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セブ・マクタン島の子どもたちを見て考えた本当の幸せ➀


3年前まではフィリピンの教育や貧困問題、自分とは関係ない国の出来事だと思っていました。
国際ボランティアgo shareと知り合う前まではーー。

今は違います。
大阪からセブ島まで飛行機で4時間。
どこかの誰かの国ではなく、
同じ志の仲間と再会を果たす国、第二の故郷ふるさとに変わりました。

フィリピンセブ島地図

生い立ち

私は秋田県秋田市で生まれ育ちました。
医療に携わっていた祖父母の理念「人にやさしく」をモットーに高校卒業後介護職に進み10年以上勤めていましたが、様々なご縁に恵まれ大阪で整体院を開設させて頂きました。

その翌年、
2011年東日本大震災後、秋田に帰省したとき故郷の人たちが「地震の恐怖が忘れられない、毎日悪夢をみる...」と震えたまま全身の筋肉を硬く緊張させている姿を目のあたりにし大きな衝撃を受けました。

それからこの状況を変えたいと被災地に通い、身体と心の緊張を少しでも緩めていただくため「ボランティアマッサージ活動」をスタートしました。
 
最初は言葉をかける余裕すらなく黙々とマッサージをしていて被災地の方々にかける言葉が出て来ない状況でしたが、
「大変な時に来てくれてありがとう…またがんばれるわ」と涙ながらに喜んでいただき私の方が熱く勇気づけられ、人と出会い人とのコミュニケーションが何よりも大切だと実感したことをキッカケに、その後全国の被災地支援からフィリピンセブ島までこの活動の輪を広げてまいりました。

岡山県真備ボランティア

世界の不条理


フィリピンに初めて訪れたときです。
美しいビルや近代的なモールのすぐ横に広大なスラムが広がっていました。密集した地域には水道設備もトイレさえも無く、壊れそうな狭い場所に建つ家の横で川から汲んできた水を使い洗濯板で服を洗っている光景を見ました。

みな、肩を寄せ合うようにして生活している現状。

お腹を空かして物乞いをするストリートチルドレンの子どもも多く目にしました。

「1ドルプリーズ。。。」と自分の作ったネックレスやどこで入れたか分からないようなペットボトルの水を差し出してくる子を遠くから親が見ていたり、

生活のために子どもを手放す親もいるという現実、、、

教育リテラシー低下の問題はますます深刻となっていると聞いていましたが、自分の名前も書けない児童が多く将来の可能性や夢が閉ざされそうで悲惨な現状を目の当たりにして、同じ年頃の子どもが居るボクはいたたまれない気持ちになりました。
目の前で
物乞いの少年を見たものの、何もすることが出来ず、心残りがモヤモヤ残ってしまいました。

というのも、どうして生まれた国が違うだけで、こんなに違うのか?

世界の不条理とも言えるような場面を目の当たりにしました。

しかし、多くの人は、物乞いなどを見ても、『あーいう人もいるよね』と必死に訴えかける人々の問いかけには無視してしまいがちですが、

その時に感じたのが、そもそも原因とは何か?

根本的な原因を知らなければ意味がないのではないか?

紛争や貧困が何故、生じるのか?

こうした原因はもしかしたら私たちの生活と全く関係がないとは言えないのかもしれない。私たちに何が出来るのか?

そうしたことが契機となり、セブ島と交流を始めるようになります。
現地の人々はおおらかで、子どもたちはみんなくったくのない表情を見せてくれました。

101「撮って撮って~~」どこに行っても子どもたちが寄ってくる(こども、離島、写真大好き)。

人とのつながりを大切にする気質を感じる。

私自身、日本では経営者として責任が重くいつも不安やストレスを抱え込み脳みそパンパンに疲れをためこんでしまう性格で、すぐ他人と比べてしまい正直この日本社会に生きづらさを毎日感じ過ごしていました。
色んな思いを抱えて東南アジア諸国を旅する中で、たまたま訪れたフィリピンセブ島で出逢った現地の人たちは、日本から来た私をまるで家族のように迎えてくれました。

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苦しい現実の中でも、家族の絆の大切さ、自然と共に生きることの喜び、どんな時でも楽しむ気持ちを忘れないーそんな風に生きる現地の皆さんから、「生きる上で大切にすべきこと」を教えてもらい感謝をしています。
実際に日本と比べて裕福とは言えない環境にありながら、何ものにも囚われずくったくのない笑顔で暮らしている人たちを見ていると、立場や言語も関係なく、ただ時間を共有し、考え方、文化、生活を共有し、最終的に笑顔になっていることが【幸せの本質】であると感じました。

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フィリピンの子どもたちと出会い救われたのは私

日本社会に生きづらさを感じ作り笑顔すらできないくらい病んでいた私に“豊かな感情“と“生きる希望“を思いださせてくれました。
いつか、自分にできることでこの国の子どもたちに感謝の気持ちをお返ししたいーそんな気持ちが芽生えました。

現地の皆さんや子どもたちと気持ちが繋がっていく中で、「この子たちの応援がしたい!!」という想いが強くなりました。

次回、“運命の出会い“へ続く~

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