見出し画像

生真面目でも損するよ

切り札が揃わぬ日々に焦りつつ度々手元取り替えたくて
賭け事もしないでいてもジリ貧の日々投げ飛ばし喚きたいわさ
少しでも遊び心があればそうガチガチよりもちいとはマシさ

プラセボな思いだろうが抱いていけ いつの間にかさ本物になる
ノセボかい のぼせてるのか 分からずに 人の言葉に 翻弄される

短歌づくりに必要なのは、
基本的には語彙集めである部分が一つなのですが…
語彙が拙い・少なくても、
良い歌が出来ることがあります。
寧ろ、
変な雑念が入っていない状態の時に、
詠める歌もあるのです。
寧ろ、
雑念まみれで悩み抜いた歌にも、
良い歌があったりと、
作った時点では、
分からないものもあります。

取り敢えず、
肩ひじ張らずに、
短歌を詠んでみてください。

日々、
短歌を詠み、
短歌に触れていると、
響かない歌や、
理解する人を選ぶ歌…
万人の手本になる歌…
色んな歌が世界に、
本に、
歌会に、
日々綴られていくのを目にするんですよね。

結局は、
貴方がどんな出来事にあったのかが、
日々の短歌になっていく訳です。

私の場合は、
人生を歩む為の…
健康手帳の様になってしまいましたが…

それだけ、
短歌は、
身近なものに出来る訳です。

まあ、
なければないで、
生きてはいけますけど、
色々と不具合はある訳です。

私から見た短歌の魅力を
説明しようと書き綴りましたが、
良くも悪くも感情的で理路整然とはしていませんね。

そもそも、
短歌は気持ちを詠み込む要素が高かったりします。
俳句の様に、
只々、
風景を詠み込む訳ではないんですよね。

尤も、
風景を只々、
詠み込む…
情景詩もあるので…

取り敢えず、
31音に収まっていれば、
現代短歌の定義には当てはまりますので…
何が間違いだという訳でもない。

良い歌かどうかは、
また別の話ですが…

取り敢えず、
良い歌が出来るかどうかは別にして、
日々作っておいた方が数は作れるようにはなります。

それぞれの質にこだわるのなら、
自分の人生を豊かにするのが、
一番だと思います。
(人生の健康手帳代わりというのはそういう訳。)

散々、
短歌の魅力について、
今日は書き綴りましたが、
皆さんはどうでしょうか。
感想お聞かせくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?