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優しさが循環する社会の実現のために

どんなやんちゃな子でも、問題児と言われている子でも、みーーんな、天然の優しさをもっているんです。

大人たちがもっとそんな子どもたちの優しさに気づける世の中になるといいなあ…。

“優しい“とは“優れている“こと


ありがたいことに私はよく人から「優しそうだね」と言われることがあります。
実際は全然優しいわけでは無くて、相手の助けになって頼ってもらえるようなヒトになりたいって思っているだけです。

本当に優しい人は“相手のために厳しいこともハッキリ言える”人だと思います。

さらに思うのは、
本当に優しさが秀でている人は「優秀」と読めます。
つまり、「優しい人」とは「優れている人」ということなんです。


想像してみてください。

電車に乗っていて最初は席がガラガラで座ってました。

しかし段々と満員になってきました。

次の駅でおばあちゃんが乗ってきて目の前に来ました。

あなたはどうしますか?

そりゃ、席を譲りますよ!

と答える方が多いと思います。

しかし、、、

この同じ状況でもしあなたが39℃以上の高熱でフラフラまともに立てる状態では無く、いま病院に向かう途中だとします。

その時に、座っていてあなたの前に杖を付いたおばあちゃんが現れました。

その時どうしますか?

私だったら、申し訳ないけど、「ほかに誰か譲ってくれないかなあ」って思ってしまいます。

前者と後者の違いって、
前者は、自分の気力体力が優れていたので譲ってあげることができて、
後者は、自分の体調が最悪な状態なので、目の前のおばあちゃんより体力面で優れていなくて相手に与えることができなかった事例です。


他にも言えることですが、、

親の優しさもそうですよね。

子どもを抱っこしてあげたり、
子どもがやりたいことをサポートしたり
優しい言葉と行動を起こしてあげるってことは、
とても大切なことですよね。

でも、
親として優しくできるということは
親として優れていないと、
経済的
体力的
知識的にも優れていないと
子どもにたくさんのことを
してあげることは出来ません。

お金も稼げない、体力もない、世の中何も知らない...

では何も与えることが出来ませんよね。

優しくなるためには
何をしなければいけないのか?

それは、自ら多くのことを学び
人として優れていかなければ
誰かに優しくしてあげたいと思っても
「ごめん、私にはできない」ってなっちゃいます。

つまり、
優しくしたければ
ヒトより優れているところを伸ばしていけばいいのではないかと思ってます!

優しくできることは他人のことを思いやる気持ちのことです。

「他人を思いやる気持ち」

それこそ本当の優しさなのだと私は思います。


優しさの循環

親子でいえば、天から授かった瞬間「親」から「子」へ優しさが伝わり

産まれてきて「子」から「親」へ天性の優しさとして還っていくことが

優しさの循環であると感じます。

子どもたちは生まれ持った天性の優しさを持っています。
その優しさを社会に循環していくような文化が残せたら
誰もが豊かに生きやすくなるのではないでしょうか。

そのような「優しさが循環する社会」を実現するため
大人たちの学び実践する力が必要だと感じています。

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