宇宙人に『前後左右』という概念は伝わる?

 例えばぼーっとしているときや、寝ようとして布団にこもっているときに、ふと漠然としたことを考えることはないだろうか。「時間って存在するんだろうか」とか「宇宙が出来る前の『無』って何なんだろう」みたいな、答えが出ることもなく、考え始めると途方もなくなってしまうようなことを考えるのが好きだ。
 なぜこうなってしまったのかを考えると、おそらく中二病を発症していた頃に相対性理論やらの本を読みまくっていたことが原因だろう。元々宇宙や科学が好きだったのもあり、理解している訳でもないのにその類いの本を図書室で借りては読んでいた。特にワームホールの話とかタイムパラドックス系の内容の記憶が大きい。
 YouTubeには幅広い層の動画が投稿されており、このような知的好奇心や思考欲を満たしてくれるコンテンツも多数ある。例えばゆっくり解説形式で様々な思考実験について触れるような動画は多い。暇な時間になんとなく再生しておくこともしょっちゅうだ。
 今回わざわざこんな記事を書いたのは、こんな感じのYouTubeの動画を見ていてふと考え事をしていたからである。考えたといっても、ただの妄想で特に学術的な価値もないので適当に見てもらえると嬉しい。

 見ていた動画の内容は「地球とは常識の異なる宇宙人に『左右』をどう説明するか?」という動画だ。もし『左右』を知らない人に『左右』の概念を説明するにはどうすればよいだろうか?「(9割の人が)お箸を持つ手が右」とか「南を向いたときに東の方角が左」とか、説明は色々あるだろう。ただ、これで通じるのはおそらく同じ地球上の人類だけだろう。東西南北や左右で一対の手を使った説明は宇宙人には確実に通用しない。最終的な結論は動画内で示されたのでここでは触れず、ここでは『宇宙人』と『左右』について考えたい。というのも、「宇宙人は『前後左右』という価値観はないんじゃないか?」と思ったのだ。私たち人類は、『前後と左右』だったり『東西と南北』だったり『x軸とy軸』だったりと、『2方向の組み合わせ』で空間を捉えることが多い。(なお、空間は厳密には『上下』や『z軸』を加えた3方向で捉えるべきである。人間が上下に頓着しないのは、飛べない人間は上下方向に移動できないからかもしれない。分かりやすさのために、今回は平面的な広がりを『空間』と呼んでいるため容赦してほしい。)
 ちなみに、縦横2方向の座標の取り方を『直交座標』と呼ぶのに対し、距離と角度の2要素を用いた『極座標』という座標の取り方がある。

直交座標系
極座標系

 惑星や銀河など、宇宙の形は球状に広がっているので、むしろ極座標を使う方が自然なのかもしれない。そもそも物質の最小要素である粒子からして球状の構造をしているのだ。

 ところで原子と宇宙はどこか似ていないだろうか。個人的には、宇宙のものは全て原子から成り立っているので、その性質がそのまま反映されているのだと勝手に納得している。

 本題(宇宙人に前後左右という価値観はあるのか)に戻る。例えば以下のような点対称の宇宙人が居たとする。

カービィに居そうな見た目

 足は360°に均等に生えており、目は360°全体を見渡せる。この宇宙人には『前』という価値観は生まれないはずだ。
 そもそも人間の体は画像のような体をしている。

 人間に限った話ではないが、大抵の生き物は線対称に体が作られている。また、視界の方向も決まった1つの方向を向いており、この目線の方向を『前』と認識している。故に人類は前後左右のある直交座標的な見方をしているのだろう。目線の向きが決まっているので『前』があり、体が線対称なので『左右』がある。
 では、点対称な宇宙人はどうだろう。視界は360°あるので、その全ての方角が等価であり、特定の1方向を定めることができない。つまり『前』が決まらない。体も360°同じような構造をしているので『左右』もない。

 話は逸れるが、以下のような「体が3等分な構造の宇宙人」が居るとすれば、空間を120°ごとの3方向の座標で捉えているかもしれない、とも考えた。

 ただ、n次元の空間はn個の方向だけで表せるし、3等分宇宙人も線対称ではあるので、このような宇宙人も「座標って3方向も要らなくない?」と、人類と同じような直交座標に行き着いてもおかしくはない。
 先程の360°宇宙人を少し改造して、視界の方向を『前』があるように設定してみる。例えるとルンバのような感じである。

 こうすると、おそらくこの宇宙人にも『前』という価値観が生まれる。しかし、体は点対称であるため、もう1方向を『左右』ではなく『角度』で決める可能性が高い。これはまさに極座標の考え方である。この宇宙人は身の回りの空間を極座標で捉えているだろう。
 ちなみに、この宇宙人が角度を時計回りに見るか反時計回りに見るかどうかはおそらく自然に定まると思っている。なぜなら、宇宙には『右ネジの法則』があるためだ。右ネジの法則は、電流が流れる向きを親指にとると、他の4本指が回る方向に磁界が発生するというものだ。惑星の北極を親指方向にとれば、自転や公転も右ネジにしたがって回転していることが分かる。360°宇宙人も、本能的に右ネジ方向(反時計回り)で角度を捉える人が多くなると思っている。とはいえ、逆向き(時計回り)に角度を決める人だっているはずだ。人類に右利きと左利きが居るように、宇宙人も『反時計回り利き』と『時計回り利き』に分かれているかもしれないと考えると、少し面白くなる。

 話を戻して、視界の方向がない360°宇宙人についてはどうだろうか。

視界は360°あるので、その全ての方角が等価であり、特定の1方向を定めることができない。つまり『前』が決まらない。体も360°同じような構造をしているので『左右』もない。

 『前』がある360°宇宙人は極座標で捉えるんじゃないか、という話をしたが、極座標には『始線』というものがある。

 というのも、最初に『0°』を設定しないと角度を数えられないからだ。『前』がある360°宇宙人は、"視線"の向きを"始線"に定めるだろうが、『前』がない360°宇宙人はどうするのだろうか。始線がなければ角度も使えないので、方向を決めるものが『距離』しか存在しない。『前』という価値観がない宇宙人は身の回りの空間をどのように捉えて、考えているのだろうか。いや、そもそも『前』がない生命は知的生命体には成れないのかもしれない。人類や宇宙人には『前』があるからこそ物事を考えられるのだろう。

 なんだかよくわからなくなってきた。こんなことを考えていると、いつのまにか眠りにつくことが出来る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?