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競争から撤退するということの価値

ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
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昨日の地元紙の「論壇インタビュー」というコーナーで「撤退学宣言」の著者堀田新五郎さんのインタビューを読みました。

インタビューの中で

問題は、より良い社会をつくり出すための手段であったはずの競争自体が目的になる「主客の転倒」にあると言う。
(中略)
研究してきた実存主義という哲学の考え方では、私たちの存在は元来、「正しさ」や「勝ち負け」などの意味の絡み合いによる「世界」には収まりきらないものだという。
(中略)
世界を生きると同時に、そこから少し距離を取った視点を持つこと。それが撤退学の根本テーゼだと語る。「その構えによって、現実の中で本当に駄目だと思った時、そこに埋没することなく撤退することが可能になるはずです」

論壇インタビュー 奈良県立大教授 新田新五郎さん 山陰中央新報より

と述べてらっしゃいます。

私は50代の頃、作家の地位と収入の低さを少しでも上げたいと思って、競争の中に身を投じてきました。

交流会を作って、当時はまだ珍しかった中山間地や離島でのイベントを仕掛けたりしました。一人では難しいけれど、個々のいろいろなスキルを持った仲間と一緒に面白いことをやりました。

楽しむというのが一番のコンセプトでした。


それぞれの会員が忙しくなっていき、交流会は解散しましたが、発展的解消だったと自負しています。

完全なる勝者だったわけではありませんが、今たくさんのイベントが乱立する前の開拓者的存在ではあったと思います。

隠岐、西ノ島でイベントをしたときは餅巻きをしないのに、こんなに人が集まったのを見たのは初めてだと言っていただきました。忘れられないうれしいほめ言葉でした。

今、多くのイベントが毎週末開催されていて、客の取り合いになっているのを見ていると、もうこんな競争はいらないなと感じています。

イベントしないと取り残されるという感覚には楽しさのかけらも感じません。

勝ち負けというレベルを離れ、自分の真にやりたいことをし、作りたいものを作る生き方のほうがいいなと思うのです。

この私の考えは撤退学を提唱される堀田さんの考えに通じると思います。
私は哲学を学んだわけではありませんが、競争の中にいたからこそ、離れたいと感じました。

一線を退いた私を負けたと考える人もいることでしょう。逃げたと思う人もいるでしょう。

どう思われようと私は意味のある撤退を選びとったので満足しています。

作ることの早かった私は今、意識してゆっくりと立ち止まりながら作品を作っています。そして、自己紹介にも書いたように稲作など生きるための仕事もやり始めました。

どれが本業かと言えば、自分にもよくわかっていません。
でも、本来肩書に囚われること自体が競争に巻き込まれているということではないでしょうか?

肩書きが独り歩きするより、私という個人が自分のやりたいことをじっくりと続けることが大切で、競争からは意識してドロップアウトしました。


今の状態を堀田さんの言われる撤退ということかなと思っています。

決して負けたわけではなく、比較することをやめ、自分らしく生きる道を進んでいるだけです。


時に孤独だけれど、孤立ではなく、noteでも私の生き様を支持してくださる方もあるのです。


他者の顔色を伺う集団の中にいるより、一人を選んだということ。


私の稲作の取り組みは理解しにくいようで仲間はなかなか増えません。それでも続けていこうと思っています。したくない人を誘うのも違うなと思うのです。


去年はFBの稲作の記事を読んだ方が楽しんでやっていると感じたからと遠くから田んぼを見にきてくださいました。一組のご夫婦でしたが、こういうふれあいがご褒美なのです。


孤独というのは自分を強くしてくれます。わたしは不毛な競争から撤退し、余裕をもって自分らしい生き方を貫いていこうと思っています。

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