見出し画像

2000年8月7日生まれ。あなたの幸せが私の幸せよ。誕生日おめでとう✨

今日は、長女の23歳の誕生日だ。
私の初めての子。

以前、「台風と喘息。泣きの育児…」で
(便利機能を教えて下さった方々。
未だに使えてなくてスミマセン💦)
記事にしたことがあるが、
小さい頃は喘息がひどく、初めての育児は
悩むことばかりだった。
きっと、神経質に育ててきたと思う。

長女は、
空気を読みすぎるところもあるし、
気も遣いすぎるところがある。
何でも自分事に感じてしまい、
誰かが怒られると一緒に凹んでしまったりする。
その傾向は、中学の時が一番ひどく、
学校の部活動で、女子の先輩の理不尽な
命令や暴言が日常茶飯事であったり、
仲間同士の揉め事で病んでしまい、
体重が10キロ近く減ってしまった。
登校しようとすると腹痛や吐き気に襲われ
毎朝が恐ろしかった。
自律神経の乱れで病院にも通った。

長女も耐え難い日々だったのに、
私も長女を気遣ったり励ましたり、
どんな風にすれば良いのか悩む日々に
耐えられなくなってしまった。

「行かない」
「行かないでどうする!」と言い合い、
時には泣いてる娘を無理矢理に連れて行き、
私も泣きながら先生に打ち明けたこともあった。
またある時は、あまりにも登校できないため私の仕事先に連れていき、
(身内の経営する仕事先だった頃)
裏方の仕事をさせた時もあった。

先生が間に入ってくれたり、先輩が引退したりするうちに徐々に元のように登校できるようになった。

長女は、
(…こちらは「この世の終わりを…」
の記事に書いたとおり)
次女が生まれてすぐ、私も次女も感染症で入院した時はまだ2歳だった。
まだまだ甘えたい時なのに、
私にも、生まれて間もない妹にも
1ヶ月会えずに過ごした。
感染の可能性があるうちは会うことを
禁止されていたからだ。

この時は本当に辛かった。
写真でしか長女を見ることができなかった。
様子を聞くことができても
全てが心配だった。

保育園で泣いてないかな?
ごはんは食べてるかな?
笑ってるのかな?

小さいながらも周りを心配させないように
わざと元気よくするような子だから
尚更心配だった。

この目で見て、笑顔で娘の話しを
聞いてあげたい。
ずっと抱っこしていたい。

解禁された時、私は実家で夫の迎えを
今か、今か、と外で待っていた。
車が見えた時、私は既に涙でボロボロで、
それでも嬉しくて嬉しくて、思いっきりの
笑顔で両手を広げて駆けつけた。

長女はキョトンとした顔で私をじっと見つめ
「ホンモノ?」と聞いた。

その一言を聞いた瞬間、私も、
「あぁぁ喋ってるぅぅ動いてるぅぅ」
「ママだよ、ママだよ…」と抱き締めた。
その後は
言葉が続かなくなってしまった。

次女が7歳くらいの時、自力での排痰が
十分にできなくなってきた。
そこで、排痰を促したり、
痰の詰まりを予防するために吸引器を
使うことになった。
これは、医療的ケアなので、病院で指導を受け、家庭で家族がやっていくことの1つだ。

夫が仕事でいない夜の私のお風呂の時、
息子の保育園のお迎えや、急な熱などの時、
私の身ひとつでは、どうしても足りなかった。
今思えば無謀とも感じてしまうけど、
長女に吸引の指導をして、お願いするしかなかった。
その時、長女はまだ小学校4年生。
ヤングケアラーだ。その頃の私は
ヤングケアラーという言葉も知らなかったのだが、18歳未満で、家庭内で介護にあたらなければならない立場の子どもだ。
もっと色々知ることをしていれば、
この時から訪問看護師さん等に頼れていたのだと思う。
また、障害児のきょうだいを
「きょうだい児」というらしい。
これを知ったのはつい最近のこと。

私は長女の立場を何も知らずに頼っていた。

2年もすると、長女は私とほぼ同じ
医療的ケアをこなすようになった。
5年生の時には、長女に任せて仕事にも行っていた。
そんな風に、長女に頼っての生活が続いた。

長女は、そこに使命感を感じているようだった。
そう思うしかない時もあったのだと思う。

頼りに頼っているくせに、
長女が居なければ何もこなせないくらい
頼りきっているのに、
私は後ろめたいような気持ちがいつもどこかにあった。

いつも、お願いしたい時は、
「お願いしていい?」と聞いてからにしていたけど、優しい長女のことだ、
「できない」なんて言えなかったんだろう。

長女に頼りっぱなしの日々は、
10年以上になってしまった。

大学で、就職活動が始まった頃、
長女は、家の近くで仕事を探すと言っていた。
私は、消極的で繊細さんで、自分の意思を
はっきり示さない長女にもどかしい気持ちになることが多かった。

「なぜ、心理学部で4年間勉強した?」
「やりたいことがあるからじゃないの?」
「せっかく大学まで行ったんだから
もっとチャレンジしなよ」
と、ついキツく言ってしまった。

ずっとうつむいてイジケたような顔をしていた長女が、涙いっぱいの目でキッと睨んだ。

「だって、私が遠くに行ったらどうするん?
ママだって好きなことできなくなるんだよ?
買い物に行きたい、仕事に行きたい、
美容室に行きたい、そうゆうの全部どうするん?」と普段絶対出さない大きな声で、
そう言った。
この時、長女のきっぱりとした発言を
初めて聞いた気がした。

(そんなにも私を思ってくれているのか。)
と思うよりも前に、私は私の言い分を更に言ってしまった。

「そうなったら、それはそれで
どうにかするんだよ!
今より大変になるけど、それは
私の人生なん!気にしないで!
もっと自分のことを中心に考えなよ!」
感情的に言い返してしまった。

2人とも泣きながらだった。

冷静になって考えれば、長い間、子どもの枠を越えるほどのことばかり頼ってきたのに、
今になって急に
「自分のことをもっと考えろ」なんて
随分ひどいことを言ってしまった。

落ち着いてから、お互いに気持ちを話しあって、私は反省の言葉も伝え、納得しあうことはできた。

いよいよ就職を決める時に、縁あって、
近場で医療系の職場に就職が決まった。

長女が就職をするにあたり、私の仕事は
ぐっと減らすことになったけど、
弟のことや、親のことも
デイサービスや、訪問看護師さんに
大幅に協力してもらいながら、
今まで長女が担ってくれていた時間は
埋めることができている。

そうなって、改めて長女の存在が
どれほど家族の助けになっていたか、
また、私の力でいてくれているかを
身に染みて感じている。

私は、今までたくさんの我慢をして、
自分の時間を譲ってくれて、
自分より家族をずっと優先してくれていた
長女には、これから少しずつでも、
自分を一番大切にする時があっていいんだよ。ということを感じていってほしい。

その為に、今度は私が全面的に力になっていきたい。

今年、長女に彼氏ができた。

過去のお付き合いはいつも終わってから
知らせる、事後報告だった。

昨年末から、
「来週、出掛けてもいい?」と、
私の都合を聞くことが増えた。

「私の都合は私がどうにかするから
気にしなくて大丈夫だ。」と諭すと、
喜んで出掛けるようになった。

仲良くしてくれている男友達がいることは
知っていた。
頻繁に話題にも出てきている。

「付き合うことになったよ」と
照れ臭そうに話してくれた時、
私の心はお祭り騒ぎだった。
本当に本当に嬉しかった。

驚いたことに、
彼の誕生日は長女と同じ
8月7日。
お互い、まだ仕事の流れについていくのが
精一杯なところがあって、思うように会えない時もあるようだけど、
偶然にも平日休みもある仕事の2人は、
今日、一緒のお休みで、
2人で誕生日を迎えている。

恋愛は良いことばかりではないけど、
長女が恋愛する気持ちを満喫し、
家族から離れたところで沢山の幸せを
感じることができるようになったことが
本当に嬉しい。すごく嬉しい!
そんな娘を見ることができて、
私は心から幸せを感じている。

ずっと、誰よりも幸せになってほしいと
願っていたし、常に願っているよ。

今までで一番ハッピーなお誕生日を
過ごしてね‼️

おふたりさん!
誕生日おめでとう🎶

生まれてからずーっと、
ありがとう!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?