どこまでも清潔で明るい家

4. アルツハイマー

「これは、アルツハイマーでしょうね。しかも見たところ、かなり進行しています」
 そこは診察室だった。病院それ自体は、駅の西口からときわ台駅行のバスに乗って十四分の場所にある。その間に語るべきところはあまりない。乗車しているバスもどの街にも走っていそうな興業バスであったし、その日乗り合わせていたほかの乗客たちも、ごく数人であったが、平凡そのものだった。みな一様に、家族から免許証の返納を説得されてきた直後のようなしけた顔をして、前を向いている。運転士が「志村一丁目前、志村一丁目前」とアナウンスをした。そこで降りたのは僕ら三人だけだった。ピザーラの看板が見える十字路を右に曲がり、その次の交差点を左に折れた先にその病院はあった。「これは、何て読むんだ?」僕は「小豆沢」と書かれた看板を目にしながら、独り言のように母に聞いてみた。「あ・ず・さ・わ」母は一音一音、丁寧に区切って読み方を僕に教えてくれた。母と娘というのは、どうやらよく似るものらしい。
 祖母の検査を待っているあいだ、僕はいつものように空想に耽っていた。考えていることの大部分は取るに足らないよしなしごとだ。客先からのクレームのメール、出張先のホテルの予約(次は名古屋だ)、再見積……。隣にいる母親がこちらに何かを話しかけている。でもマスクのせいで、上手く聞き取れない。この息苦しい習慣はいつまで続くんだ?……ったく。
 しばらくして診察室のランプが点灯した。そして受付番号を知らせるアナウンスが待合室に流れる。僕は手元の紙切れに書いてある数字とそれを照合させる。僕らの番だった。足早に診察室に向かう。
 診察室のなかには我々がよく目にする風景が広がっている。簡易式のベッドが一台、キャスター付きのワゴンとその上の血圧計、そして患者用の丸椅子、そういったものだ。昔と違うのは、カルテが机に散らばっていないことぐらいかもしれない。ずいぶん前から、病院は電子カルテの世界なのだ。今どきの医者はドイツ語でカルテを作成したりはしないのだろう。
 祖母は簡易ベッドの上に腰掛けて座っていた。祖母はここ数週間のうちに急激に体重を落としていた。仕事を続けていたこともあって(彼女は長らく歯科医療機器メーカーに勤めていた)、体重は四十キロ台後半を維持していたが、ここに来て八キロ近くを落とし、日によっては四十キロを割り込むこともあった。部屋のなかは窓の外から差し込む一月の光に包まれている。祖母は着ていたダウンを脱いで、肌着一枚になっていた。骨ばった上半身が露わになっている。母がペットボトルに入った水を自分の母親に勧めた。しかし、祖母はそれを受け取らなかった。
「今さっき、こちらで飲ませたので大丈夫だと思いますよ。ご高齢の方は水分不足を自覚しづらいですからね。お気持ちはわかります」
 その医師の声は非常に落ち着いていて、耳障りなところが一切なかった。歳の見当はつかない。馬鹿に年を食っているようには見えなかったが、かと言って新人の研修医にも見えなかった。顔の色つやははっきり言って良くなかった。ただ、それが元々の肌の色なのか、それとも疲れから来ているのかは判断しかねた。「何連勤ですか?」と僕は危うく聞きそうになったが、その前に向こうが言葉を継いでくれたので、僕はひどく安心した。
「これを見ていただけますか?」
 医師はそう言って、紙に描かれた一枚の絵を差し出した。それはいびつに描かれた時計の絵だった。よく見ると文字盤は正確に描かれているものの、長針と短針は逆であったし、そもそもきれいな円にもなっていなかった。だれが描いたのかは聞かずともわかった。
「これはあくまで簡易的な認知機能テストなんですが、ごらんになってわかるように、だいぶ認知機能に衰えが見られます。一昔前、痴呆と呼ばれていたような状態です。もちろん今は差別的だという理由で公の場での使用は認められていませんが……、すみません。余計なことでしたね。僕はそういった言葉狩りのようなことがあまり好きになれなくて」
 僕は返す言葉を持たなかったので、不器用に作り笑いをしてみせた。相手が言ったことに対して、肯定も否定もできないようなときに僕はこれをやる癖があった。ずいぶん前に自分で気がついてから、直さなければいけないと思いつつ、月日だけが流れていた。別の、もっと良い方法を考えなければいけない。
「もう一人暮らしは無理でしょうか……?」娘でもある母親の声には緊張の色が見えた。
「……率直に言って、この状態で一人で暮らせていたことの方が奇跡です。可能であれば、どなたか親族の方と同居することを強く勧めます。それに、少し気になる所見もある」
 母親は俯けていた顔を思わず起こした。僕もその気持ちは理解できた。
「血糖値の数字が少し高く出ています。これだけでは判断がむずかしいんですが、糖尿病の恐れがある。これは僕からの控えめな提案なんですが、検査入院して行かれるのはどうでしょうか?今ならベッドの空きもありますので」
 僕と母親は目を合わせた。悪くない話だった。

 これはある日の昼下がり、僕が盗み聞いた母と叔母、二人の会話だ。何しろ沈黙の多い会話だったので聞き取るのにひどく苦労したし、辛抱強くなる必要もあった。もしかしたら僕の努力が足りず、聞き落した部分もあるかもしれない。けれども大凡は理解してもらえるはずだと信じて、ここでその一端を紹介する。前口上が長くなりすぎた。語り部はここで一旦、引き下がる。
「それで、お母さんの退院はいつなの?」
「二十九日。もうすぐよ。考えるだけで頭が痛くなるわ。知ってるでしょう、あの人の性格がどれだけ酷いか」
「プライドが高い」
「それだけじゃないわ。ほら、あの人、壊れかけのラジオみたいに飽きもせず似た話をするでしょう。私、あれ、昔から苦手なのよ」
「79・5みたいに?」
「79・5はまだバラエティーに富んでる。広告は似たようなものが多くて聞いててときどきうんざりするけど、それはまあ仕方ないわ。広告はあくまでそういうものだからさ。うるさければボリュームを下げる自由もラジオにはあるじゃない」
「お母さんの前でそういう自由はないもんね」
「ないわ。だからときどきこっちの手で口を塞ぎたくなっちゃうのよ」
「都営住宅はどうするの?」
「引き払うしかないでしょう。代わりに住む?」
「いやよ、あんな狭苦しいところにまた戻るの。それより置いてある物はどうしよう?お姉ちゃんのところに行くのであれば、大半の物は要らないよね」
「御父さんの遺影と仏壇はもうこのタイミングでこっちに移そうと思ってる。そのほかの物は捨てて、貰い手が見つかる物はその人にあげちゃいましょう」
「それなら宮沢さんに聞いてみない?ほら、お母さんより一回り下で、旦那さんと二人暮らししてる人いたでしょう。あの人ならまだ元気だし、必要なものなら引き取ってくれるかもしれない」
「悪くないわね。じゃあ私はセコハン店に当たってみるわ。なかには値が付くものがあるかもしれないじゃない」

「観念しなさいよ。自分の母親でしょうが」
 そう言い聞かせていたのは夫の方だった。シャワーを浴びてきたあとなのだろう、髪はまだ濡れていた。彼は気取ったワイングラスに白ワインをなみなみと注ぎ入れているところだった。顔はもうすでに赤い。最初の一杯でないことは明らかだった。真向かいに座る妻の方は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「自分の母親だから嫌なんでしょう。あの人、二言目には『親子なんだから』とか『まだかわいい方じゃない』とか言うけど、それって面倒見てもらう側が言う台詞じゃないでしょうよ」
 僕はいかにも審判らしく左手を挙げた。妻の方が1ポイント、先取だ。けれども彼女はそれに満足しなかった。さらに攻勢を強める。しかしその矛先はどういうわけか目の前にいる夫に向けられた。
「聞いてるの?」
「聞いてるよ」夫がぶっきらぼうに答えた。「でもしょうがないでしょう。もう一人で暮らしていけないのは事実なんだからさ。まっちゃんとか、あともう一人、えーと……」
「アキ?」
「そうだ。アキちゃんとかに引き取ってもらうわけにもいかないでしょうよ」
「そら、彼女は行方くらましてるから」
「じゃあしょうがねえじゃん」
「そら、あなたはそう言うでしょうよ。問題ない、来てもらえばいいじゃないかって。まるで上品なお婆様でも一人、迎えるみたいに。自分は優しい言葉だけ掛けて、パチンコにでも行っちゃえばいいと思って気楽に構えてるのかもしれないけど、そんな生易しいことにはならないわ」

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