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闘病記その4

第四話 ガッテンチームについて
私が難病と分かってから最初に症状として出たのは、足でした。何の障害物もないところでこてんこてん尻もちをつくんです。駐車場で転び、目から火花が出るくらい痛いです。だって不意討ちなんですもの。駐車場から自宅までの数メートルの道端で買い物袋を持ったままドーンとまた尻もちをつくんです。その様子がだいぶ離れた位置から目に入った方が慌てて飛んできてくださって、大丈夫ですか、と手を差し伸べて下さった。
見知らぬ人から助けて頂きありがたかったことを今でもハッキリ覚えている。
2020年に介護保険を使ってヘルパーさんに来てもらうことになる。
当時は、午前中と午後に二時間くらい、だから11時~15時は一人になる。
この頃の友人とのラインにこんな事を言っています。 
「一人でいるのが怖くなりました。転んだら一人では起き上がれない。」と。
これを受けて友人の清水さんが「美穂子さんが寂しくならないように、ランチタイムには一緒にいてあげるようにしたいのだけどご協力お願いします。」とラインでお助け隊を募集してくれた。「一人では無理なので皆で見守りませんか?」の声掛けに、商工会議所女性会、PTA、中、高校の同級生、後輩等私にかかわりのある友人知人が快くグループラインに入ってきてくれた。市会議員の方や公民館の館長さんも参加してくださいました。最初は5人くらいでスタートして、今では20人になりました。設立は2020年12月4日


チームの名前は「ガッテンチーム」と名付けられました。
ランチタイムにお昼ご飯を準備してくれて一緒に食べてくれる。毎日誰が行くのか予定表まで出来ていた。お昼時は仕事で来られない人は夕食を主人と二人分作り届けてくれる人、主人が会食で帰りが10時過ぎる時もずっといてくれた。
誕生日にはサプライズでいきなり何人も入ってきて驚ろかされた


それぞれのに初対面のメンバーが私のうちで繋がっていく。当時美穂子サロンと勝手に名前を付けられて、来た人が勝手にお茶を入れてあるものは何でも自由に食べてもらうシステムでした。だからここで例の第三話で登場した「餅太郎」やミックスナッツが重宝するわけです。(主人の名誉のために書いておきますが袋詰めをしたのは1回だけで、ネットで探してたくさん買ってくれました。)
車で安来まで連れて行ってくれて巨大イチゴパフェを食べさせてくれたこともあります。
そして何よりありがったことは、私が弱音を吐いたり先が不安になって涙を流すとき傍にいて黙って聞いてくれて一緒に泣いてくれたことです。不安や恐怖心を和らげてもらったからこそ、今までの辛い治療にも耐えてこられたと感謝しています。
ケアマネージャーにこのことを話すとビックリされました。
本当に姉妹か親戚みたいです。「遠くの親戚より近くの他人」まさにその通りです。
断捨離班もできて衣替えや見えなくなった物を探して見つけてくれる、そんなことまでしてもらっています。主人が帰宅して「今日は断捨離班の○○さん来たの?」というくらいすっかり片付けられ部屋が広く感じられます。
私は何とかして感謝の気持ちを伝えたくて、去年結婚した息子夫婦をお披露目する会、題して、原田美穂子プロデュース「祐貴のお嫁ちゃんの瑶子さんを勝手に自慢しちゃうよ」という披露宴を私の友人のみご招待してやりました。


丁度、咽頭気管分離術を受けるかどうかで悩んでいる時でした。
そしてこの会を開いたことで改めて思ったことがあります。
それは、私は一人で病気と戦っているんじゃない、ということです。
主人や息子夫婦もどれだけ心の支えになってくれているか、鳥大病院のドクターたち、ナースたち、24時間体制で見守って下さっている訪問看護師さんやヘルパーさん、そして他人なのにどうしてそこまでしてくれるのーのガッテンチームのメンバーたち。
この多くの人なくしては、私は戦えないと再認識した。
そして、私は一大決心をすることになる。
つづく

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