【雑談】vol.1 文章とわたし〜読めなくても書けると勘違いした夏〜
雑談とはいえvol.1なんて書いてしまったから、最初に何を書こうかなーと思ったけれど、せっかくのnoteなので、書くことについて呟いてみようと思う。
では早速…
わたしは小学生低学年の頃から読書感想文が大の苦手だ。
小学2年だか3年だかの夏休み、読書感想文を書くために課題図書をとりあえず読んでみたけれど、どんなにひねり出しても「おもしろかった」という感想しか出てこない。「おもしろかった」だけで原稿用紙を何枚も埋めなくちゃならないのは、わたしにとって苦行でしかなかった。
幼少期、あなたはこの本がお気に入りだったのよーなんてエピソードがないから、そもそも文章に興味がなかったんだろうと思う。買ってもらった課題の本も、自分が読みたいと1ミリも思っていなかった母のオススメだったもんだから、まったく物語の世界に入っていけなかった。
その結果、案の定とんでもない仕上がりの読書感想文が爆誕した。
あまりの出来の悪さに母は呆れかえった。
それからわたしは読書感想文が書けないからという理由で本が嫌いになり、本は読書感想文を書くためのものだからと、さらに本と距離を置くようになった。
本と距離を置いたせいで、わたしの国語のテストの点数はガタ落ち。漢字テストは暗記すればいいからできたけれど、読解問題が大問題。誰が話したセリフかも解読できなくて、「○字で書き抜きなさい」の問題でそれっぽい○字の言葉を探すので精一杯だった。
点数を稼ぐための接続詞の穴埋め問題ですら、選択肢があるのに全問不正解を叩き出した経験もある。
なんで国語ができひんの!毎日使ってるやないの!
母はまた呆れかえった。
中学1年の夏休み。この夏が文章嫌いなわたしにとっての転機となる。
この年の夏休みの宿題にも作文が入っていた。テーマは夏休みにあったこと。わたしは演劇部で、1年生ながら主役の女の子のお友達という大役をもらい、区大会に臨んだことを書くことにした。
役決めのオーディションの時起こったこと、その時思ったこと、先輩や顧問の先生から言われたこと、大会での役者ぶり…全部覚えている限りを物語のように書いた。
たしか5枚以上、という規定があったけれど、わたしは11枚におよぶ大作を書き上げてしまった。自分史上最高の長さで、さすがに書きすぎたかなぁ…とソワソワした。
しばらくたってからその作文がわたしのもとに返ってきた。
そこにはハナマル💮と「情景が目に浮かぶような文章ですね。素晴らしい!」という国語のカワイ先生の美しい字が記されていた。
えっ!伝わったんだ🤩🤩🤩
わたしは情景が目に浮かぶ、というコメントに舞い上がった。
わたし、読書しなくても文章のセンスあるんじゃない?!
自分に起こったことを書くのは得意なのかも✨
カワイ先生からのコメントで、表現する楽しさを知った。
こんなにわかりやすく自信に満ち溢れちゃうんだから、やっぱり先生ってすごい!
この日から、基本わたしの書く作文は長編が多くなった。
ビギナーズラックだったのか、このあと長編たちが評価された記憶は、残念ながらない…
本を読んでなくても文章のセンスがあると謎の自信を持ってしまったわたしは、やっぱり本を読まなかった。
だからその後も国語の点数は相変わらずだった。
なのに高校入試ではなぜか国語で満点をとり、そこそこの進学校に通うことになった。
国語で満点を取ることはもう二度となかった。
高校では国語が「古文」「漢文」そして「現代文」に分かれた。特に苦手だったのはもちろん(?)現代文。現代と言っているわりに、明治〜大正の作品ばかりで、どこが現代だよって思っていたし、文章のクセが強くて全く話がわからず感情移入はできなかった。
国語がダメなのに指定校推薦の枠が残っていたからという理由で、大学は文学部に進んだ。
日本の文章はダメだけど英文ならいけるだろうという勝手な解釈で、英文学を専攻。心機一転英米文学の作品をたくさん読んだ。今思えば、これがいわゆる大学デビューだったのかもしれない。
「○○を読んで考察しなさい」という課題ばかりで、最初はうろたえていたけれど、そのうちこの表現はこんな気持ちで使ったのかなぁとか、ダジャレでテンポ作ってるなぁとか、作家や当時の英米のご時世についての背景まで調べたりなんかもしていた。
形から入るタイプなので、文学部らしく小説を読みながら大学に行くようになった。自分と年が近い主人公で、情景が浮かびやすい小説なら夢中で読めるようになった。
この頃わたしが好きになったのは、恩田陸さんの「夜のピクニック」と、宮部みゆきさんの「ブレイブストーリー」。人間味があって、夢があって、小中学生の頃のワクワクを思い出すようで楽しかった。
読書感想文を書くために本を読まなければならない、という義務感はこのころだんだん薄れてきて、読書をする意欲が湧き、だいぶ本に歩み寄ることができた。
(課題が読書感想文と同等だということに当時は気づいていなかった)
でも時系列がぐっちゃぐちゃになるタイムリープ系と、考察が必要なミステリー系は、どうしても途中で混乱するから苦手なままだ。
現在はというと…
実は読書の時間はほぼない。ないんかい!
読書するくらいならドラマやYouTubeに時間を割いてしまう。
しかし昔と変わらず自分の身の回りで起こったことを書くのには抵抗がない。
だからInstagramやFacebookの投稿はわりとまめにしていて、そのたびにおもしろいとか参考になるとか褒めてくれる人が現れるので、頻繁に調子に乗っている。きっとこれもありのままを書くことを認めてくれたカワイ先生のおかげ☺️
しかしカワイ先生の言葉は、時には弊害にもなっている。
相手に情景が目に浮かぶように話をしたくなり、いろいろ装飾してしまう。
結果的に話が長くなり、着地点を見失ってしまう。長い話の先にどんなおもしろいことを言ってくれるんだろうと期待して聞いてくれていた友達からは、話のオチがわからないと毎度クレームがくる🫣見失った瞬間がわかる強者もいる。
書くのと話すのとは、どうやらわけが違うようだ。
自分のことを書くだけじゃ自己満でしかないから、読んでいる人がためになった!と思えるような文章を書くには、テクニックと他の人が書いた文章も読む必要があることを、最近痛感している。また本と触れ合う機会を増やして、届く文章を学んでいきたい。そう思いながら、次に読む本を探している。
ちなみにこの記事の最重要人物であるカワイ先生はというと、あの夏以来わたしが師匠のように慕っていて、今も連絡を取りあってます、とかではない。カワイ先生が「河合」だったか「川合」だったかすら思い出せないし(川井ではないことはたしか)、中学時代熱を注いでいた演劇部の副顧問だったことも忘れていた。
本当に失礼極まりない🙇🏻♂️🙇🏻♂️🙇🏻♂️
もし今お会いする機会があったら、書くことで自分のことを伝えるのに興味と自信が持てたことへの感謝は必ずお伝えしたいなと思っている。
カワイ先生、元気かな😊
(着地これでいいのかな…)
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