら君の隣に行くね。上手くいったらもう少し生きてみるよ。君がまた笑ってくれるような、それでいて君を愛した気持ちを僕にも向けられるようになったら、やっぱり君の隣に向かうよ、ハッピーエンドを聞かせるよ。だから、さようならじゃないよ。

「またね。」




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