頭おかしいんじゃねえの?
皆さんは「少女歌劇 レヴュースタァライト」をご存じでしょうか。
めさめさに簡単に言えば「ミュージカルの主役の座を目指す9人の学生の物語」である。ラブライブ!を「協力プレイ」とするならスタァライトは「対人戦」。時に仲間として、時にライバルとして「トップスタァ」の座をかけて激突していくこととなる。
先日、私はこのスタァライトの映画を鑑賞した。どうやら公開3周年記念でのリバイバル上映だったらしく、昼前に席を取りに行ったときにはすでに8割近くの席が埋まっていた。
さらにこの映画の上映前にはYouTubeで本作品が無料公開されていたらしいのだが、「初めて観るなら劇場で」という声がXのタイムライン上に多く上がっていた。
それほどにまでの人気であるスタァライト。期待値も自然に上がっていくものである。映画を観るにあたり、アニメシリーズもしっかり完結させてきたぐらいには楽しみであった。
結論
良すぎ。
良すぎなんだけど、これってやっても許されるんだ…。
鑑賞後の感想はマジでこれだけです。ごめんなさい。頭が追いつかん。俺の魂は色々なことを思っているんですよ。でも体がそれを否定してるんです。すごくて…すごかったんです、ホントに。
映画を観終わった後の余韻ってあるじゃないですか。その世界観に浸れる最高の瞬間。映画の本質と言っても過言ではないアレ。
もちろん、スタァライトの映画でもソレは起こりました。でも上記を見ていただければご存じの通り、バチボコに無量空処をくらっているので、余韻というのも次元が異なるというもの。
どれぐらいかと言えばヤツを目覚ましにするぐらいには余韻がすごいです。
なんとかこの余韻から解放されてきているので、ここいらで文字として当時の感想や思ったことなんかを書き記します。させてください。じゃないと終わる、私が。
そんなこんなでレヴュー、開始とさせていただきます。
後、クソバカにネタバレします。見てない方は今すぐに観てください!!!!まだやってるところあるっぽいので!!!!
行って!!!!マジで!!!!
行け!!!!!!!!!!!!!
メタフィクションを取り扱うものはたまに触れてきたつもりではあります。UNDERTALEとかドキドキ文芸部とか。仮面ライダーギーツもその要素がちょっとありましたね。
このような作中のキャラが周りの人物やそれを取り巻く状況、あまつさえ自身さえも作り物であることを認識する行為。これっていわば、作品を「作品」たらしめる根幹を揺るがすものです。扱いを誤れば大事故を引き起こしかねないほどのパワーを持っています。
スタァライトもその一端を内包しており、ひかりと華恋が東京タワー約束のタワーで合流するところなんて、まさに「スクリーン」と「映画の座席」がある状況だからこそ成せることであるように感じられました。さらに映画のラストなんて「レヴュースタァライト、終わっちゃったね」的なことを華恋が言っていたような気がします。これなんてまさにそれじゃないですか。キリンは言うまでもないですよね。
ただスタァライトのすごいと思うところって、ここのあるメタ的な視点をその視点だけで終わらせていないところだと思います。
映画の開幕、『皆殺しのレヴュー』がありました。「皆殺し」て。
物騒すぎる文言ですが、「これはレヴューじゃない」的なことを大場ななが言ったときの鳥肌…えぐかったです。
それぞれの夢、進路へ進む彼女ら。ななからしたらしょうもないやつらですよ。くっそ再演してる彼女の地雷でしかない。
それらを皆殺しにし、再び舞台少女として立たせる。
何度もスタァライトを繰り返してきたななだからこそできることです。
そんな彼女も、世界を繰り返し何度も何度も彼女たちを見てきた、という点においてはいわゆるメタ視点を持っているといっても過言ではなく、それを用いた物語のきっかけづくり、起承転結の起としてそれを用いていることがすごいと感じました。メタ視点の特徴って「実はこうでした~」みたいな結論のコマとしての破壊力ですから、このような初手でこの手札を持ってきているのはとても新鮮でした。
そこから彼女たちのレヴューが始まっていくのですが、その始まりに舞台少女としての姿が電車の上に倒れており、素の状態としての姿がトマトを喰らうことで舞台少女になります。改めて見ると何言ってんのか訳わかんないですね。
歌劇において役の存在は不可欠です。役がない歌劇ってそもそもあります…?
作られた器に自身が入ることで歌劇が始まる。そのプロセスにおいて、99期生自身にはメタ視点が必須です。役を「役」として見れていないことにははじまりませんから。それを促すものとしての「トマト」。これって野菜か果物か問題が関係したりするんですかね。
トマトは野菜であるが、フルーツトマトはフルーツである。〇か×か。仮面ライダージオウでウォズが永遠に論争が続く問題を出していた気がします。もうあれも5年前なんですか…ジオウが5年前!?!!
スタァライトにもバナナというくそ重要なフルーツ出てきてました。だよな、大場なな。あと映画だとキリン、野菜になってましたよね。おいしそう。
フルーツとしての一面があるトマトを喰らうことで舞台少女となったことって、大場なな=ばななをメタとしての存在としたとき、彼女たちもその破片を入れ込んだ…という解釈でいいんですかね?ごめんなさい。貧弱すぎる頭で「トマト」について考えられることはここらが限界です。後は有識者にお任せします。
このようなメタ視点を用いたことで生まれた彼女たちのレヴュー、魅了されないはずもなく…
いやまじ星見純那かっこよすぎ!!!!!!!「殺して見せろよ大場なな」て…良すぎて良すぎる。もがく姿が輝いてたって過去系なのも、ななが見たい純那が今は失われているってことだし、そこから自害用の短刀で反撃していく様がまじで「星見純那」すぎて最高。お互いがそれぞれのターンで「泣いちゃった…」って言い合ってんのも「嗚呼嗚呼嗚呼」って感じだし、とにかくもうあんたがスタァだよほんとに…
歌劇として、役として、スタァとして、自分としての自分を持った99期生。彼女たちの煌めきは燃料がある限り消えはしないでしょう。メタ的な視点もこれらがもつ観客や演者という存在あって生きるもの。その点でいえばスタァライト…かなり入っていいかわからない線に足を踏み入れていますし、それが成したレヴューも素晴らしかったです。スタァライト、侮れない…
総評
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