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【カテゴリのない話】 きれいなお母さんは好きですか。

ムスメは血圧が低く、朝なかなか起きられない。

「起きるの面倒くさい」と、ぐずぐずと布団にしがみついているムスメに、わたしはボヤく。

「わたしも面倒くさいから、今日はすっぴんでいようかなぁ」

するとムスメが言う。

「化粧しないお母さんは、ただの老けたおばちゃんだからイヤだ」

じゃあ化粧すると、どんなおばちゃんなのか?というツッコミも頭をよぎったが、それより他に思い出したことがある。

わたしは、母の姿が好きだった。

正確には現在進行形で、いまも好きだ。

わたしが物心ついたときから、すでに母は健康診断では「肥満」と言われる体型だった。
ずいぶん長いこと、病院で健康に関する指導も受けている。

ふっくらしているので、肌艶は良いが、顔立ちが目立って美しいわけではない。

しかし母は、おしゃれだ。

若い頃に上京して洋裁を習い、いっときは「社交さん」のドレスなど、よそゆきの衣装を縫う仕事がメインだったらしい。

母自身は決して派手好みではないが、わたしが子どもの頃、スーパーで買い物中にはぐれても、母の姿を探すのは雑作もなかった。

明確な色調の好みと、工夫された機能性(母は自分の衣類はほぼ全て自分で縫っていた)と、体型も含めて自分に合わせたデザイン。

そうやって仕上がった母の服装は、混雑したスーパーの食品売り場でも、簡単には埋もれなかったからだ。

母が作ってくれたスカート。約20年前

母に関しては、「おしゃれは我慢」でなく、「おしゃれは工夫」だった。

「スラリとした」という形容も当てはまらない、「いつまでも若い」わけでもない、わたしの母。

けれど、今もって変わらない、むしろ年月を重ねていよいよ「現状を活かす」と「好みと機能の両立」に尖っていく母のおしゃれセンス。

いつまでもわたしにとって、きれいなお母さん。

わたしは残念ながら、母のセンスを受け継ぐことはできなかった。
いいや、持っているものを活かす努力が足りなかったんだろう。

わたしはムスメに、どういう母として記憶に残るのだろうか。