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【限界飯】期末テストと二郎系ラーメン

私は時間を疑っている。今この教室にある時計の秒針が刻むスピードと、ポップコーンを食べながら友達とゲームをしている時の時計の秒針が刻むスピードでは明らかに進むスピードが違うと思う。「楽しい時間はすぐに過ぎる」というのは、どこかのおめでたい人間が言い始めた言葉だ。私は今大学の大教室で流体力学の期末テストを受けている。今この教室の時計の時針は5を分針は12を指している。
テストは90分間で大問は全部で8問。私が手を付けられているのは残り60分の時点で2問。大学のテストには、教科書を持ち込みできる場合が多くある。「暗記ではなく、教科書で調べながら応用問題に挑戦していくことこそが大学生なのである」。そう言っていた教授は今一番前の席で背中を丸め、居眠りをしている。私ももちろん教科書を持ち込んではいるが、実はこれは全くなんの役にもたたないのだ。流体力学の講義の教科書は全て英語なのである。つまりこの教科書はただのお荷物なのだ。コロコロコミックと張るくらいの分厚さの教科書はこの半年間、校庭で昼寝をするときの寝心地の悪い枕でしかなかった。ちなみに私は校庭で昼寝はするが、この講義は全15回全て出席して真面目に講義を聴いている。その上で何も理解することができなかった。だから8問中2問しか解けないのだ。少し訂正すると、手を付けている2問も正解しているかはわからない。
残り45分。
まだまだ時計は怠惰なスピードで動いている。
まだまだ時間はある。焦ることはない。というかむしろ焦ることすらできない。なぜなら問題の意味さえよくわからないから。
私の大学はコリアンタウン新大久保から高田の馬場駅方向に歩いて向かう途中にある。交通量の多い明治通り沿いに無理やり緑を育てたガッツのある大学だ。そのガッツとは裏腹に大学の壁は全棟打ちっぱなしだ。大工のおやっさんがさぼっているように私には見えるが、この打ちっぱなしの無機質な感じがおしゃれらしい。その証拠にフォロワー3000人ほどの大学生インスタグラマーが大学の壁を背景にして撮影をしている。カメラマンと目が合い、御一行様は場所を変えた。田舎感丸出しの大学1回生の私が見切れていたのだろうか。見切れているのだとしたら今すぐインスタに投稿して欲しい。一応他の問題に目を通すが何度読んでも象形文字にしか見えないほど理解が難しい。
残り20分。
遅すぎるくらいに焦りを感じ始めた。この講義の単位取得条件を考える。実はこの講義は私の学部の必修授業であり単位を取るまで卒業できない。おまけに2回生と3回生時にもこの金曜5限には別の必修授業があるためこの講義の単位を落とすと、4回生まで授業さえ受けられない。しかし3回生の時点までに研究室の配属及び卒論テーマを決めなければいけない。つまり、今受けているテストが不合格になったら高確率で留年するのだ。人生の夏休み中の大学生に立ちはだかる唯一の試練。単位の壁は高く厚く重い。
「留年?」
何より私が恐れているもの。親の願いに背いて授業料の高い私立の理系に進学した私は絶対に留年をしないという約束を母と結んでいる。留年するとどうなるかは決まっていないが、3人の子供が大学に進学、就職し愛媛の田舎で二人暮らしをする母と父の夕食から一品おかずが減るのは想像するだけで涙が出そうである。だから私は絶対にこの講義を落とすわけにはいかない。それなのに、全くわからない。
残り10分。
「は~い、残り10分。」
居眠りからタイミングよく目覚めた教授が野太い声でそう言った。とにかく他の問題にも手を付けよう。わからないなりにがむしゃらに手を動かし始めた。ここからの10分間はあまり記憶がない。私が能動的になるとすぐに神様は、秒針に力を加えて時計をくるくると回転させる。留年の恐怖なのか脳をフルスピードで回転させているせいで何かしらのホルモンが分泌されているのかシャーペンと右手の間に大量の液体が走っているのを感じた。
時針がちょうど6を指した。テストが終わった。
結局手を付けたのは5問。手を付けたものが全て正解だとしても65点。単位を取るには評価がCだとしても40点は必要だ。厳しい。
テストが終わった後にいつメンと合流した。私にはいつメンなる友達がいる。男4人。テニスサークルの新歓コンパで偶然卓が一緒になった私たちは、イケメンの男の先輩が女の子たちを全員違う卓に連れて行き、1回生の男4人が取り残された時点で、たかが外れたような下ネタトークで意気投合した。悲劇の渦中で結ばれた私たちいつメンは、明治通りを歩きながらテストの出来を聞きあった。そういえば今日は金曜日だから買い物袋を持っている人やランニングしている人が多い。みんなも全く解けていなかったと聞いて、少し安心した。しかしその後詳細な答え合わせをすると私が一番解けていないことが判明した。答え合わせをするうちにそのことに気づいたカンのいい友達が気を使って徐々に夕飯の話に移行しようとしているのが逆につらかった。
やはり留年。
愛媛の片田舎から上京し、男友達ばかりだがふざけ合える仲間もやっとでき、ここからサークルも主力メンバーとして活躍し、大手広告代理店に就職し、ベンチャー社長として愛媛の実家をリフォームして。めくるめくまわる妄想写真の間を帆に「留年」と大きく書いたクルーズ船が横断し、写真をビリビリに破っていく。
「今日ですべてが終わるのか」

「おい。おい。着いたぞ。」
友達に声をかけられ、ハッと我に返るとお馴染みの二郎系ラーメンの店についていた。しょっぱめの豚骨醤油のスープと分厚いチャーシューが魅力のその店はいつもと何も変わりなく営業していた。普通に考えるといつもと変わらないのは当たり前なのだが、まともな精神状態ではない私には変わって見えてほしかった。いつもと変わらなければ留年必至の現実を突きつけられる気がして。今すぐ死ぬまでディズニーランドにいたい。いつもは追加しないチャーシューを今日は追加した。お腹を一杯にしてすべて忘れたい。成績発表は1か月後。この精神状態でこれから1カ月間発表を待つのは耐えられない。
ラーメンが到着した。私は無我夢中で麺とチャーシューにかぶりついた。一瞬チャーシューの分厚さで全編英語の教科書を思い出したが、さらに手を動かす速度を上げた。食べても食べても頭の中現実を突きつけられるたびに涙が出ているのかスープがいつもよりしょっぱいような気がした。結局何にも忘れられなかったが、私は今日の一杯を一生忘れることはないだろう。その後高田馬場駅まで移動し、口がニンニク臭い男4人で肩を組み、「テストお疲れ!」と叫んだ。今日も高田馬場のロータリーは騒がしかった。

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