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Ep.7:ナルシストに否定的な日本人

はじめに

どうもimです。
レポートをやりたくなくnoteに逃げていたところ、
投稿企画の中に「#私は私のここがすき」というテーマを見つけ、

そういえば皆あまり言わないけれど、自分の事が好きで何が悪いのだろう?と思ってたので、

今回は自己肯定感が高い人に対して、なぜ人々は否定的になるのかについて分析してみたいと思います。


自己肯定感と謙虚

最近「自己肯定感」や「自己啓発」関連の書籍が増えてきたなと感じることが多くなってきたような気がします。

これもグローバル化の影響なのか、西洋的な働き方改革やメンタルヘルスの考えを日本社会にを取り入れようという策なのでしょうか。

しかし日本にいて今も感じるのは、「自分の事が好き」といってる人に対して、すごく否定的である事です。日本人ならではなのかもしれないですが、謙虚である事というコンセプトは日本人の文化に深く根付いているように思います。

自分より相手を立てる事を美徳とし、そのために自慢や自分の話をする人に対して否定的であり、時には排除的になったり攻撃的になったりします。特に特徴的なのは集団でなって、個人を排除しようとする動きです。

そうすることで、個人は間違っているという思考を植え付け、結果としてその人の自己肯定感を下げる事に成功します。

日本教育ー長い物に巻かれよ

「長い物に巻かれよ」という考え方にもある通り、一人一人の個性より、集団としての社会を優先する日本の教育には、自然と個人の自己肯定感下げてしまうという欠点があるのではないかと思います。

かくいう私も中高は日本の学校で育ったので、学校社会の中に属していたわけですが、まあこのように矛盾点を見つけてしまう性格では上手くいくはずもなく、様々なトラブルに巻き込まれました。

在学中の6年間でいくつものいじめやハブリに遭った事でしょうか。

特に理解できなかったのが、暗黙の了解という考えでした。

そもそも何が暗黙の了解なのかが分からず、もちろん論理も何もないので、友人に聞くと私は思い切り禁忌的な事を犯したらしいですが、自分ではいまだによくわからないですね(日本人って難しい…)。

まとめると「長いものに巻かれよ」や「暗黙の了解」コンセプトに共通するものは、はみだす人を日本社会は許さない、という事です。ことわざ続きで言うなら出る杭は打たれるといったところでしょうか。

要は自己肯定感が高いことは統一性を重要視する日本社会においては、(異分子)なのであり、取り除かなければならない対象となるのです。

ナルシストは杭ー花男君の例

常日頃、私はこの世に一人しか存在しない自分の事を好きで何が悪いのか、と思っていますが、ナルシストというexpression(表現)に対してもあまりよくないイメージが日本では植え付けられているように思います。

例えばちびまる子ちゃんの花男君などが代表的でしょうか。

鏡を見るのも、髪をとかすのも個人の自由ではあると思いますが、ナルシスト的行動にスポットが当たりすぎて、花男君がもつpersonality(性格)にあまり注目がされていないように思います。

ユーモアもありながら、ジェントルマンで、更には執事と車付きのおぼっちゃまというのは、性格だけでなくステータス的にも素晴らしい人材ではないでしょうか?

自己肯定感が高い人と低い人

個人的には自己肯定感が高い人と一緒にいる事の利点の方が、圧倒的に多いと思うのですが、現実はそうではありません。

では自己肯定感が高い人(高子ちゃん)と自己肯定感が低い人(低男くん)が一緒にいるとどのような事態が起きるのか、検証してみましょう。

<ネガティブな例>

例えば、高子ちゃんは自己肯定感が高い為にチャレンジを恐れず、どんなこともためしてみようと行動を積極的に起こします。例えば、リレーの競争選手になったり、学級委員長に立候補したりします。しかし、反対に低男くんは自分に自信がない為にそのような事には参加せず、逆にそんな事ができる高子ちゃんを妬んで、気を削ぐ事をいってしまします。

<ポジティブな例>

この話は続き、リレーの選手に立候補した高子ちゃん、実は低男くんが戦国の知識に長けている事を知っていました。あまり前に出たがらない低男くんの代わりに高子ちゃんは、低男くんを騎馬戦の主将に推薦したのです。結果として、低男くんが立てた戦術は功を奏し、高子ちゃんと低男くんの組は運動会で優勝しました。

このお話は一例ですが、高子ちゃんの行為は、例え結果が上手くいかなくともクラスの中に属する事で仲間意識も育むことができます。

失敗と自信の関係

しかしこのようにポジティブな例が具体化されることは稀なのです。それはひとえに失敗を恐れる文化が日本人に深く染み込んでいるからでしょう。

実は失敗と自信の関係というのは深い相互関係にあるのです。

人は経験することによって、自身のアイデンティティを確立し、それをベースに自信を蓄えていくのです。また、ここで失敗する事という要素も逆境を乗り越えるという大きな役割を果たします。

よって失敗する事とはつまり自信を生み出す材料なのです。何事もはじめの一歩がなければ、生み出すことができません。

終わりに

恋愛でもそうですが、私はどちらかというと言葉より行動を推奨する派です。「好き、愛してる、結婚したい」と言うより、指輪を持ってくるほうが確実でしょう。

とまた話を逸らしてしまいましたが、

結論として私達、日本人が自己肯定感を育みづらいのには、日本教育統一性を重要視する日本社会の影響が関係していた事が判明しました。しかし、人の成長には失敗する事が欠かせないのではないか、と私は思います。

どこにいても時間がたてば、必ず人生や世界は変化していくものです。変わらないものがよい事もありますが、それ故に私達は日常の儚さを感じる事ができるのです。

家にいたまま渋谷に行く事はできません。
突然ギリシャ語を喋れるようにはなれません。

何事も行動の対価として生み出されるのです

ではでは、皆さまおやすみなさい~



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