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敢えて、敢えての途中書き(7月6日雑感②)~黒山羊さんからの手紙~

察しの良い方は、
もう…
お気付きかもしれませんが、
先程投稿したものの続きになります。

なんで…
こんな書き分け方をするのかって…
それぞれの記事が長くならない様にして、
読み手を疲れさせない様にする。
ちょっとした読み足りなさを感じさせながら、
もうちょっと読みたいと思わせる心理をくすぐる…
なんて言うテクニックも…
さる事ながら。

自分自身が、
書くテーマを選り分けたい気持ちが働いたからなんですよね。
為になってもつまらないと思うのは、
マジックのタネを明かされるのにも似てますね…
きっと。

でも、
その種明かしをしない事には、
新しくマジックを見せようとする人も育たない訳で…

でも…
種明かししたところで、
簡単に真似られる訳でもないし、
何ならその魅せ方自体に
引き込まれる事もある訳で…

結局、
ネタバレさせるにも、
やり方と言うものがあるわけです。

記事の書き方の極意にも通じているような…

なんなら、
自分自身がより深く知りたいが為に、
教えながら試していって学ぶみたいな事をしている訳です。

凄い人の良い記事を読んだ所で、
自分自身の記事として良い記事が書ける事に直結する訳ではないのです。

その記事を読む事に意味はないのかと言うと、
必ずしもそうではない。
将棋棋士が棋譜を覚えるように、
音楽家が譜面を覚えるように、
より良いものを表現するための素地になるのです。

ちょっと例えが乱暴過ぎましたかね。
語彙や知識の量や質が、
こうしたものの表現にも反映される訳です。
だからこそ、
より良いものに、
より多く触れて、
表現の幅を拡げておくのが必要になる訳で。

なんだかんだと書き綴りましたが、
こっちの記事こそ、
読み流されて、
印象に残らないんじゃないかとビクつきながら、
書いていて楽しんでいる自分がいるんです。

書く内容そのものより、
やり取りし続ける事に意味を見出して楽しんでいる。

まるで、
その様子は…
童謡 「やぎさんゆうびん」
のやり取りですね。

それでは、午後も楽しいやり取りしましょうね。



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