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黄河、長江不会倒流!

 元総理の李克強同志が2023年10月26日!0時10分、休暇で滞在していた上海で心臓発作を発症し、懸命の救命処置にも関わらず死去した。享年68。正式な訃報は追って発表する。

CCTV 10月27日

 何とも素っ気ない発表…10月27日午前8時過ぎ、中国国営中央テレビが、李克強死去を伝えた。

 翌28日付『人民日報』は1面で前総理逝去を報じたが、その訃告では、お定まりの「党員」、「革命家」、「領導人」への形容詞の扱いはそれぞれ「優秀」、「傑出」、「卓越」とあの天安門李鵬と同フレーズ、ただ、後段の“生平”パートで頻出するのは“他坚决拥护和支持以习近平同志为核心的党中央领导”等の「习近平同志为核心的党中央」であり、“两个确立”、“两个维护”等の習近平フレーズのオンパレード!李克強が未練たっぷりに《長江不会倒流!》と強調した「改革開放」の4文字の印象は薄い。

人民日報 2023年10月28日

 ここに描かれようとしているのは、あくまで習近平に仕える単なる「二把手」でしかない李克強といった像であり、李克強のレガシーとは習近平その人をめぐってのところにしか存在し得ないとの印象操作のように映る。


「休息」中の上海で心臓病で急死?


 
だが、おいおい、ホンマかいな、急死なぞ信じられへん、とばかりに中国ネット上では、いくつかの不審点、疑問点が思いっきり飛び出して来る。

 ここぞミステリーファン、というより、陰謀マニアの出番なりと、まさしく講釈師見てきたような…と言わんばかりのかなりの説得力ある(?)書き込みもある。
   その代表例を少しく見よう。

 →「午前11時前後の李克強の水泳スケジュールを確認、その水泳中に心疾患が発症するよう時間を計算した上で、心臓麻痺、意識喪失系の薬物を朝食、飲料に入れ服用させ、助けるフリを演じる警衛をプール周囲に配置、溺れてから5分以上呼吸が途絶えたと判断してから随行の医療人員を呼び入れるも既に脳死状態。つまり、既に逝ってしまっているので、医療団はAED、心肺蘇生術や強心剤を打つなどの通常動作をしながら救急車の到着を待つしかなかった」
東郊賓館プール(25×50m)

 別情報では、その薬物とはてんかん治療等に用いられるバルビタールとされているが、バルビタールには運動失調、昏唾といった神経学的毒性がある。「飲む拘束衣」ともいうべき恐るべきこの効果が李克強の水泳中に現れれば、直ちに溺死に直結するであろう。更に、プールサイドでは腕時計を見ながら時間カウントしている者がいたとも別情報は伝えている。
 これぞ突発的な病死どころか、まさしく政治的な謀殺、暗殺事件ではないか、というのがこれらの趣旨。

急性心不全?

  というのも、こうした当局の公表内容への疑問は、先ずは、突発性、急性心臓病という死因が如何にも怪し過ぎる、という点に集中する。
 但し、
その一方で、いやいや、疑問とするには及ばない、なぜなら、心室細動などの致死的心室性不整脈は決して珍しくはなく、日本でも年間約6〜8万人がこれで死亡している。コーラに代表されるようにすべてがXLサイズの肥満大国(!)、米国ではなんと4秒毎に心臓病発作が発生しており、急性心臓病死は決してあり得ないことではないからだ。

 他方、筋金入りの陰謀マニアがめげることはない。疑問点として集中するのは以下の3点。

享年68?


 先ずは、享年68という李克強の若さ!というのも、中国人平均余命は78.2 歳 (2021年、中国国家統計局)というから、李克強の享年68はこの平均寿命から10歳も若いではないか。歴代の指導者をみても、同じく上海で“静養”していた江沢民は96歳の長寿を全うし、鄧小平92歳、毛沢東ですら享年83、周恩来78、胡耀邦73、毛沢東秘書であった李鋭なぞは享年101であった。囁かれるところによれば、高級幹部、退休高官の平均寿命は88歳ともいう。一般人の平均余命に較べてのこうした指導者トップの長寿は、いうまでもなく、高級幹部への手厚い医療サービスがあるが故で、正国級指導者には秘書、警衛は固より医師、看護師の医療スタッフが配され、定期的な医療観察、健康診断のほか、必要に応じての先進的治療施設サービスが準備されている。その意味では、前国務院総理という最高職位の李克強の夭逝は如何にも怪しく映る。

前兆?


 第二の疑問は、李克強には心臓病の前兆なぞなかったではないかという点。若い頃感染したとかのB型肝炎で肝臓病を患っていたとのネット上の噂もひところあったが、心臓病を窺わせる確かな公式報道はない。前回の全人代における政府工作報告では大量の汗がとまらない場面こそあったものの、ネット上に紹介された李克強の敦煌莫高窟参観場面(8月31日)では階段を軽いステップで登り、周囲の婦人観光客からの「総理好!」との黄色い歓声にも笑顔で応えるなど矍鑠とした姿はまさに健在だった。若し、何らかの大きな持病を抱えているとすれば、医療条件等万全とはいえぬ甘粛省敦煌行を上述の通り退休高官の動静に責任を有する中央弁公庁が許すハズもない。優良な健康状態にあったその李克強が2ヶ月後に心不全で急死?俄には信じ難いではないか!

敦煌莫高窟 8月31日

 このギモンが深まる中、死亡報道直後の28日、香港のSCMP(South China Morning Post)紙が「李克強は以前に冠動脈バイパス手術を受けていた」とも報じた。だが、最近のSCMP紙の北京寄りの姿勢からすれば、急性心不全という公式報道に平仄を合わせ、それを補強するための北京からの意図的リークではないかとの疑念も浮かぶ。同様に、「李氏と家族ぐるみの付き合いがあった共産党関係者によると、李氏は昨年初めから持病の心臓病が悪化しており、心配した家族も早めに引退して療養に専念するように勧めていた」(峯村健司、NEWSポストセブン)との報道も、上記同様の意図的リークによる情報操作の可能性も強ち否定できない。更に申せば、心臓病を持病に持つ高齢者にとって最も避けるべきは激しい運動、李克強が重篤な心臓病を患っていたのであれば、敢えて深夜に水泳なぞするのであろうか。更には、指導者の健康に重大な責任を有する周囲の医療スタッフがそのリスクを黙認するであろうか。李克強自身が頑として深夜のスイミングを選んだとしても、万が一の事態に備えてプールサイドには相当数の専門医療人員が控えていたハズだ。更には、泳ぐ李克強のレーンの脇を伴走ならぬ伴泳する警衛さえいたハズだ。

 東郊賓館

曙光医院?


 だが、それにまして大きな疑問は、李克強が急搬送されたのが上海中医薬大付属曙光病院であったという点に尽きる。曙光病院は単に中医の専門病院に過ぎず、心臓血管関連の西洋医学病院なら、全国でもベスト4、上海ならトップとして知られる复旦大学附属中山医院がある。心臓専門の有力施設としては中山のほか華山医院、瑞金医院が続く。

上海中医薬大付属曙光病院

 冒頭に引用したネット書き込みでは近場=東郊賓館からの距離がその選定理由とされ、搬送先として曙光病院が事前に指定されていたともいうが、実際のところ東郊賓館と中山医院および曙光医院との距離の差はさして大きくない。前総理の緊急搬送ならば、パトカー先導で思い切り飛ばせば、中山医院にも10数分で到着する。救急車どころからヘリを飛ばせば、もはや距離の問題ではないハズだ。中医の曙光医院への搬送という事実は疑念が尽きない。

“休息” ?

 また、訃告にいう「上海“休息”」も、療養、休養どころか、実は李克強は上海に軟禁状態であったのではないかという不信の声も根深い。国家級幹部、とりわけ退休元老が北京を離れ、外地に考察その他で北京を離れるに際しては党中央弁公庁に事前申請し、その認可を得ることが必須のプロセスと規定されており、然も、李克強にとって上海は前任地ということでもなく、特段親しい友人、家族が上海にいるということでもない。李克強が自由気ままに上海に赴いたとは思えない。
   ここから軟禁説が浮上する。更には、上海の国家級の迎賓館としては東郊賓館と西郊賓館があるが、正国級指導者の上海泊は虹橋機場に近く、医療設備・スタッフ含め施設レベルが上の西郊賓館があてがわれるのが通常で、また、東郊賓館は上海市現地政府の管轄から北京の中央弁公庁警衛局の直接管理下に移項されていたという情報も流れている。あるネット書き込みでは、事態発生後、駆けつけた東郊賓館自身の保衛要員も中央弁公庁警衛局に遮られ、李克強が倒れた直後のプールに入ることさえできなかったという。まさしく「経全力抢救无效(=懸命の救命処置にも関わらず)」というフレーズも虚しく響く所以だ。

死亡時間?

 更には、26日0時10分という逝去の時間についてもギモンが寄せられる。というのも、CCTV以前に前日26日午後8時9分段階で《新京報》、《北京青年報》が李克強の死を速報で伝えていたのだった。もちろん直ちに削除の憂き目には遭っているが、新華社の公式報道に4時間余先行したこの速報は何かを物語っているのではないか。つまり、実際の李克強の「死」はその遥か以前(別書き込みでは午後4時前後ともいう)で、この「空白の8時間」に李克強の死をどう取り扱うべきか、中南海で慎重な密室協議が行われたのではないか。これまでの「訃告」事例に基づくならば、中央弁公庁(主任=蔡奇)が草案を作成、同ドラフトを政治局常務委員に上げ、最終的には習近平裁可を経て発表される。
 その結果が冒頭に示したもので、「改革開放」に触れることなく、習近平“二把手”としての李克強像だった。


誰が、なぜ?


 だが、翻って、これらの陰謀「妄想」論の根底にあるのは、一体誰が、どのような目的でこれを断行したのか?下手人は誰で、その犯行動機とはなにか?そしてその犯意は達成されたのかという根本的な問いだ。

 当然、否定論もあり得る。前記したような「心不全による急死」もあり得ないことではないとする立場は、今敢えて李克強を亡き者とする積極的な理由なぞないではないか、と立論する。というのも、李克強は今や単なる前総理に過ぎず、然も“裸退”、すなわち胡錦濤よろしく、潔くもあらゆる職位から完全に離れている無冠ではないか。また、李克強を支えるバックと囁かれる共産主義青年団(共青団)もエリート輩出機関としての昔日の勢力は今やなく、ネットゲーム用語で言う《団滅》(=全員殲滅)状態ではないか。中南海内部にあっても、政策志向としての改革開放、市場志向の流れは、習近平の文革回帰色濃い強権的社会主義により最早息も絶え絶えではないか。
 況してや、対米関係の緊張、停滞する経済に加えて、外交部長秦剛、国防部長李尚福の失踪、解任等に示唆される権力構造が不安定な内憂外患情況にあって、前総理の謀殺といった重大事案に敢えて手を染めるであろうか。嫌がおうにも大規模なオペレーションとならざるを得ないことから、万が一にもその一端なりが漏れた場合の深刻なリパーカッションを考えれば到底これを今断行することは余りにリスクが大き過ぎる。当局にとって李克強暗殺を今行うべき必要性も動機は存在しない!

永遠のライバル?


  
いやいや、そんなことはない、習近平にとって李克強は従来からのライバルであり、「裸退」したとはいえ永遠にその地位を脅かす存在なのだと李克強強制排除の必要性を訴える議論もある。「習家軍」と称されるまでに同郷、同学あるいはかつての腹心の部下等を周辺に配置したものの、自らの後継たるには程遠い力量不足と映る。何らかの形で習近平が退いた後、李克強の再登場しかオプションが浮かばないとすれば、パラノイアに陥った習近平にとってその李克強待望論の浮上を阻止することこそが絶対命題となる。経済の低迷に伴う社会的不満情緒がこの李克強待望論と合体し、反習近平の大きなうねりとなるならば…と恐れるパラノイアである。

 更には、この夏の北戴河会議で曽慶紅(元国家副主席)ら長老、元老グループから「これ以上混乱させてはならない」と厳しい諫言をぶつけられ、それに習近平が怒り狂ったとも伝えられているが、その背後に実は李克強が暗躍していたともいう(中沢克二、日経)。その恨みつらみが李克強排除に繋がったのではないかというストーリー読みだ。

 もっとおどろおどろしいのは、台湾の範疇の絶筆となった「陰謀ではなく陽謀と題された論稿だ。範疇遺稿は「天方夜譚」(=アラビアンナイトばりのお伽話)と言いつつも、まさに範疇節全開で、「朝鮮化(先軍主義/万世執政→長女・ジュエ?)を目指す習近平にとって心中の後継者は娘の習明沢ただひとり、その他後継候補なぞあり得ず、習明沢を危うくする要素は一切排除するという決意を世界に示そうとしたのが今回の李克強排除、その意味で「陰謀ではなく陽謀」(毛沢東、1957年7月1日)なのだ」という。秦剛失踪も駐美大使時代に習明沢を“照顧”したが故、とも推理している。

 なお、その範疇が11月6日凌晨1時4分心血管で急死した。生年も享年も李克強と同一(1955-2023年)、何と死亡時間までほぼ同じ!範疇はプールではなく、自宅でテレビ視聴中に倒れたというが、なんとも不思議な因縁の偶然ではある。

 勿論、こうした陰謀論が頻出流布すること自体、あるいは陰謀の一環かも知れないと疑う更に疑い深い立場もあり得る。もっともらしい、さもありなんと思わせる言説をこれでもかとばかりに垂れ流すことで習近平当局への反感を高めようとの中南海内外の反習近平勢力の暗躍策動の可能性である。


死せる李、習を走らす?


 李克強と北京大学同窓の呉国光(スタンフォード大学)が「“李克強悲剧”并未落幕”」と題した追悼文を掲げている。

 「二人の李克強がいる。常に自分を歪めることで中国共産党体制内の権力階段を一歩一歩登ってゆく李克強と、常識、良心、人民への思いやりを保持する李克強。周知の通り、後者が共産党の権力の場においては弱点となり得る」 呉国光「“李克強悲剧”并未落幕”」VOA

 この李克強の二面性から、呉国光は「在共产党制度下,谁又不是活得憋屈、死得窝囊呢!」(=共産党統治下、息苦しい人生を送ることなく、だらしなく死なぬことなぞあり得ようか)とも記し、李克強の悲劇は終わらないと結んでいる。

 とまれ、微信、微博等の中国SNS上の書き込みに加えて、中国市民の李克強への追悼、追慕アクションが翌28日から急速に全国規模で拡散する。李克強故居の安徽省合肥の紅星路80号は瞬く間に弔花で埋め尽くされ、白菊の花束を手にした老若男女の長い列が続く。泣き崩れる老人の姿も抖音で紹介される。添えられるコトバは、李克強の発言の数々…

 後者は、国務院総理退任に際し、スタッフへの感謝と共に語ったもので、人のなすところ天はみているとの意。この“蒼天有眼”は、悪事への牽制を意味する日本語にも語感が通じるもので、この離任場面で発せられた李克強の言葉は習近平批判を言外に含めたものと解される。一部では「悪い結果を予期していたのに、天のおかげで良い結果になった」という意味で使われるとの解釈も示されているが、牽強付会のようにも響く。況してや、「特定の人物を批判したわけではない。経済成長が鈍化して失業率が上がるなか、後任や部下がしっかりと対処できるかどうか案じているのだろう」とあっては、習近平擁護色が余りに濃厚である。

北京大学卒業に際して同学に贈ったメモというが、これも呉国光のいう“良知”としての李克強の面目躍如の辞句ではある。

 これらすべて“接地気”、すなわち,呉国光いうところの後者の李克強、親民イメージを伝えるもので、一方では「最高学歴の最弱総理」との評価も散見される。

各種報道から作成


 李克強の年譜を上記にまとめたが、李克強の歩みは確かに絵に描いたようなポスト文革期の政治エリートそのもの。北大法律系出身ながら1988年から在職研究生として北京大学経済学院経済学専攻に学び、翻訳論文「南斯拉夫的合資経営企業」、北京大学学生社会科学討論会優秀論文賞に選定された論文「法治机器与社会的系統、信息及控制」(1980)、翻訳書『法律的正当程序』(原著:Lord Dinning. The Due Process of Law)のほか、厲以寧(北京大学光華管理学院初代院長)が指導教官となった李克強の博士論文「论我国经济的三元结构」は孫冶方経済科学奨を受賞、厉以宁・孟晓苏・李源潮・李克强著『走向繁栄的政略选择』(経済日報出版社、1991)に収められている。高官の高学歴化に伴う学歴腐敗の蔓延も囁かれる中にあって、こうした李克強の経済学博士という学位を、習近平の法学博士あるいは李強の経営管理修士(香港理工大学管理学院)あたりと同列に論じるのは学に励んだ李克強に対し礼を失するというものであろう。

北京大学 校刊 第252期、1980
法律出版社
経済日報社

 こうした親民宰相、李克強への追悼の高まりは老百姓による途切れることのない弔花の列に象徴される。29日、安徽省合肥の李克強故居には3mにも及ぶ花束の山が築かれた。昨2022年11月の所謂《白紙革命》の噴出は、新疆ウルムチの大規模火事の被災者への同情、追悼が、「外に出たい、買い物に行きたい」という極端なゼロコロナ/ロックアウト政策への不満と結び着いた結果であり、最後には政権当局から動態清零政策の終結宣言という大きな譲歩を引き出すこととなった。今回の老百姓の李克強追慕の花束の山に象徴される動きは、果たして政権当局に何らかの変動をもたらす《花束革命》、《鮮花革命》(cf.「フラワーレボルーション」などと記すのは、1960年代フラワージェネレーションか^^)とも称すべきものに進展するであろうか。マグマにように蓄積した大衆的不満情緒が上で触れたような反習近平の蠢動とも合流した場合には想定を遥かに超える大震動がもたらされることも予感される。
 とまれ、さまざま疑念と不信に基づき、ネット上では、それらの解明を求める公開書簡等が続々とアップされている。

 これは、党中央、国務院に向けて、上述した時間の齟齬の背後には重大な問題があるもの思われ、突然死の原因も不明なまま火葬を急ぐことなぞ許されるものではなく、国内外に悪しき影響を残し、党と国家の声望に影響すると糾弾している。
   また、党章程(=党規約)第4条に規定された党員権利として、実名を記した上で、①遺体の火葬を停止せよ、②救急措置の全過程を徹底調査の上、党内、全国に明らかにせよ、③関係者全員を調査し、責任を追及せよ、④遺体を解剖せよ、い⑤治喪委員会(=葬儀委員会)を設置し、李克強に相応の取り扱いをせよ、と要求する党員も現れている。

 こうした抗議の声にも関わらず、11月2日午前10時、火化(=火葬)が執り行われた。上海東郊賓館から北京の人民解放軍総医院(301医院)に移送された李克強遺体は八宝山革命公墓で告別儀式の後、火葬されたとCCTV等が公式に伝えた。ただ、その間、北京の李克強宅、西山杏林山荘では李克強治喪弁公室名義で霊堂が行われれたというが、これは高官逝去に際しての党により設置された正式な治喪委員会ではなさそうだ。というのも、掲げられた横幕は「沉痛克強同志」であって、八宝山における「沉痛李克強同志」ではない。正式に報じられた後者場面には、彭麗媛夫人を伴った習近平以下、李强、赵乐际、王沪宁、蔡奇、丁薛祥、李希らの政治局常務委員が揃って出席している。韩正(国家副主席、国務院常務副総理)もいたほか、“外地”からとして胡錦濤名の花環もあった。

CCTVほか


 だが、こうして強行された李克強火葬の後、その骨灰は八宝山革命公墓第一墓区に納められるのか、あるいは同公墓内の骨灰堂?それとも周恩来同様海中散布されるのだろうか、大いに注目されるが、詳細は不明のままだ。というのも、周恩来の場合、その遺言に基づき、万里の長城、密雲ダムの上空、黄河の河口、そして天津海河の河口に散骨されているが、しばしば逝去日、納骨場所は故人を偲ぶ、あるいは攻撃のための「時と場のシンボル」となるからである。

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 かくして、李克強は中国世界から突然去った。おそらくのところ、上記で概観したような疑惑、妄想含め、李克強の急死に関する詳細が明らかにされることはないであろう。関係者の中から何らかの意図を持ったリークでもない限り、あるいはモスクワでみられたような現政権崩壊後のアーカイブ公開(売り出し?)という事態でも起きない限り、今回の件の詳細は永遠に闇のままであろう。
 だが、李克強不在となったのは紛れもない現実である。その結果、李克強という名は特別なものとなり、神格化され、偶像視され、いわば「李克強」は中国政治において記号化する。
 果たして、かくして記号化された“李克強”を核として、李克強を追慕する動きは《天安門化》するであろうか。すなわち,周恩来の死去から発生した四五事件(第一次天安門事件、1976年)、胡耀邦死去による六四事件(第二次天安門事件、1989年)に続く第三次天安門事件の契機となるのであろうか。大衆の鬱積する不満情緒とも合流し、昨年の《白紙革命》の再来としての《鮮花革命》はもたらされるであろうか?
 これこそが習近平の猜疑であり、焦慮の行き着く先である。このためその一切の不安要素を排除することとなる。上記でみたようなネット上の不適切且つ不穏当な発言等への監視、規制を強めるほか、合肥の李克強故居のある紅星路80号等、李克強を偲ぶ象徴的場所に花束を捧げる人々を監視する一群の青いベストの監視要員、紅星路80号を埋め尽くした花束が一晩で一掃されるのもその一環であり、大学等には党の公式ラインを逸脱した言動を許さないとし、校外活動を禁止する旨の通達が行われるのもそれであり、なによりも遺体解剖を行うことなく、八宝山に火葬を急いだことに集約される。
 果たして、李克強不在は中国の政治構造にどのような変化をもたらすことになるのか?ライバル不在となったことで、習近平の基盤の一層の強化に繋がることになるのか?それとも、偶像化され記号化された《李克強》は、政権への大きなうねりをもたらすこととなるのか?これに対して、習近平のパノプティコン規制強化でその動きを鎮圧することはできるのだろうか?
 まさに象徴、記号としての《李克強》は中国にセットされた時限爆弾と言えるかも知れない。象徴としての場所(東郊賓館、八宝山、合肥紅星路、北京西山杏林山荘…)、象徴としての時間(白紙革命起点の11月26日、清明節、李克強生年の7月5日、逝去の10月27日…)が注目される所以ではある。           [了]
 


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