何でもない日。みんなの12月某日④さようなら2023
僕はクミの勤務先の最寄り駅で待っている。十二月の寒い寒い夜。クミは僕の姿を見つけるなり顔が曇った。マスクをしていても、わかる。
「こんな遅くまでお仕事大変だね。お疲れさま」
「いいかげんにして。警察から注意、警告を受けたでしょ」
クミは低い声で言い、僕を睨みつける。
「引っ越したの?あのマンションから」
クミは答えない。
「もう一度だけ話がしたい。最後だから。お願いします。」僕は頭を下げた。
クミはスマホから視線を離し、僕をみる。
「本当に最後ね?」
僕は頷く。
「あのマンションに明日の夜9時に来て」
「わかった。まだあそこに住んでいたの?」
「まだ解約はしていないの」
クミはスタスタ歩き出した。
クミはいつ見ても綺麗だな、と思った。アーモンド形の大きな鳶色の瞳、艷やかでふわふわな長い髪。ほっそりした脚にハイヒールがよく似合う。
僕は会う約束を取り付けたことに安堵した。もう一度、クミと話し合いたい。僕は生まれ変わる。仕事も探す。病院にも行く。生まれ変わった僕を、クミにそばで見ていてほしい。
クミとの楽しかった日々。読んだ本や映画の話で盛り上がったり、一緒にギターを弾いて歌ったり。クミの運転する車でドライブしたり。一緒に見た初日の出も忘れられない。来年の初日の出も、一緒に見たい。
クミは僕には不釣り合いな、お金持ちのお嬢様で、頭が良くて、話もおもしろくて、見た目も美しい人。クミとのことは僕の人生で唯一の光。クミのことは、どうしても、あきらめられない。
翌日、通い慣れたクミのマンションのインターホンを9時きっかりに押す。
クミは僕を招き入れた。
がらんとした部屋。家具はなくなっていた。引っ越すのだろう。
「クミ、ありがとう。どうしても、もう一度話したくて。僕はちゃんと仕事も見つけるし、病院にも行くよ。そしたらまたあの楽しかった日々をもう一度…」
「私達はもう終わったの。その事実を受け入れてほしい。」
「だから、僕は生まれ変わるから。そうしたら、また、前みたいに…」
「やめてよ」
クミとはいつから話が通じなくなったんだろう。
僕はポケットからナイフを取り出した。
「やっぱり私を殺す気なのね」
「違う。殺したいんじゃない」
僕がクミに一歩近づいた瞬間、いきなり現れた男二人に体を押えつけられた。
口を塞がれ、腹を思い切り殴られた。手に持っていたナイフが床に落ちた。男がナイフを蹴った。僕は声が出せない。あまりの痛みに脳が混乱した。
「あとはよろしく」
クミはつぶやくと、まっすぐ前を向いて玄関に向かって歩き出した。目でクミを追った。
クミは今日も綺麗だな、と見惚れた。
ドアの閉まる音がした。
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