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闘病記その3

さてここからは治験の話しを書くことにします。
二週間に一回、HGFという肝細胞増殖因子(組み換えタンパク質)を脇腹に埋め込まれたポートから注入し脊髄腔に送り込まれる、というものです。
こう書いてるということは、無事条件をクリアしたということです。
必死に間食をやめ、冷凍の糖尿病食をネットで注文してまずいのをがまんして食べました。その結果、HbA1cはどんどん下がり5.9までいきました。明日は阪大病院で合格判定をもらえるよう前日ぎりぎりまで測定して自信をもって受診しました。
そして治験に参加することになりました。
しかし治験ということは半年間は1/3の人はただの生理食塩水を入れられるということを聞き、ちょっと腰が引けました。残りの半年間は全員本物のHGFを入れてもらえるとのことでした。偽物を入れてもらうために手術までして、主人に運転して連れて来てもらうのはあまりにも割があわない、と思ってしまうのですが、主人がそれでも受けた方がいいと言ってくれたので受けることにしました。
さて先ずはポート埋め込み手術を受けないといけません。
全身麻酔で寝てるまにしてもらえると思ってたのに髄膜まできちんと管が届いているかを確認するために本人は覚醒していないとダメらしく、機械だらけの物々しい手術室で始まる時私の血圧は200近くまで上がったとか。ずっと危険を知らせるアラーム音が鳴りっぱなしで止まりませんでした。
痛み止めが効いてる間はなんだ大したことないじゃん、などと余裕こいてましたがこの後に襲ってくる頭痛には、受けなきゃ良かったと何度も思わせられました。
横に水平になってる時はましなんですが、ちょっとでも頭を動かそうものなら割れるを通り越し、頭をもぎ取ってくれーと叫びたいほどでした。(表現が不適切ですみません)
ですから食事はもちろん食べる気になれませんし、一番困ったのは、トイレに行けないことです。ベッド上に座るだけでも頭が割れそうなのにどうやってトイレまで歩くなんて拷問ですわ。
普通なら4~5日で落ち着くらしいが、私は一向に改善しているとは思えない辛い日々でした。なんでこんな目に合わなきゃいけないのと自分の運命を恨んだりしました。
しかし「捨てる神あれば拾う神あり」といいますが、まさにそういうことが起こったのです。人より頭痛の治りが遅かったので、薬の注入予定が一日ずつずれました。
最初の予定だと一日目に生理食塩水を入れて管が届いていることを確認して翌日HGF(治験薬)を入れる予定でした。私は木曜日金曜日と続けて注入されるところが木曜日は中止になり金曜日に生理食塩水を注入されました。もちろん何ともないに決まっています。そして土日はお休みなので月曜日にHGFかもどきなのか分からない物を注入されました。その日の夕方寝ていたら下半身がビリビリしてきてだんだん強くなってきました。なんとも言い難いこのしびれと痛みに体がよじれ脂汗は出てくるし、とにかく寝てなんかいられない、何度もナースコールして訴える。やっと担当医が見てくれた。
その先生が言われた言葉を痛みで集中することなんて出来るはずないのに聞き逃さな
かった。「これは薬の副作用ですね。」はぁー?なんとおっしゃいました?
我が耳を疑った。本物かどうかは先生も看護師ももちろん治験者にも絶対に分からないようにされている。先生、つい言っちゃったのかな?私本物を入れてもらってるってことですよね。夜主人にこんな事があったよ、と話すと「もうそれ、確定じゃんか。」と嬉しそうに言ってくれた。
もし本当ならこの体がよじれる程の痺れはありがたく、証拠として大切な体験と思わなければいけないのかも。それにしても分かりやすい副作用だなあ。痛み止めの飲み薬とボルタレン坐剤を交互に使う。時間がきたら機械のように正確に痛くなるため薬の切れ間は全くない状態でした。
他の患者さんにもこうやってばれてるのかな、と不思議に思った。
謎解きはこうです。普通の方は木金と間髪入れずに注入されるので痛みが起こっても二日続けて投与されるから生理食塩水を入れた後と治験薬を入れた後とを比べることができないようにしてあるらしい。何で痛みが出てるのか分かりにくいわけです。
私は運良く?二日も間を空けて投与してもらったから生理食塩水を入れた後と明らかに違う症状が出たので、後から入れられたのは生理食塩水ではないことがばればれになってしまったということである。
これはご褒美と思いました。たまにはいい事があってもいいよね。
それでも絶対はあり得ないので少し疑いながら、二週間ごとに主人と大阪に通いました。高速道路から見る景色が四季と共に変わり、咲いている花や木々の葉の色も変わり同じ道を何度走ったことか。
最初の頃は旅行気分でホテルに泊まってディナーしてという感じでしたが、途中から私が普通のベッドでは起き上がれなくなり泊まることを断念し日帰りという60代の二人にはかなり厳しい往復となりました。
コロナのこともありどこにも立ち寄らず車の中でおにぎり食べたりソフトクリーム食べたり、トイレにいくとき以外は停車せずに往復7時間の道中でした。


最初は杖をついて普通にトイレにも行けましたが、車いすになると身障者用のトイレにしか入れません。主人に連れていってもらいズボンを下ろしてお尻も拭いてもらって。この時ほど、あー女の子を授かっていたらなあーと思いました。まあ、主人は産婦人科医だからいいか、などとわけのわからん言い訳みたいな理由をつけて、お世話になるしかありませんでした。
ホテルではコロナのためメニューは少なく、毎回同じものを食べるしかありませんでした。
主人が「一休」のプレミアム会員だったので宿泊客には最上階の眺めのいいラウンジを自由に使えるようになっており、アルコールからコーヒーまで無料で飲めるようになっていました。食事が終わると必ず上がって夜景を見ながらいろいろ楽しんでいました。何よりそこに行く目的がありました。それはお一人様何個でも頂けるおつまみをもらって帰ることでした。特に気に入ってたのが、ミックスナッツと餅太郎というあげおかきでした。この二つは本当に美味しくて「やめられない止まらない」の言葉通りでした。
主人がポケットをパンパンに膨らませているので、どうしたの?と聞くと「お前の友達がいつも来てくれるから、食べてもらったらと思って取ってきた。」というのです。
「はあー?タダでもらえるおつまみで御礼するのかーい(笑)」(これは私の心の声)ただそれはそうとしても、食べさせてあげた友人たちが本当に美味しいと言って手が止まらないのです。そのことを主人に話すと今度は途中で立ち寄ったコンビニの袋を持って上がりパンパンに詰めて持っておりてきました。あなたはデパートの詰め放題コーナーに行かしたらいーい仕事するかもねと苦笑い。心配なのは面が割れているのに恥ずかしいことせんでよ。ホテルの監視カメラに撮られて、「このおじさん、二週間ごとに来て、ミックスナッツと餅太郎を山ほど取って帰られる、?」変なおじさんにされんでよーと心から思いましたよ。「コートヤード・バイ・マリオット 新大阪ステーション」に宿泊


つづく‘#大阪大学医学部附属病院 #鳥取大学医学部附属病院

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